第17話『盲目的な信仰者目線』
ラヌート王国の首都、王都。
白亜の城と時計塔が象徴として君臨する王家のお膝元は、朝日が上る時間帯ともなれば赤煉瓦を叩く音が多数重なる。
如何に殺人鬼が連日事件を起こしているとはいえ、いつ止むかも分からぬ凶行を理由に仕事を休む訳にはいかない。市井にも一日を積み重ねていく必要があり、絶え間ない歩みこそが世界を発展させてきたのだから。
人波が各々の進むべき職場へ揺れ動く中、一組の子供連れもまた波を器用に乗りこなす。
「ジルちゃん。朝言ったことはキチンと守るんだよ」
一人は青の制服に四肢を覆う甲冑姿、腰に携えた剣は騎士団管轄の工房で作成した規格品。格式ばった様式には則っているものの、腰のベルトだけは丈を余らせて宙を舞っていた。
何よりも目を引くのは漆黒の髪と瞳。
ラヌート王国人らしからぬ色合いは、少年の特異性を雄弁に物語っていた。
「うー……分かった」
落胆した調子で少年の言葉に頷いたのは、足首まで覆う端々の擦れたロングワンピースを纏った幼子。両腕に黒の手袋を装着した簡素な身嗜みに手入れの一つもなく好き放題に伸ばされた白髪は、彼女の見目に対する執着の薄さを印象づける。
翡翠の瞳の右上に刻み込まれた痛々しい縫い痕が、彼女の境遇の一端を垣間見せた。
孤児ならば然して珍しくもない姿だが、衛生観念が劣悪な様子は薄い。少年と手を繋いで隣を歩く様は、さながら歳の離れた兄妹であろうか。
サイク・M・ハイラインとジル・ミストレンジは、二人並んで目的地を目指していた。
「さて、じゃあ質問。君は誰で、どうして俺が連れてる?」
空いた手で人差し指を立て、サイクはジルと目を合わせる。
「うー、えーっと……ジルはジルで、お母さんが死んじゃったから」
「大正解。後は覚えてないとか言っとけば、先輩方も怪しんだりしないさ」
「へー、分かった」
騎士団とは別に王家が管理している孤児院も既に定員が超過しかかっていて、経営者も人員増加を度々申請しては却下されている。
末端には関わりない話だが、上司が口々に愚痴っているのを小耳に挟んだ経験があった。
事実、サイクも犯行現場付近で一人佇む子供を目撃した覚えがある。何の因果か、ジルが単なる飼い猫ではなく一人の幼子だと改めて認識した日であったか。
「さて、それじゃ俺の職場にいざ行こう!」
「行こー!」
拳を振り上げ決意を新たにすると、二人は歩みを続ける。
直後。
「つッ……」
「おっと、ごめんなさいね」
正面から来る相手への反応が遅れ、互いの肩が接触したのだ。
相当に焦っていたのか。サイクは衝撃に仰け反るも、相手は軽くお辞儀をするだけで早々に立ち去ってしまった。
振り返ると、二つ結びにした金糸の髪を振り乱して急ぐ少女の姿。深く被ったシルクハットは赤いコートと不協和音を奏でていたが、然して意識する程のことでもない。
「んだよ、態度わ……コホン、急いでんだな」
衝動のままに紡ぎかけた言葉を咳払いで誤魔化すと、幼子に悪影響を及ぼさない言い回しへ取り換える。
歩く道すがら、ジルに焦っているからと謝罪もなく逃走するような大人にはならないように忠告をしておいた。
肩をぶつけた少女が思惑通りに事が進み、ほくそ笑んでいることも知らずに。
王立騎士団詰所。
遥か遠い異世界にて、辰野式建築と呼ばれる様式を採用した建物の一角は俄かに騒然としていた。
幼馴染にして、未だ傷が癒えないまでもある程度は回復したからと事務仕事を引き受けていたオルレール・シフォンも困惑を表情に示す。
赤の瞳が訝しげな眼差しを注ぐ中、混乱の中心に立つ少年は迷いなく言葉を紡ぐ。
「彼女はジルって言うらしいです。親を亡くして呆然としていた所を俺が拾いました。多分笑顔魔のせいだと思うんですよね、俺は。
心に傷を負ってるかもしれないですし、せっかくなので我が騎士団の看板娘にでもしませんか?」
「お前、何言ってんの?」
サイクの言葉に騎士の一人が困惑しつつ、辛うじて残った理性で突っ込みを入れた。
前半の言いようは分かる。騎士団に所属していた王都に暗い影を落とす悪鬼に義憤を抱かぬ者はいない。昨日は遂に騎士団所属の騎士すらも流血に沈んでおり、いよいよ看破し難いと本腰を入れて捜査する手筈が整えられつつある。
後半の途中までも分かる。いて当たり前の身内を突然亡くしたとなれば、心に深い傷を負うのも不思議ではない。事実、孤児院では不幸にも犯行の瞬間を目撃した子供がいきなり嗚咽を漏らす事案が少なくないと聞く。
が、せっかくから始まる〆の文が急速に意味不明なものとなっていた。
「サイク、それはどういう意味だ?」
「だから心に傷を負ってるかもしれないから、この凄い可愛い娘を騎士団の看板娘にして心を癒してあげるんだよ。オルレール」
「傷心の子供を働かせる気か、馬鹿サイクッ」
受付で事務仕事をしていたオルレールが、並外れて意味不明な主張に思わず身を乗り出して反論する。
一方で彼女の憤激を理解しない少年は、まるで否定してくる方が馬鹿だと言わんばかりに肩を竦めた。
「なんだよ、オルレール。お前は綺麗だから看板娘ってよりは戦乙女って感じだろ、なんかこう、系統が違うじゃん」
「そういう話はしてないッ。というよりも何の話だ?!
