第24話『はばたきとは物語の転換点である』

 出鱈目極まる高温で熱せられた蒸気もまた、常軌を逸した高温を以って教会内部を支配する。巻き込まれてしまえば忽ちの内に全身を焼き爛れさせ、呼吸もままならないままに絶命するだろう。

 とはいえ自爆やまして、ヴェアヴォルフを道連れにするつもりはない。

 真の意味で全域を飲み込む訳にはいかぬ故に安全圏を確保する必要があり、同時にサイク達への逃げ道を提供することにも繋がる。

 眼光を鋭く研ぎ澄まし、視線を上げれば予想通りというべきか。忌々しい甲冑姿の騎士モドキ。


「ア、アアァァァッ!」


 二、三階分はあるだろう天井に手を伸ばせば触れる高度。月が穴を通じて内部を覗く中、サイクは激痛に叫ぶと力づくで左の甲冑を脱ぎ捨て、無造作に手放した。

 重力に従って自由落下する防具は白熱化し、水蒸気へ触れた途端に更なる高温で原形を失う。

 凄惨な有様は左腕も同様。

 焼き爛れて皮膚と骨肉の境目が曖昧な状態に加え、本来は衣服を脱がずに冷却するのが火傷に対する適切な措置。にも関わらず乱暴に脱いでしまえば、残るは外皮の剥がれた生々しい出血の痕のみ。

 滅紫に輝く紋様も、応急措置の域を出ず、碌に力を入れることさえ叶わない。


「大丈夫、お兄さん?」


 激痛に苛む思考を中断させたのは、右手を掴み木組みに着地したジルからかけられた声。

 脂汗を滲ませた顔を一端下へ向け、努めて口元に笑みを形成してから上げる。

 たとえ如何に痛々しく様相を呈していても。


「大丈、夫……だよ。ジルちゃん、助かった。ありが、とう……!」

「えへへー、やった」


 満面の笑みを返す幼子の表情は、少年からすれば億万の霊薬をも凌駕する。

 とはいえ今は油断ならない状況。

 漆黒に混ざる滅紫の視線を眼下へ落とせば、二人を凝視していた宝石の蒼と衝突した。視界は水蒸気に潰されていたはずだが、目に魔力を通して視覚を強化していたのだろう。

 いっそのこと見失っていれば次の手も打ちやすかったのだが、相手から仕掛けた策に望むには間抜けが過ぎるか。

 ジルに持ち上げてもらい、サイクもまた地に足をつくと納刀した剣を再び引き抜く。

 水蒸気の中へ突っ込めば、瞬く間に肉体が焼け落ちるだけ。自殺志願者でもなければ、一度水蒸気が落ち着くまで時間を置くのみ。

 だが、フランは徐に右腕を伸ばすと、さながら照準を合わせるように人差し指と中指を両者へ注ぐ。


「逃がさないわ」


 短く、小さな呟きはサイク達の鼓膜にまでは届かない。

 代わりに迫るは螺旋を描く焔の炎弾。


「チッ。便利だなァ、羨ましいなァ魔術ってのはッ」


 サイク達が先んじて木組みの上を走ると、一瞬遅れて炎熱が被弾。炸裂した焔が木材を焼く。延焼は即座に広がり、更に一発で当たると思わなかったフランもまた追撃の一射を続行。

 最早居場所の割れた廃教会を拠点にする気もないのか、寝床への配慮は微塵も伺えない。

 だが視界を覆っていた水蒸気もまた、度重なる炎弾によって払われ、ある程度の安全が確保されていた。

 ならば、とサイクは中空へと身を躍らせる。


「頼んだよ、ジルちゃんッ」

「おー!」


 フラン達に負けず劣らず端的さで言葉を交わすと、ジルは落下寸前のサイクを押し込む。

 己が身を弾丸とし、少年は叩きつけてくる衝撃に身を浸す。目指す先は揺らがず、少女の懐。

 急速に縮まる彼我の距離に剣の間合いを加味し、白刃が宙を駆ける。


「ラァッ!」


 側面を通過する直後、舞い散る血飛沫は極少量。

 直撃は叶わずとも、フランの左脇腹を抉った切先からは相応の血が滴り落ちた。


「クッ、このッ……!」


 腹部に走った痛苦を前に戦意を滾らせ、咄嗟にサイクへ振り向いたのは上等であろう。

 だが、フランにとっての誤算は彼が先陣に過ぎず、第二陣が控えていることに気づかなかった点。

 途端に背筋を駆け抜ける悪寒が、殺戮者に背を向けた対価を如実に予感させた。両の手に持つ出刃包丁の切先と共に。

 なればこそ、必殺を確信したジルもまた、伏兵たる男の横槍によって致命傷を与えるには至らない。


「え、えー?」


 思わず零れる驚愕の声は、両手に伝わる鈍い手応えと共に。


「先手を囮に本命を通す……戦に於ける常套手段よ。我が目を欺くには程遠い」


 出鱈目な速度の乗ったジルの剣閃を両の杭で受け止め、金の眼光が幼子を凝視する。背後に立つ少女は迫る殺意の矛先が逸れたことで振り返るも、はためくマントが肝心の状況を阻んだ。

