第12話『多死者対新人騎士』
「待ってサイク、離せッ!」
泥水を踏みつけ、跳ねる水滴に必死の形相を浮かべる少年少女が映り込む。
自身の命と二人の関係が暴露するのを免れるため、サイクは嫌がるオルレールの腕を引っ張って強引に路地裏からの離脱を計ったのだ。
背後からは両手で顔を隠し、場違いなまでに呑気な声音で数を数えるジルの姿。端から見れば隙だらけだが、仮に踵を返して得物の切先を向ければコンマ数秒の間隙を以って喉元を食い破るに違いない。
物語の主要人物たる
当事者よりも一歩引いた
「さっきのやり取りで気づけ、俺らに勝ち目をねぇよ!」
「そんなの関係ないッ。あそこにはまだ残された人が……!」
「あんなのただの死体だ、馬鹿ッ」
らしくないとは思いつつ、彼女の経歴を省みれば理解が及ばない訳でもない。
が、今は個人の感傷よりも生還が重要な場面。
白銀の甲冑が汚泥に穢れるのも厭わず、脇目も振らずに路地裏を駆け抜けることこそが肝要である。大通りにまで到達すれば、ジルは追跡を中断するとサイクは誰よりも確信を抱いているのだから。
「九ー……十!」
角を曲がり、来た道を逆順する刹那。
快活な声と共に翡翠の瞳が湿度の高い闇を見つめ、低く腰を落とす。
上半身を折り曲げた極端な前傾姿勢の下、幼き狩人は背中を見せる獲物へ急速に駆け出した。風となりし肉体は瞬く間に彼我の距離を詰め、二振りの凶刃を煌めかせる。
「貴様ァッ!」
狂気を滾らせて迫るジルに、少年の手を振り払いオルレールは迎撃の槍を握り締めた。
が。
「なッ……!」
「馬鹿ッ……!」
騎士の信念を象徴すべき馬上槍は末枝よろしく容易に切り裂かれ、すれ違うまでの間に少女の頬を起点に肉体は無数に切り刻まれる。
弾ける肉体は青の制服を真紅に染め上げ、自身の身に起きた出来事を理解できないオルレールは驚愕に瞳を揺らした。
「チッ、だから言ったんだよ!」
サイクが背後から腕を引っ張ることで鮮血に沈む事態を回避し、そのまま手早く肩に担ぐと逃走を再開する。皮肉にも槍が失われ、意識が朦朧としたことで抵抗がなくなり、逃げ出す足は身軽となった。
「傷は浅いからさっさと逃げれば助かる、とりあえずそれでいいな?!」
「あ、あぁ……」
「返事!」
オルレールが意識を手放して現世から旅立つのを防ぐべく、サイクは荒い調子で呼びかけ続けた。
同時に、思わず愚痴が零れる。
「これが憎悪の発露者の性能か……!」
多死者としてのジルが得た三種のスキルの内、戦闘面で最も厄介なのが憎悪の発露者。
彼女同様に無念の最期を遂げた悪霊の思念が盾となり刃となり、対象を支援する固有のスキル。守勢に回れば亡霊の盾が攻撃を遮り、攻勢に回れば怨霊の宿った包丁が切り裂かれた相手の肉体を切り刻む。
本質的には呪いとしての一撃は、直撃したオルレールが即死しなかっただけでも奇跡と言える代物。
身体に滴る流血に悪寒を走らせながら、サイクは背中をつんざく殺気から全力で距離を取った。
「ったく、推しに殺されるにしても心の準備ってもんがなぁ……! っとと。
オルレール、出口は近いぞ!」
少女の意識を繋ぐのに事実か否かは重要ではない。
彼女に希望を見せ、稼げた刹那を積み上げた果てに生き残ればそれでいいのだ。奥まった路地裏に増援は期待できない以上、独力で解決に及ぶしかない。
加えて手段は、ジルに正体を看破されないという前提で。
ひとまず両足に魔力を込めて脚力を強化、多死者の中でも有数の敏捷性を誇る相手に雀の涙でも抵抗を見せる。
「希望があるのは今ジル……ちゃんが遊んでいるって点」
全力ならば勝算は愚か、初手を防ぐ術すら皆無。先の一撃で間違いなくオルレールは腹部から臓物を垂れ流している。
戦を誉れに、刃を魂にする戦闘巧者とは異なり、あくまでジルは一方的な殺戮を本分とした殺人鬼。勝算のない格下を見出すことこそが肝要であり、実力を掴み損ねれば逃走の叶う事態も送り得る。
最愛なる殺戮者が遊びに興じているからこそ、二人はまだ逃走撃の体を維持できていた。
そしてアニメに於ける尺埋めとばかりに追加された殺戮シーンにて、彼女の二手目は高確率で──
「上から来る!」
「あれ、あれれ?」
断頭台の如く迫る幼子の刃を、サイクは身を回すことで回避。掠めた黒髪が数本視界に入り込むも、怨霊による追撃が入る様子はない。
避けられた事実に困惑する幼子に頬を緩める余裕もなく、少年は長髪をたなびかせる。
路地裏の闇が徐々に薄まり、周囲の光景が鮮明となる。煉瓦の割れ目も明瞭さを増していき、大通りへの確かな接近を感じ取った。
問題は、ジルが更なる一閃をどう繰り出すか。
既に彼が進むは
「んーとねー。当たり前だけど、逃がさないよ?」
俺だって逃げたくない、という我欲を寸前の所で呑み込むと、サイクは背筋に走る寒気に従い、オルレールが傷つかないようにしゃがみ込む。
直後に空を切る刃が髪を切り落とすも、命に支障がない以上は無視。
左腕で顔を隠し、反転して少年を正対する白髪の幼子からの看破を防ぐ。
ここまでは完璧だが、同時に天秤が傾きかねない危うい状況でもある。
故に馬鹿正直に突っ込んでくるジルに対して刃を見切ると、敢えて制服の奥を掠めさせた。
「浅い」
「つッ……こ、のッ」
手応えのなさにジルが不満を抱くのとは対照的に、刃に宿った怨霊によって全身を切り裂かれたサイクは奥歯を噛み締めて先を進む。
急激な出血で体温が流れ出るも、出口は近い。
質量を増す目蓋に唇を噛み締めて意識を保つと、両目を見開いて先を進む。
「やっぱり浅い、だったら……あー」
手応えのなさに改めて柄を固く掴むも、突如としてジルから戦意が霧散する。そして間の抜けた大口を開けて残念がると、踵を返して屋上への跳躍を開始した。
「キャー!」
「ハァ……ハァ……ハァッ。着いた、ぞ。オルレール……!」
市民からの悲鳴を受けたサイク達は足元を自らの流血で濡らしながら、大通りへの帰還を果たした。
最愛の殺戮者からの殺気も遠ざかった安堵に腰を下ろすと、少年はゆっくりと呼吸を整える。
急速に圧し掛かる倦怠感に空を仰げば、まだ時計塔は然したる時間の経過を告げてはいなかった。体感では数時間は経過したにも関わらず、である。
「オルレール……生きてる、よな?」
隣に下ろした少女へ話しかけるも、返事はない。
無言の時間は最悪を脳裏に掠めさせるも、金髪の少女は遅れて声を上げた。
「私は、私、は……あんな奴に、何も……!」
恥辱の念を噛み締めた少女の声音は嗚咽に震え、心身に根付いたものを吐き出すようにも見えた。
オルレール・シフォンの清廉なる心中に、一滴の黒を差し込むように。
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