第9話『愛されlady』
「ねー、お兄さん。どこ行くの?」
運命の出会いを経て、サイクはジルと手を繋いで王都の大通りを歩いていた。
時間は昼過ぎ。本来ならば王立騎士団の一員として哨戒に当たっている時間帯であるものの、今や彼の脳内から全うな職業意識は消し飛んでいた。
何せ最愛の殺戮者との初顔合わせ。
たかが仕事に割り込む余地などない。
「今から行くのは俺が借りてるアパートだよ、ジルちゃん」
「どーしてー?」
「君に見せたいものがあるんだ」
サイクは努めて穏やかな声音でジルからの質問に応じる。
現在身に纏っているのは王立騎士団の正装。職務放棄を指摘されれば逃れる術のない状況でこそあるものの、膝下にかけて付着した血痕が民衆からの声かけを抑え込んだ。
また非番の証明として平時は胸元につけている騎士団所属を示すバッジもポケットへ収納している以上、勤務をサボっているのか元々休みなのかの判別など常人には叶わない。
結果として多少奇異の眼差しを注ぐ人こそいれども、彼らへ一言何かを伝えようとするものは皆無なまま、二人は目的地へと到達した。
「到着だね、ここが今借りてるアパートだよ」
サイクが手を向けたのは、大通りから一歩距離を置いた外れに立地するアパート。
周囲の色取り取りな家屋とは対照的に色を失った灰の煉瓦。時間帯もあってか人の気配を感じない雰囲気に、四月にも関わらず手入れの一つもされず枯れ果てた花壇。一歩外れた路地裏から野良猫の眼光が背筋へと突き刺さった。
玄関上に設置された『ハイムキングス』という名が空々しく響く中、二人は建物内部へと入り込む。
木製の階段を上って三階。階の端にある三〇七号室の扉に鍵を差して開錠する。
「さぁ、ここが今日からジルちゃんも過ごすウチだよ」
「わー!」
扉の内に広がっていたのは、入居時との差異が伺えない殺風景な部屋。廊下から三つの部屋と浴室、そして埋め込み式キッチンが隣接している内部は一人で暮らすにはやや手広く感じられる。
が、本棚には隙間なく本が並んでいる一方で他の私物には乏しく、机やベッドなどの必要最低限しか見当たらない。陽光が直接当たらないような最低限の配慮こそされているものの、地べたに置かれている葡萄酒の瓶が場違いな印象を受けるほどに。仮にも貴族の部屋とは到底認識し難い様相を呈している。
だからなのか。ジルを追って部屋を巡ったサイクが追いついた頃には、勢いよく部屋へ飛び込んだ最初が嘘のように表情を暗くしていた。
「うー、あー、何もないー……」
「ハハハ、まぁ、そうなるよね」
露骨な落ち込みように苦笑するも自室が物に乏しいのは事実な以上、言葉の返しようもない。同時に、落ち込んでいる彼女は逆説的に見せたいものが発見されていないことをも意味する。
喉を鳴らすサイクは上機嫌で手招きすると、ジルを背後に一つのクローゼットへと足を進めた。
招いたクローゼットがある部屋はベッドや机、本棚がある他二つと異なり、完全なる殺風景。手つかずとすら思える状態は、一見すれば部屋を持て余しているようにも窺える。
首を傾げる幼子の前で、少年はわざとらしく声を張り上げた。
「さてさて。本日から共に過ごすこととなる親愛なるジル・ミストレンジを歓迎すべく、この俺サイク・M・ハイラインがご用意しましたのはこちらになります」
大仰な仕草でクローゼットを開けると、中には一つの簡素なトランクケースが入っていた。ジルが目線を上げる必要のあるケースは時折揺れ動き、耳を澄ませば甲高い声が微かに鼓膜を震わせる。
見る人が見れば不気味な印象すらも窺える黒のケースへ手を伸ばすと、サイクは自慢気な表情で幼子を見つめた。
「それではジルちゃん、ご期待下さい。三、二、一……!」
「〇」
ジルのカウントを合図に鍵を開けると、中身が露わとなった。
「んー、んー、んんんッ!」
体育座りの姿勢に両腕を結ばれ、口には猿轡が為された女性が。
突然の光明に目を瞬かせる女性は思わずケースから転がり落ち、咄嗟に躱したジルの側に倒れた。
見下ろす怜悧な視線に背筋へ冷たいものを走らせる様を他所に、サイクは疑問符を頭上に浮かべた幼子を見つめる。彼女当人への関心に比べたら、あくまで捧げる供物に関心などないとばかりに。
「これ何って感じだね、ジルちゃん。これは適当な女性をちょっとした魔術で部屋まで誘導して、縛りつけたものさ。
名前はなんだったかな……まぁ、なんでもいいよね。どうせこれからこう、なんだし」
「……! んんん!!!」
