第10話『積み上げる日常・罪重なる平穏』

 ハイムキングス。

 大通りから一歩離れた人気の少ない場所に居を構え、王城の膝元たる王都にしては低家賃の対価として周囲の利便性は劣悪寄り。だからか、朝日が昇る時間帯にも関わらず住民の気配は疎らであった。

 数少ない例外の一つ、三〇七号室では時折食器が皿を擦る音が木霊する。

 音の主は二人。


「ごめんねジルちゃん。飯作る方はちょっとアレでさ」


 一人は寝起きの跳ね回る黒髪に柔和な黒目で申し訳なさげな表情を浮かべる少年。彼の手元には、焦げ目の目立つベーコンと香ばしい匂いを香らせたトーストが皿の上に並ぶ。


「ううん、いいよ別にー。それよりちょっとしょっぱい」


 一人は手入れもなく無造作に伸ばした白髪に翡翠の瞳で皿を見つめる幼子。彼女の手元には、少年と比べて比較的焦げ目の少ないベーコンとトーストの姿。

 サイク・M・ハイラインは不摂生極まる前世の生活を最愛なる殺戮者のジル・ミストレンジにまで味合わせようとは微塵も思わず、かといって貴族生活では料理の腕を磨く機会にも恵まれない。故に本人の意気込みとは対照的に、肝心の料理は何とも言えない様相を呈していた。

 幸いとでもいうべきか、同居人は食に精通している訳ではない。

 ナイフ捌きに淀みがないのは不幸中の幸いというべきであろう。振る舞った側の後悔さえ除けば。


「しょっぱかったかー。今度からは参考にするね」

「あ、それでも美味しいのは美味しいからね。気にしなくてもいいよ、お兄さんッ」

「大丈夫大丈夫、一つづつ作ればいいからさ」


 気を使ったジルに対して鷹揚な態度を見せると、サイクは手元のトーストを齧る。

 バターを塗っただけの簡素な味付けだが、だからこそ失敗しようもない。適度な焼き加減と香ばしい風味が口内に広がり、少年は表情を緩めた。


「あ、そうだ。俺は朝食食べたら仕事に行くけど、ジルちゃんは家でゆっくりしててね」

「えー!」


 サイクとしては目に届かない範囲にジルを放置するのは、ただでさえ聖骸を巡る戦いが激化していく王都では不安が残る。が、だからといって秩序の最前線たる職場にまで連れていく訳にもいかない。

