第13話『証拠抹消』

 サイクとオルレールは悲鳴に反応して急行した騎士達の手により、付近の病院へと搬送された。

 同時に路地裏へ突入した騎士達も存在したものの、笑顔魔スマイリーの犯行に共通する笑顔の化粧が為された死体。そして根元からへし折れた馬上槍以外に犯人の実在を証明するものは残されていなかった。

 足跡や血痕、壁面の斬撃痕のような一見すれば成人の犯行には不自然な箇所にある証拠はジルの有するスキルによって隠蔽され、如何なる手段を用いても発見されることはない。

 そして証拠とは、現場以外の場所にも残される。


「なん、で……なんで、私は奴の顔をッ……!」


 病院の一室。

 騎士団の面々を迎え入れるための部屋で、一人の少女が苦悶に表情を歪めていた。全身に巻きつけた包帯の奥、握り締めた拳から血が滲み滴る赤が純白のシーツを染め上げる。

 ベッドの上で上半身を起こして調書を受けていたオルレール・シフォンは、幾ら記憶の深部を探ってみても自身に生命の危機を抱かせた怨敵の姿を思い出せない。

 顔も、体躯も、一度聞けば忘れる訳のない場違いな声さえも。

 ジル・ミストレンジという幼子が残した全てが、彼女の脳内から消え去っていた。


「あまり気負うな、オルレール。ここまで追い詰められては、逃げるのに必死で記憶が飛ぶなんてよくあることだ」


 ベッドの横に立つ丸椅子に座り、人相書きのためにペンを握った騎士は責任を重く受けている少女へ慰めの言葉をかける。

 連続殺人鬼が今まさに犯行を重ねる現場に新人だけが急行できた。

 状況そのものがミスとでも称すべきであり、彼らの立場からはまず彼女らが陥った事態を防ぐことが仕事なのである。如何に優秀といえども入って数週程度の新入りに現場を任せた時点で、上司達に叱責する資格などない。

 少なくとも騎士は目の前で義憤を燃やす少女に対して、以上の考えで接していた。


「でも、私は……アレを見たのにッ……!」


 一方でオルレールは脳裏に焼きつく女性の骸を反芻し、悔恨の念でシーツを汚す。


「とにかくお前は当分の間は療養に努めろ。身体を休めるのも仕事だ」

「でも、でも……!」



「感情が詰まり過ぎだろ、オルレール……」


 薄いパーテーション一枚で遮られた先、天井を見つめていたサイクは一人愚痴を零した。

 天井からは光源用の魔道具が部屋を照らし、オルレールよりは軽傷とはいえ全身に巻きつけた包帯が鮮明に映る。

 ジルの固有スキル、憎悪の発露者は作中に於いて不自然な火力の差異が度々発生している。描写及び有志から考察では男女の性差で火力が変化しているのではないか、とも言われているが明確な説明はない。


「てっきり魔力の有無とかそっち系の差だと俺は思ったんだけどなぁ……」


 騎士団加入時の身体検査で、オルレールの潜在的魔力適正はサイクのそれを上回っているとの結果が出ている。仮に彼女が魔術の道を本格的に歩んでいれば、魔導書片手に詠唱をしなければ碌に行使できない自分を大きく上回る大成をしていただろう。

 あくまで端役モブの範疇であろうが。

 とにかく、魔力の差であれば彼女の方が軽傷に違いない。

 他に可能性があるとすれば。


「もしかして、気づかれてた……?」


 まさかと、被りを振るも子供の勘は存外侮れない。ましてや一度死を経験した多死者カルデッドに人の常識を当て嵌めていいのかは甚だ疑問であった。

 尤も、具体的なことをわざわざ問い質す必要はない。


「それよか、なーんで外出してんですかね。あの娘……」


 我儘なのも可愛いが、彼女の勝手で破滅するのはジル自身。

 サイクとしては二度目の生の意味を失うにも等しい事態だけは絶対に回避しなければならない。

 故に帰宅し次第、今頃帰っているだろう幼子へ不満があるなら聞くべきである。一つ屋根の下、末永く暮らす予定なのだから。


「同居人の不満は、可能な限り取り除くべきだよな」

「不満がなんだって?」

「ゲッ、先輩……」


 パーテーションから顔を出した騎士に、サイクは苦虫を噛み潰す。


「なんだ、その顔は。まるで見られたくなかったみてぇだな」

「仕方ないだろ。こっちも覚えてないんですよ、襲ってきた娘の顔を」

「娘? なんだ見た目だけでも覚えてんのか。立派じゃねぇか」

「え……あ、あぁ……そ、そうですねぇ、少しですけど。ハハハ……」


 脳裏にジルが思い浮かぶからこその無意識なミスを、先輩騎士は見逃さずに拾い上げた。指摘されて漸く失策に気づいたサイクも誤魔化すことができない以上、言葉を濁すしかない。


