第11話『生花を彩る血の煮凝り』
王都の活気は日に日に落ち込んでいた。
大衆は多発する殺人事件に表向きは然したる変化を見せない。だが表面的な態度は虚勢に過ぎず、内心では自分や親しい者が次の犠牲者になるのではないかと戦々恐々している。
仮初の笑顔を超えて滲み出る恐怖は流行り病の如く伝播していき、気づけば大通りですれ違う人波は疎らとなっていた。
「事件とやらで随分と影響が出てんな」
横切る老人の表情を覗き、サイクは最愛なる殺戮者が及ぼす影響力の一端を垣間見た。
すれ違う人々へ恐怖と嫌悪の入り混じった眼差しを注ぎ、身を丸く縮こませた歩き方は後ろめたい要素を秘めた犯罪者を彷彿とさせる。肩がぶつかる度に過剰な反応を示す様は職務質問をされても文句が言えない程に。
少年の目にも老人は極端な例に映るものの、往来する面々は大なり小なり彼に共感する要素を抱えていた。
赤煉瓦の大通りを進むは、騎士団所属を意味する制服に四肢の甲冑を纏ったサイクとオルレール。
「オルレール、あんまり気を張るなよ。それじゃ道行く市民を脅迫してるみたいだぞ?」
黒髪をたなびかせる少年は、張り詰めた相方へ敢えて気楽な調子で話しかけた。
ところが隣を歩く少女は戦場さながらに敵意を漲らせ、有事とあらば背負った馬上槍をいつでも引き抜けるよう右手を固く握り締める。吐き出す吐息に熱が乗り、周囲を睥睨する眼差しは刺突の瞬間を待ち侘びるかの如く。
ともすれば辻斬りを連想させかねない少女へ肩を叩く気はないものの、徒に警戒させては要らぬ事態を誘発しかねない。
何せ彼らが追っている
「ただでさえ皆さんは不安で頭がいっぱいなんだ。ここで変に刺激しちゃ、自分が狙われたと勘違いしちまう」
「……君の言いたいことは分かるさ、サイク」
絞り出す声音は、吐血の前置きなのかと疑う程に。
地獄の底より響かんばかりの声でも彼女としては努めて平静を保とうとしているのか。時折奥歯を噛み締める度に表情が歪んだ。
「だけどね、私には許せないんだ。あんなことを許容する奴が……!」
「あんなことって……あ」
オルレールが睨む視線の先。
サイクが続いて見つめたのは、路地裏の前で佇む一人の女の子であった。
現場保存のために進入禁止のテープが張られた先は、哨戒前に団長から話を聞いていた事件の現場──少年が運命の出会いを果たした場所。
彼からすれば聖地でも、人形を抱きしめる女の子からすれば母親を奪われた忌むべき土地に他ならない。目尻に浮かぶ一滴の涙と、侵入防止のために立っていたはずの騎士が慰める光景がオルレールの心を強く打ちつけるのだろう。
「私は、アレを防ぐべきだったんだ……子供が、親を失うような事態をッ……」
唇から涙の代替として一筋の血を流し、オルレールは内に後悔を噛み締める。
「あー……お前どっかで休憩しとくか、この前の補填じゃねぇけど」
野盗の襲撃で両親を失った過去を持つオルレールにとって、眼前の光景は
だが少女は金髪を横に揺らして意思を示した。
「大丈夫だ、私が今……休む訳にはいかないさ」
額に脂汗を浮かべつつ、オルレールは目力を強める。
想起するのは遥か遠くの記憶。
決して裕福とは言えないまでも幸福だった日々。両親の愛情を全身で受け止めていた、かけがえのない記憶の欠片。理不尽に薙ぎ払われることなど夢にも思わなかった純朴な子供の夢想。
何故二人が自分を置いていったのかも思い出せない。
ただ結果として両親が帰って子供と抱擁を交わす瞬間は訪れず、心残りを残して彼岸へと旅立っていったのは変えようもない事実。
残された者の感情はよく理解している。
一人ぼっちにするくらいなら、いっそのこと自分も共に連れ立たせてほしかったと。
誰もいない現世よりも、両親が側にいる彼岸の方がマシであると。
「こんな思いをするのは、私だけで良かったんだ……」
「……だーから、あんまり気張るなって」
続けて彼女を気遣う言葉を続けようとした寸前、絹を裂く悲鳴が大通りに響き渡る。