 最悪を回避するためのお留守番なのだが、彼の思惑をジルが把握するかとは別問題。


「えー、じゃない。外であんまり好き勝手やってたら、いつかこわーい人達がやってきちゃうよ?」


 脳裏に過るのはアストレイ本編にて、ジルと矛を交えた多死者達や魔術師、そして主人公を担うホムンクルス。

 ただでさえ個人で活動して味方に乏しかった彼女は多勢に無勢の戦況をひっくり返すことも叶わず、儚い命を散らすこととなる。自身にとっての望む死の形すら分からぬままに。

 サイクが回避すべき最悪とは突き詰めるとそこであり、他の事態など些事に過ぎない。


「やーだー、一人で待つなんてやーだー!」

「俺もせっかく会えたジルちゃんと離れるなんて嫌だけど、働かないとお金がなくてね」

「そんなの他から取ればいいじゃん!」

「いや、ジルちゃんと違って俺だと足がついてね……」


 駄々を捏ねるジルを宥めると、サイクは空になった皿を水へつけた。そして幼子の視界から消え、寝間着から王立騎士団の正装へと着替える。

 四肢の甲冑を除いた制服は平時とまた違った印象を受け、無駄に伸ばしたベルトの丈がどこかだらけた雰囲気に寄与した。

 最後に姿見へ目を通して身なりを整えると、少年は再び幼子と顔を合わせる。


「それじゃジルちゃん、大人しく待っててね。じっとしてたら帰りに誰か連れてくるからね」

「ぶー」


 ジルは不貞腐れて頬を膨らませるも、不満を抱く表情もまた愛おしい。見た目相応の態度に口端をニヤつかせると、満足したようにサイクは玄関へと足を進めた。

 彼女の説得に成功したという、致命的な錯覚を抱いたままに。


「……そういえば、もしかして俺って無断早退したことになるの、か?」


 昨日は念願のジルとの邂逅に興奮していた。

 胸が高鳴り、心が踊り、灰色の世界に色彩が急速に広がっていった。

 しかし一晩経って幾分か冷静さを取り戻した今となっては、盛大にやらかしたのではないかと冷や汗が止め処なく溢れてくる。

 足取りにこそ影響が現れないものの、心境は断頭台への一三階段を上るにも等しい。

 やがて赤煉瓦の大通りへと身を躍らせ、徐々に詰所との距離も縮まる。可及的速やかに言い訳を考える必要があるのだが、泥が詰まったかのように思考が回転しない。

 そして、彼の視界には今一番会いたくない少女が飛び込んでくる。


「サイクッ、昨日はいきなりどうしたんだい?」


 金糸の髪をボブカットに纏めた少女が、胸元で腕を組みつつ鋭利な赤の視線を相方へと注ぐ。冷厳なる声と共に。


「お、オルレール……そ、その、昨日はだな……」

「昨日は? いったいどうしたんだい。私に犯人輸送を押しつけて、詰所にも顔を見せず、いったい何処に行ったんだい?」


 大衆から好奇の眼差しを注がれるのも厭わず、オルレールはサイクへ軽蔑の視線を送った。

 普段ならばいざ知らず、明確に仕事を押しつけているサイクには碌に反論する術もない。ただ彼女からの突き刺さる目つきに晒され続けた。


「ねぇ、答えてくれよサイク。私はいったい何のために延々と来るかも分からない幼馴染を待ってたんだい?」

「フハハハ、そこまでにしてやりなよオルレール!」

「ゲッ」


 嫌に上機嫌な笑い声にサイクが振り返れば、背後に立つのは最も会いたくなかった人物の一人。

 入団試験の実技に於いて少年に圧倒されつつも合格し、以後事あるごとに突っかかってくる恰幅のいい男子。


「ツオイ……!」

「辺境伯様は環境の変化に対応し切れていないんだろうさ。何せ弄れる土も王都にはないんだからなッ、ハハハ!」


 破顔大笑。

 自分を負かした男の拭い切れない失敗を前に、ツオイは思うままに表情を歪める。腹を抱え、今にでも転げ回りかねない様相の男子を睨むも、即座に背後から殺気染みた目が突き刺さる。

 彼女自身が振るう槍の刺突にも似た精度で、背後の男諸共に。


「ツオイは夜勤だったよね。これは私とサイクの問題だよ、余計な茶々を入れないで」

「え、あ……は、はい」

「そしてサイク、君の言い分は何だい?」

「えー、あー……その、ちょっと、今は言い辛いといいますか……」


 誤魔化す気満々の濁した言い方にオルレールは一歩踏み出し、圧を強める。思わずサイクも後退るが、流石に連続殺人鬼を匿っているなどと宣う訳にはいかない。

 いったいどうするか、思考をフル回転させる寸前に詰所から救いの手が飛び込んできた。


「いつまでやってる二人共ッ、朝礼を始めるぞ!」



「近頃女性を狙った殺人事件が多発している。犯行は一律で路地裏で行われ、被害者はいずれも凄惨な方法で殺害されている。世間では笑顔魔スマイリーなどと呼ばれているとのことだが、このような蛮行を我らが許すなど、メシエル・セイヴァの名の下に決して許容し得るものではない!

 これに対応して、我々も路地裏などの死角となる場所への哨戒を重点的に行うッ。皆、心してかかるように!」

「はい!」


 団長からの指示に応じ、サイクを含めた騎士達は敬礼で返す。

 証拠抹消によって消滅する証拠はジルへ近づきうるものに限定される。死体そのものが消滅する訳ではない以上、衆目に晒される事態も当然起こり得る。

 多死者は自前で魔力を生成することができず、他者との契約で魔力を供給してもらうか殺害して魂ごと貪るかの二択を迫られるのだ。とはいえ、ジルの殺人嗜好には実用性よりも性分の側面が強いが。

 嗜好故に犯行の共通点を見出すのも容易。彼女の笑顔への固執が、スマイリーなどという通称にも繋がったのだろう。

 いっそ霧の街の殺人鬼よろしく紙面を騒がせ、模倣犯が現れでもすれば犯行が紛れて状況は好転するかもしれない。が、今は沈黙こそが金を生む。


「……」


 サイクは隣に立つオルレールを一瞥すると、奥歯を噛み締めて抑え切れぬ怒気を滲ませていた。

 両親を野盗の手で失い孤児院生活を送ることになった彼女にとって、理不尽をばら撒く存在を許容できようはずもない。

 本質的にはジルと出会うために王立騎士団へ志願した少年よりも余程全うな動機を彼女は抱えている。ともすれば彼とは無関係に入団試験を受験していたのではないかと思う程に。


「オルレール、行こう」

「……あぁ、分かった」


 肩を叩いて声をかけると、オルレールは瞬き一つで殺意に滲んだ瞳を平時のものへと引き戻す。低く響く返事だけが、彼女の仄暗い決意を露わにした。

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