私は傷につけ込んで子供を働かせるなって言ってるんだ!」
「あぁ、そっち系ね」
「他にどっち系がある?!」
眉間に皺を寄せ、激怒するオルレールは自然と顔をサイクへと近づけた。
真っ直ぐな視線を突きつける漆黒の瞳を前に、少女は臆することなく赤い視線をぶつける。あまりの剣幕に未だ癒えていない傷口が激痛を訴えるも脳内物質の賜物か、軽く肩を抑える程度で引き返す様子はない。
表情をより険しくする幼馴染にサイクは手を伸ばすも、思わず乱暴に払い除けた。
「つッ……おいおいおい、少し冷静になろうぜ。オルレール」
「黙れ……私達は守るべき存在を、また守れなかったんだぞ。それを口伝するような真似をする訳が……!」
親を失い呆然と現場を見つめる子供がいた。
サイクはオルレールと共に、己が無力がもたらした末路を目の当たりにしたはずであった。
にも関わらず、失敗の象徴たる幼子を前に彼が宣う物言いが俄かに信じ難い。彼女の保護が偽りなのではないかと、脳裏を過ってしまう程に。
脂汗すらも浮かべる少女の視界に横合いから腕が差し込まれる。
「先輩……」
視線を向けると入院直後、病院へ調書制作に来ていた騎士の姿。二人の先輩は呆れた顔で二人のやり取りに嘆息を零すと、それぞれの目を覗き込む。
「オルレールは熱くなり過ぎだ。サイクも、お前は休んでいたから知らないかもしれないが、ウチからも犠牲者が出てるってのをもう少し重く捉えてくれ」
「先輩、でもッ……!」
「そう、なんですか……マジか」
なおも噛みつかんと貫かんばかりの視線を先輩へと注ぐオルレールとは対照的に、サイクは制されたことで一旦は冷静さを取り戻した。
激情を込められた眼差しに思う所があるのか、少女の方を向くと殊更大きく溜め息を吐く。
神経を逆撫でされ、再び声を荒げる寸前。先に先輩が口を開いた。
「全然空気は読めてないが、サイクなりに気を使った結果じゃねぇのか。何せ、あのジルって娘を特別扱いしろって言ってる訳だしな。
空気は全っ然読めてないがな」
「二度も言います、そういうこと?」
「三度目がいるか?」
流し目を送られると途端にサイクは萎縮し、身を小さく縮こませる。
別に彼を特別に贔屓している訳でもないのだろう。オルレールとしては視線を落とす幼馴染の姿は垂涎ものだが、自身を特別に贔屓している訳でもないのは眼差しで分かった。
先輩は再び少女と視線を合わせる。
「何よりアイツは、騎士団からも犠牲者が出ているとまでは知らないんだからな。どうせ新聞も取ってないだろ?」
「えぇ、まぁ……高いですし」
「な?」
「ッ……ふー」
思わず唸り声を漏らしそうになるも寸前で抑え込み、オルレールは肺から空気を吐き出して眼差しを軟化させる。
サイクの態度に腹を立てること自体はともかく、彼が連れてきた幼子を萎縮させる訳にはいかない。親を亡くした子供を前に、自身の件で怒声を響かせるなど以っての他である。
口元を抑えつつ、腰を曲げてジルと視線を合わせた。
不気味なまでに笑みを浮かべた子供は、翡翠の瞳に自身を写す。
「君は、どうしたい?」
「どう、したいってー?」
「君を拾った彼は忙しくてね、ずっと側にいるという訳にはいかないのさ。もしも君が望むなら孤児院なり里親を探すって手段もあるけど、どうしたい?」
オルレールからの問いかけにジルは唸り声を上げつつ左右に身体を揺らすと、両手を合わせて答えを述べた。
「うーあーんー……ジルはお兄さんと一緒がいい」
「…………そう」
喜色満面な笑み。
本来ならば心温まる光景に違いないそれが、不思議とオルレールには酷く寒々としたものに感じられた。
脳裏に浮かぶ笑顔の紋様が、彼女の表情と重なってしまうから。
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