第15話『飼い猫と狩人』

 王都全域に夜の帳が降り、一筋の光明もない闇が包み込む。

 人足の疎らな赤煉瓦の大通りを、乱暴な足取りで駆ける少年が一人。


「あの、こ、このッ……あぁぁぁ!!!」


 寂寞さを覚える夜風が撫でる肌の感触にいいようのない不快感を抱き、奥歯を噛み締めるサイクは両目を血走らせて辺りを見回す。罵声を吐かなかったのは、彼に残った最後の理性に他ならない。

 無許可の外出に端を為すジルとの話し合いは碌に成り立たなかったため、ひとまず就寝して翌朝にでも改めて会話の席を設けることにした。

 が、今は朝日が上る時分には程遠く、夜闇に浮かぶ時計塔も短針を一と二の狭間へ置いている。

 なれば何故、少年は安静の診察も無視して王都の一角を駆けているのか。

 答えは簡単、共にベッドで寝息を立てているはずの幼子が消息を絶ったから。


「もぉ、世話が焼ける娘も可愛いっていうけどよー!」


 眠気を覚ます不意の冷気が、夢の世界へ旅立っていたサイクの意識を覚醒させる。

 鈍化した思考が本来の回転を取り戻すにつれ、漆黒の瞳は寝静まった寝室を認識した。自分のみが存在し、ベランダに繋がる窓が開け放たれた部屋を。

 そして時間は現在へと戻り、少年はいなくなった幼子を探して王都の町並を駆け抜けていく。

 寝巻の上からコートを羽織り、見目を整える時間も惜しんで。


「せめてなんか動物でも……良しッ」


 周囲へ目を向ける中、屋根の上で佇む烏を目敏く発見すると、サイクは膝を曲げて跳躍。壁を蹴り上げて足りない高度を補うと、寝惚けて動きの鈍った鳥類を掴み取る。

 抵抗の叫びを上げる間もなく懐から魔術書を取り出すと、目的のページを開帳。

 目を通した一節を淀みなく詠唱した。


「──生命の海、湧き立つ神の被造物。

 生み落とし、育て上げ、我らが意のまま弄ばん──!」


 早口で述べた口上と手を通じて注がれる魔力によって、声を荒げようとしていた烏は自我を喪失し、サイクの手足となる使い魔へと変換する。

 使役が上手くいったのを確信すると手を放し、烏を開放した。

 自由を得た動物は先程までの緩慢な動きから打って変わって俊敏な動きで大空へと羽ばたき、中空に羽根を舞い散らせる。

 目的はジルの捜索。

 右目を掌で覆えば、映り込むのは上空から眼下を見下ろす鳥類の視点。人足は疎らな大通りに次いで、光に乏しい路地裏へと視線を落とす。

 無垢なる殺戮者は路地裏のような人気のない場所を好んで仕掛ける。故に指差しして獲物を選ぶ段階でもなければ、夜闇よりもなお暗い深淵にこそ痕跡が残されるに違いない。


「天性の狩人とでも言えばいいのか、ジルちゃんなら大通りで目立つ真似は取らない。となると……ビンゴ!」


 サイクの推測は的中し、無垢なる殺戮者は今まさに二人の男性を圧倒している最中であった。

 彼女が気づかないよう慎重に使い魔を使役し、付近の上空を旋回させる。不意な移動を警戒すれば、ある程度自身が近づくまで屋根に着地させてやる気にはなれない。

 続けて烏を飛翔させた先へと駆けつける。激しい動きに包帯を朱に染めるのも厭わずに。

 とはいえ、男性二人は魔術師であっても多死者ではない。

 一瞬で片割れが脱落し、少年には使えない高度な魔術を焦燥に駆られた相方が披露する。が、ジルは悠々と殺到する焔の刃を切り抜けると瞬く間に男性との距離を詰めた。

 出刃包丁が刃の色せんけつに煌めけば、全ては容易に決着する。

 男性二人が血の海に沈み、傷の一つも見当たらない幼子は翡翠の瞳を喜色に歪めた。


「良し、このまま遊んでくれれば……!」


 途中まで口走ったものの、路地裏から顔を見せた存在にサイクは言葉を失う。

 よりにもよって王立騎士団所属、中でも同期のアキラッカ・N・ツオイ。

 ジルのスキルがある以上は万が一、億が一にも離脱を許したとして情報が漏れる心配はない。しかし、兆の可能性で彼が何らかのヒントを持ち帰る確率を根絶することはできない。