 膂力を込めて出刃包丁を弾くと、魔人は低く意思を告げる。


「多死者の相手は我が務める。お主は奴を仕留めよ」

「フン、望むところよ。あんなヤク漬け、余裕でノしてあげる」


 互いに背を預け、絢爛なる瞳は眼前に立つ敵を見据える。

 即ち無垢なる殺戮者と騎士の僭称者。両名ともにただならぬ強敵なれども、決して打倒の叶わぬ雲の上の存在にあらず。

 事実として、少年が左の甲冑を手放した先には見るも痛々しい火傷痕に包まれた左腕。力なくぶら下げられた姿勢と相まって、余裕を失っているのは確定的。

 フランは自らの脇腹へ掌を添えると、魔力を通すことで傷口を塞ぐ応急措置を敢行した。多少荒くこそあれども、本格的な治療は全てが終わった後で為せばいいと割り切る。

 出血さえ収まれば、蒼の瞳を遮るものはなし。


「それじゃヴェアヴォルフ、そっちは任せたわよ」

「委細承知」

「ハッ。だったら、いくわよ……!」


 両者同時に足を折り曲げ、身を低く構えて力を蓄積。

 そして、瞬間的に炸裂する。


「殺人鬼退治ッ!」

「言ってくれるなァ、主役はよォ!」


 突撃の勢いそのままに振るわれる拳を、サイクは剣の腹で受け止める。奥では無数の真空が軽快なまでに破裂音を掻き鳴らすが、演劇ミュージカルでもない以上は付き合う義理もなし。

 左腕の負傷も好意的に見れば切り捨てていい分、右腕や剣へ一層の魔力供給が可能となる。

 刀身を跳ねさせ、拳を払うと流れるように振り下ろす。腕では防ぎ切れぬと身のこなしで回避され、フランから拳の返礼。

 一歩踏み込むことで拳戟を置き去りにした直後、予定調和とでもいうべき異変が訪れる。


「ガハッ……!」


 こみ上げてくる不快感に喉を逆流する濁った血液。

 振るうつもりだった刃を控え、サイクは口内に蓄積した血を吐き出す。

 が、調子が狂ったことで無意味に少女との距離を詰める形となり──


「魔力剤なんかに頼るからこうなるのよ」

「あッ……!」


 拳圧に肌は反応するも、肉体は追随せず。

 螺旋を描く正拳突きが鳩尾へと直撃。内部にまで浸透する衝撃が臓器を滅茶苦茶に掻き乱し、ガラスが砕けるにも等しく身体全体を蝕む。

 仰け反り、足が数歩たたらを踏むと、サイクは滅紫と黒の入り混じった瞳で少女を凝視する。

 が、血は止め処なく喉を逆流し、呼吸の暇さえありはしない。


「ガ、アァ……こ、ガギィ……!」


 自力で立つのも困難な状況だが、剣を杖代わりにしては今も迫るフランへの対処法を放棄するも同様。止むを得ず、サイクは口を開くと溢れ出す血を垂れ流すことで最低限の酸素を確保した。

 最早気勢は明らかに少女の側。

 せめてもの抵抗と四肢に回していた魔力を体内へ移し、気休めでも回復へと回す。が、なれば元来の魔力差との相乗効果で振るわれる拳は切れを増す。


「フッ!」


 短く息を吐き、フランの振るう細腕を見切ることも叶わない。

 大袈裟に身を転がして回避すると、数瞬後には木材の破砕音が背後から連続する。

 やがて勢いも尽きれば、好戦的な笑みを浮かべる少女と目が合った。蒼の瞳が勝利を確信したかのようにぎらつき、骨を鳴らす拳の幻聴が鼓膜を震わす。

 そして鉄槌は振り下ろされる。少年の頭蓋骨を騎士を僭称する身分諸共に粉砕すべく。

 サイクが目を逸らすことなく抵抗の刃を振るおうとした寸前、両者の間に割り込む影を認めた。


「ジルちゃん……!」


 辛うじて呟く名は、出刃包丁が拳を受け止める衝撃に掻き消される。


「クッ、一々邪魔してくるわね……!」

「抜かったッ!」


 拳を斬り払いジルが跳躍すると、半瞬遅れて横合いから杭が虚像を穿つ。

 当然手応えはなく、二人の視線は宙を舞う幼子へと釘付けになっていた。


「うー、あー、お兄さんはやらせないよ」


 猫よろしく四肢で着地すると、ジルは挑発気味に声を上げる。

 時間稼ぎの囮の意図をウィンクを以って汲み取ったサイクは、二人の注目が幼子へ注がれている内に付近の比較的原形を保っている長椅子の背へと隠れ、残る魔力を内部へ注力。少しでも早く最低限の回復を果たすよう務めた。


「うー!」


 サイクの避難を確認し、矮躯が跳躍。

 狙うはフランだが、予想通りというべきか。魔人が割って入り、両手の杭を構えて立ちはだかる。


「逃がさず、逃さず……来るならば来い、まつろわぬ怨霊の主よ」

「やっぱり何のことか、わかんない!」


 全身を以って出刃包丁を振るうも、両の杭は悠々とジルの全体重を受け止める。

 幾度となく刃を重ねて、敏捷性の面では自身の圧勝と理解した。が、同時に膂力の面では相手の圧勝だとも理解している。

 幼子は自らの優位性を活かすべく、杭を蹴り上げると反動で身を浮かせて距離を確保。直後に空を裂く杭が迫るも、虚を突く訳でもない愚直な一撃を足場に幼子は更に軌道を逸らす。


「ん?」


 直後、迫る拳を前に両手の出刃包丁を交差させた。

 身に染みる衝撃が矮躯を吹き飛ばし、背中から床への着地を強制する。

 怨霊が盾となることで外傷こそないものの、思慮の外から放たれた一撃はジルの精神を揺さぶった。


「私がただのか弱く可憐な支援者サポーターにでも見えたのかしら。殺人鬼?」

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