「えーと……髪は銀で、長かったかな。で、小さくて、子供みたいだったですかな……」

「子供、か……孤児を暗殺者にでも仕立て上げたのか。教会か軍かは知らんが、えげつない真似をする」

「同感ですね、この世界は腐ってる」


 汚泥の如く淀んだ世界に一厘の蓮が咲いているのか。

 もしくはジルがいるから汚泥さんげきが広がっていくのか。

 最愛の存在がいるのであれば、事の前後などどうでもいい。穢れの中に清らかなる幼子がいる現実さえ正しければ。

 一方でサイクの内心を知らない先輩騎士は、彼の言葉に無言の首肯で応じた。

 本来は彼女のスキルによって、記憶から顔を引っ張り出すのは不可能。オルレールが事前に証明していた分、少年の主張に違和感を覚えることはなかった。

 そして巻き込まれた少女とは異なり軽傷だったため、ひとまず当分の間は自宅で安静とのことで帰宅許可が下りた。


「くら……」


 外に出てみれば既に陽は沈み、街灯からは魔道具による光が赤煉瓦の道を照らしていた。道行く人足が疎らなのも、連日新聞を賑わせている笑顔魔を恐れてか。

 ジルに恐怖など微塵も抱かぬサイクは、嘆息と共に幸せを逃がして帰路へ着く。

 至る箇所に裂傷や流血が目立つ制服は回収され、代替として渡された雨天用のコートを包帯の上から羽織る。風を通さぬ衣服を着るには暑苦しく乱雑な着衣だが、幸いにも指摘する者と出会うことはなかった。

 やがてハイムキングスの自室に到着すると、鍵を差して開錠。帰宅を果たす。


「あー、お帰りー!」

「ハハハ、ただいまジルちゃん……」


 開錠音に応じてか、無邪気に飛びつく幼子に対してサイクは苦笑いを浮かべた。ジルの勢いに痛む傷口こそ気合で耐え切れるものの、別の問題が浮上する。


「んー、なんだか慣れた匂いがするー」

「ハハハ、今日はちょっと色々あってね……」

「えー、でもこれジルの使ってるのに似てるー。あー、もしかしてー……えー?」


 何かを察したのか、ジルは無邪気な笑みに影を落とす。

 本来ならば、彼女の笑顔を曇らせるなど以っての他。

 だが、こと現状に於いて無視していられる話題でもない。なればこそ、心を鬼にして話し合う必要があった。


「ハハハ、ちょっとそのことで話があるんだよね……」


 サイクは玄関に鍵をかけると、ジルを連れてリビングへと向かった。

 そして自らが椅子に座り、幼子には上へ着席してもらう。

 適度に心地よい重みに衣服越しでも伝わる体温。元気な子供特有のものに鉄を混ぜた匂いが鼻腔をくすぐり、少年の脳に麻薬にも似た中枢神経を直撃する快楽をもたらした。

 別に正面から向かい合う構図でも良かったのだが、せっかくなので我欲を優先する。

 逃走防止兼私欲のため、腰を手を回すと意を決して会話の口火を切った。


「ねぇ、誰かりたくなったら俺が部屋に運ぶって言ったじゃん。外には出ないでってのもさ、どうしても我慢できなかった?」


 努めて彼女を傷つけないよう意識しつつ、今日あった出来事を問い詰めた。

 そも、ジルが勝手に外出した挙げ句に襲撃を仕掛けたのが全ての発端である。口裏を合わせていなかった以上、どちらかが致命的なやらかしを犯してしまう可能性もあったのだ。

 だが、サイクの気持ちを知らないジルは顔を上げ、上目遣いで少年を見つめた。


「んー、あー……ジル、今日はずっとここにいたもん」

「嘘だよね、それ」

「嘘じゃないもん」

「いや見たんだよね、ジルのこと」

「嘘じゃないもん」

「うーん。可愛いけど、今はその可愛さは困るかなー」

「えへへー」


 惚れた弱みというべきか、屈託ない笑顔を向けられては追及しようもない。

 彼女に溜め息が当たらないよう横を向くと、再び幸福を逃がす。

 幸いとでもいうべきか、ジルを膝に乗せた今は幾ら逃走を許した所で無尽蔵に幸せが溢れ出てきた。

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