 何よりも少年との関係を看破されれば、今後に致命的な支障が生まれる。


「ッ……!」


 唇を噛み、逡巡を呑み込む。


「俺はジルちゃんの二倍は生きたんだ。そっちが優先だろうがッ」


 言葉には魂が宿る。

 古き日本的価値観を思い出すと、サイクは魔力を駆使して走る速度を上げた。

 負荷に全身がストライキを訴えるも意思の力で捻じ伏せて、旋回させていた烏を視界に納める。勢いを維持したまま付近の路地裏へ突っ込み、徐々に近づく剣戟の音に呼吸を荒げた。

 そして最後の路地裏を曲がり──


「──!」

「あはははー!」


 ジルの哄笑が反響する中、漆黒の瞳は捉えた。

 自らの身を回し、衣服や髪を振り乱してツオイの肉体を切り刻む幼子の姿を。

 穢れなき満面の笑みを見せ、しあわせを全身で体現した彼女の姿を。


「……」


 知らず、頬を熱い感覚が伝う。

 視界が滲み、ただでさえ視認性が劣悪な路地裏が一層の混乱模様を呈する。


「んー、烏さん。今日は早いんだねー」


 ジルが頭上を見上げ、意識が逸れたことで支配下から逃れて屋根に止まった烏を発見した。同時に曇天の空に一条の亀裂が走ると、眼球の如き真白の月が顔を覗かせる。

 スポットライトよろしく月光が路地裏の幼子へ降り注ぎ、鮮血に濡れた幻想的な姿を舞台に晒す。

 泥中に咲く蓮華を連想させる様子は、自然と少年の両手を叩き合わせていた。


「綺麗、あぁホンットに綺麗……!」

「お、お兄さん、どうしたの……?」

「人ってさ、本当に綺麗なものを見ると感動で泣けてくるんだよ。ジルちゃん」


 大粒の涙を流して号泣するサイクにジルは困惑するも、感極まっている少年は意にも介さない。

 踏みしめた大地に、かつて同期だった肉塊の流血が広がってても。


「え、えー……?」

「俺さぁ、勘違いしてた……ジルちゃんは家飼いの猫ちゃんなんかじゃないっての、忘れたよ……!」


 自宅にジルを匿い、殺人欲求は自分が連れてくれば未来が変わると思っていた。彼女が死ぬ未来さえ変えられれば、他はどうでもいいと。

 違うのだ。

 所詮は一小説かアニメの感覚で認識していた自身と、一つの世界に息づき生活している幼子とでは。

 致命的な認識の乖離が、二度に渡って無許可で外出する事態を引き起こしたのだ。


「餌感覚で俺が与えてもつまらないんだよね。殺す獲物は自分で探したいんだよね……きっと、そういうことなんだよね」

「え、う、うー……そう、だけど」


 サイクの物言いに首肯で返すと、ジルは身体を縮こませた。

 両者の距離が近づくと、幼子と視線を合わせるべくしゃがみ込む。膝を突くと鮮血が制服を濡らすも、今更気にすることもない。


「ごめん、ごめんなさい。もっとジルちゃんに色々聞いて、その上でやるべきだった……君のためだと言って、自分の都合を押しつけてた」


 謝罪を口にするとサイクはジルを固く、固く抱き締めた。

 己が想いを伝えるように、信者ファンとして信仰先おしへの想いを吐露するように。


「えー、うー……なんて、言えばいいの?」


 一方で謝られた経験などないためか、ジルは翡翠の瞳を僅かに細めて困惑を示す。

 対して努めて優しい声音を心がけ、少年は口を開いた。


「思ったことを、そのまま言っていいよ」

「へー……だったら、次からはジルにも聞いてね。お兄さんだけで考えずに。言ってくれたら、ジルなりに考えるから」


 彼女には致命的なまでに人生経験が欠落している。

 厳密には何かを考える際に参考とすべき経験が、致命的に不足している。

 考慮すべき要素の欠落には彼女自身が気づいているだろうに、なおも何かあれば考えると口にした。聞かれたら、頭を回して最善を模索すると返してくれた。

 事実にサイクは一層激しく涙を流す。

 熱いものを滴らせ、赤い海に無数の波を立てながら。



 感極まっているサイクも、力強く抱き締められたジルも気づかない。

 先程まで屋根の一角に止まっていた烏が羽ばたいた先を。

 何かに誘引され、寂れて久しい廃教会へ飛翔していたことを。

 一つ、二つ、三つ。

 羽ばたく音が徐々に重なる。

 鳴き声で互いを呼び合うことも、誰かの縄張りを荒らされたと声を荒げることもない。皆が無言で一つの目的地を目指して飛び交う様は不気味ですらあり、もしも誰かが目撃していれば何かの暗示かと騒ぎ立てるに違いない。

 そして事実として、物語は加速する。

 前日譚から、本編へと。

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