「これってッ……!」
「…………は?」
大衆は身体を硬直させ、何が起きたのか理解が及ばない。
女の子を慰めていた騎士は、咄嗟に覆い被さると声の方角へと視線を飛ばす。
敵意を漲らせたオルレールの声は、怨敵を発見したかの如くに低く響き。
サイクは並外れた驚愕に間の抜けた声を漏らした。
「……は、え。はぁ?」
訳が分からない。理解できない。
脳が逃げ惑う大衆の動きを否定する。
人々が、紙面が笑顔魔と称した幼子はハイムキングスの自室で待っているはずなのに。サイクが帰宅すればただいまと返せる状態なはずなのに。
「何してるサイク、行くぞッ!」
「え、あ……お、おう!」
怒声染みた調子で呼びかけたオルレールに困惑しながら応じると、サイクは後に続いて駆け出した。
悲鳴は二度、三度と繰り返され、徐々に声量を落としていく。声の度にオルレールの表情は険しくなっていき、目的地を凝視する眼差しは鋭さを増していった。
途中で路地裏に入り込む頃には女性の声は消え去り、代わりに生理的嫌悪感を催す生々しい水音が鼓膜を刺激する。
鋭利な刃物を何度も繰り返して振り下ろし、執拗に肉を弄ぶ音。
人を人間ではなく肉塊として解釈している者が発する、度し難い音。
脳裏に過る最悪に被りを振るも、少年自身も否定するには根拠が欠如している自覚があった。
徐々に路地裏の闇が陽光を遮り、乾き損ねた水が淀んだ空気を形成する。深部に近づく度に生々しい音が反響し、不気味な印象を加速させた。
そしてサイク達は二人に背を向けた幼子を目撃する。
「フッフフー。笑っ顔、笑っ顔、笑顔で笑顔ー」
天上の調べにも等しい声音が独自のテンポで歌を奏で、幼子が壁面に座り込む。時折振り上げられた右手には粘度の高い液体が滴る包丁が握られ、振り下ろすと同時に生々しい音を響かせる。
腰を下ろした先には血の海が広がり、奥には生気を失った女性の目が垣間見えた。
「貴様ッ」
瞬間、我慢の限界を優に超越したオルレールは背中の馬上槍を引き抜き、刺突の構えを取る。サイクが手を伸ばした時には、既に穂先は目と鼻の先。
一足で詰められた間合いは数刻を待たずに幼子の背中を穿ち、凶行を食い止める。
はずであった。
「なッ──!」
突き出された切先は空を貫き、手応えのなさにオルレールも目を見開く。
背を向けていた幼子の代わりに視界へ飛び込んできたのは、滴る流血を口紅よろしく塗りたくった女性の骸。
命を奪うのみならず、死体すらも弄ぶ所業に目が血走った少女は憤激のあまりに反応が遅れる。
見失った幼子は一瞬にして壁を蹴り上げて反転。上下を反対にして血濡れの出刃包丁を振るっていたことに。
殺意に煌めく眼光が首を両断せんと睨みつけた刹那。
「あ」
「が、ぐぅッ」
咄嗟に割り込んだサイクが剣を構え、甲高い音を路地裏に残響させた。
勢いを殺し切れず、オルレールごと身体が吹き飛ばされるも足裏を煉瓦に擦りつけることで壁との直撃を回避。同時に刀身で幼子から表情を隠す。
一方で幼子──ジルは器用に着地すると、白髪で隠れた視界に頭を振った。
「お姉さんと……お兄さんかな? えーと、ジルに用?」
問いかける声音は脳が溶ける錯覚すらも味わうも、不幸にも快楽へ身を浸す余裕はない。
外で顔を合わせる想定をしていない上、仮にオルレールの前で関係がバレてしまえば全てが終わる。
かといって一〇歳の幼子にアドリブで口裏を合わせることを期待するのは不可能。むしろ先を行く者として合わせることが常道というもの。
「何か用だと……貴様は今何を……!」
「馬鹿、引くぞッ。オルレール!」
サイクは踵を返すと、なおも抵抗の意思を見せるオルレールの腕を掴み、強引に撤退の判断を下した。
だが、ジルに二人を逃がす選択肢があろうはずもなし。
「待て、ジルッ。待って、私は奴を……!」
「鬼ごっこー? いーよ、ジルは早いしー!」
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