右手で首を刎ねるジェスチャーをすると、女性は自身に待ち受ける鮮血の結末を予期したのか。一層激しく声を上げた。
「お兄さんの手助けって、こういうことなの……?」
一方のジルは翡翠の瞳で漆黒を見つめると、素朴な疑問をぶつける。
対してサイクは感情のままに両腕を広げ、歓喜のままに声を上げた。
「そうだよ。ジルちゃんがやりたいって言ったら俺はいくらでも人を運んでくるし、証拠隠滅のために魔術も多少は齧ったつもりさ。
何も恐れることはないよ、ジルちゃんはただジルちゃんが思うようなジルちゃんとして生きればいいのさ」
「ジルが、思うような……」
「そうッ。
己の口上に酔った調子で告げるサイクはジルへ手招きする。
レクイエムオブアストレイの正史に於いて、ジルは無軌道な殺人行為を繰り返していく内に主要人物からマークされていく。最終的に決戦の舞台へ赴く前段階として市民の被害を無視できないと、個別で討伐対応を取られるようになってしまった。
原因の一つは環境の差。
ジルの存命期ならばともかく、多死者や魔術師が聖骸を巡って争い合う状況下では笑顔という共通項を持つ数多の死体は不自然極まりない。更に証拠抹消への過信が重なり、行為が発覚してしまった。
なれば、一つの部屋へ誘導して死体の遺棄も完璧に行えばいい。
現代社会ならばいざ知らず、監視カメラもない中世を下地にした救歴世界ならば多少雑な誘導でも成立する。
「……んー、うー。ま、せっかく運んでくれたんだし」
腕を組むと何度か首を捻るが、やがてジルは右手に出刃包丁を握り締めた。
明確な殺意に女性は目を見開き、声を大にして抗議を示す。が、猿轡が外れないために彼女の悲鳴に明確な意味は乗らない。
そして、ジルを楽しませる一時の玩具以上の価値も。
「……」
頬を切り裂き、無理矢理笑顔にされた女性の遺体をバケツへ放り込む。次に遺体から弾き出された内臓を拾っていき、最後は斬られた指や手足の部位。
滞りなく全てを納めると、サイクは本棚から取り出した本を片手に指先を向けた。
「──其は原初の一、生命の源。
星の息吹の一端よ、斯くも猛き燃え盛れ──」
「おー!」
詠唱に続き指先から放たれた火種が遺体に触れ、一瞬にして焔がバケツ内部へと伝播。火元を舐め尽くさんと激しく燃え広がる。
感心の声を上げるジルとは裏腹に、サイクは何度か天井を見上げて不安に心を苛まれた。証拠隠滅や各種活動のために魔術を幾つか聞き齧ったものの、如何せん独学。細かなミスが起きても不思議ではない。
が、焔が安定してくると流石に失敗はないだろうと安堵の溜め息を漏らした。
「良し、それじゃシャワー浴びようか。ジルちゃん?」
「えー、シャワーやだー」
「我儘言わないの。大丈夫だから、俺も一緒に入って洗うからさ」
「やーだー!」
嫌がるジルを引っ張り、浴室まで運ぶとサイクは彼女の血に濡れた衣服を引っぺがし、生まれたままの姿へとしていく。
続いてジルが抜け出さないよう警戒しつつ自らの服を脱ぎ捨てると、二人一緒にシャワー室へと入り込んだ。
下地がアニメや小説媒体故か、風呂やトイレといった見目に関わる要素には現代と比較しても大差ない水準のものが用意されていた。実際、糞尿を外へぶちまけていた時期の忠実な再現は歴史の再現にでも任せ、娯楽目的の作品では見目を整えられるリアリティさえあれば文句はないだろう。
救歴世界に於いては、魔道具こそがリアリティの担保を一任している。
サイクが蛇口を捻ると、程よく肌を刺激する熱い湯が二人の頭から降り注ぐ。
「キャー」
「こら、暴れないの」
嫌がってなおも脱出を目論む幼子を抑え込むと、サイクはシャンプーやボディソープを駆使して全身を隈なく洗っていく。
ジルからの抵抗は最初こそ激しかったが、慣れてきたのか。あるいは逃走は不可能と諦めたのか。徐々にされるがままに清潔感を増していった。
とはいえ王都を訪れてからこの方、碌にシャワーを浴びたこともない身分。
白磁の肌は何度も泡や湯を弾き、中々汚れをこそぎ落とせなかった。
若干の朱や垢の混じった湯が排水管を流れる様には一筋の不安を抱くものの、下水からDNA鑑定を行う技術など今の世界に存在はしない。
「どう、サッパリしたでしょ。ジルちゃん?」
「うー……したのは、したけどー」
「じゃあ、いいじゃん」
タオルで身体に残った水滴を拭う間、どこか不満そうなジルの表情が鏡に写り込んでいた。
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