第二章──餓鬼道邂逅編

第7話『邂逅』

 時代は移り変わり、冬の季節から春の季節へ。

 救歴一〇九六年。

 大衆は正道ならざる物語の始動を知らぬまま、日常を歩み続ける。

 知れば常と同様の生活などできず、かといって知ったところで打つ手のない理不尽の極み。なれば一層のこと、無知こそが幸運とも称せるだろう。

 王都の一角で繰り広げられる騒動もまた、現実の枠組みに収まる以上は日常の一幕に過ぎない。


「ほら、待てよー」


 人混みを器用に掻き分け、少年は気怠い調子で静止を訴えた。

 青を基調とした制服に、四肢には陽光に煌めく白銀の甲冑。たなびく黒髪は紛れる人々の持つ色味とは大きく異なり、鋭利に尖れた漆黒の瞳もまた奇異の代物。

 一歩踏み込むごとに足へ微細な魔力を込め、逃走者を追跡すべく少しづつ速度を上げていく。

 無造作な加速をしては大衆への被害も甚大。

 彼ら彼女らは最愛の殺戮者へと捧げる貢ぎ物に他ならず、己が我欲のために傷をつけるなど以っての外。

 だからこそ、一五歳を迎えたサイク・M・ハイラインは煉瓦にヒビ一つ入れぬ精密な魔力操作で追跡を続行する。


「クソッ、王立騎士団がいるなんて聞いてねぇ!」

「一々犯罪者に通告するかよ、俺達の存在をー」


 追われる側もサイクの気配を感じ取ったのか、背後へ悪態を突く。

 無意味な言葉を宣う犯罪者へ適当に返事をすると、サイクは両足を折り曲げる。

 大衆は自然と両者を邪魔しないように舞台を捌け、気づけば遮るものは一つもない。お膳立てをされてしまえば、力をセーブする意味も消失。残るは──


「期待に応える、準備ですかねぇ!」


 瞬間、サイクは限界まで膨れ上がった太腿を解き放ち、同時に足へ蓄積した魔力も開放。

 弓矢を遥か彼方に超越し、現代に於いての弾丸と形容すべき速度が大気に穴を開け、急速に彼我の距離を詰める。

 そして腰に携えた剣の柄を握り締めると、相手を射程圏内へ引き摺り込む。


朔日さくじつ流剣術、蟷螂の蛮勇」

「ガッ……ァ」


 親指で柄を僅かに押し出すと、魔力と膂力を併用して抜刀。

 空を切る音が後を追い、刹那の間ながら剣閃が陽光を塗り潰す。駆け抜ける一条の光を阻む術はなく、故に背後を取られた男の意識は一瞬にして刈り取られていた。

 だが袈裟掛けに斬りつけられた背中から夥しい流血は続かず、衝撃で破れた衣服の奥には生々しい青紫の痣が刻印されている。

 捕らえるべき逃走者は二名。

 抜刀の勢いをそのままに身を翻し、剣の切先を斬撃を免れた男へと注ぐ。


「沈め」

「な、めるなよッ」

「お?」


 甲高い剣戟の音が鳴り響き、サイクは驚愕を露わにする。

 どこから取り出したのか、男も剣を引き抜くと腹で刃を受け止めたのだ。ただの硬度頼りであらば如何に中空で踏ん張りが効かずとも、容易に粉砕が叶う。

 にも関わらず、鍔競り合いは成立した。

 疑問に思った少年が視神経を通じて魔力を目へ注ぎ、視覚を強化。

 注視すれば手首に感じた違和の正体にも気づく。相手の刀身にも木の根を彷彿とさせる歪な魔力の注入跡があることに。


「コイツも魔力を」

「騎士団、風情がァッ」

「とっ、とと」


 膂力で弾き飛ばされ、サイクは空中でバランスを取ると数歩たたらを踏む。が、数秒にも満たぬ短期間の内に彼我の距離は急速に離れていく。

 幸いなことがあるとすれば、彼もまた単独で行動してはいないということ。


「悪い、マズったわ。オルレール!」


 顔を上げ、漆黒の瞳は逃走犯の奥で待ち構える少女へと視線を注ぐ。

 サイクと同様の制服と甲冑を身に纏い、金髪を耳の辺りで切り揃えた美女。現代ならばモデルとしても成立する恵まれた肢体に握り締めるは、身の丈にも及ぶ長大な馬上槍。

 穂先にも匹敵する鋭利な赤の眼光は逃走を諦めて柄を掴む男と、逃走犯に遅れを取った同期を睥睨する。


「邪魔をするなァッ」

「市井に迷惑をかけておき、言うに事欠いて戯言を」


 腰を低く構え、美女は大衆を一瞥しても特異な短髪を振り乱す。

 解き放たれるは、サイクが振るったものとは比べ物にならぬ暴力的な圧力を秘めた刺突。彼女が生来持つ膂力に加えて恵まれた魔力を存分に注いだ一槍は、突き刺さんと勢いをつけた男の刀身を独りでに自壊させる。

 打ち合う、などという次元ではない。

 単なる風圧と大気に伝播した魔力が強かに男を打ちつけ、一突きの下に意識を強引に刈り取ったのだ。


「うおっ、とっとと。あぶねぇな、おい」


 出鱈目な速度で弾け飛ぶ男へ左手を伸ばすと、思わず一緒に吹き飛びかねない勢いに足を踏ん張る。

 一瞬、肩が外れるかと錯覚した。が、咄嗟に剣先を煉瓦へ突き立てて三点で保持。

 ゆっくりと息を吐き、視線を数メートル先から迫る少女へ注いだ。


「オルレール。俺がいなきゃどう回収する気だったんだ、これ」

「済まないサイク。ふざけたことを言われて、つい」

「ま、逃がした俺も俺だし、尻拭いさせたようなもんか」


 掴んでいた男を手放し、先に意識を奪った男の上に重ねる。乱雑な扱いだが、どうせ今から捕縛するのだ。多少適当でも問題はないだろう。

 遅れて到着したオルレールが腰から縄を取り出すと、ちょうど時計塔が正午を告げる鐘を鳴らした。


「む、正午か。どうだいサイク。こいつらを詰所へ連行したら、一緒に昼食としないかい」

「正午……オルレール、今日っていつだっけ」

「いつって……」


 文脈を無視し、上から質問を重ねられたことでオルレールは頬を膨らませた。が、微かな苛立ちを一瞬で消化すると、同郷の幼馴染からの質問に応える。


「今日は四月の一五日、曜日は必要かい?」

「だよな……!」


 捕縛のために腰を曲げていたオルレールは気づかない。

 日時が判明した途端に少年の目が血走り、口に凶悪な三日月が昇っていたことに。


「あ、おいッ」


 そして同僚の静止をも振り切って、咄嗟に駆け出した。

 全魔力を両足へ注ぎ、煉瓦はおろか道行く人々への配慮すらもかなぐり捨てる。ただ時間の無駄という理由でぶつからないだけで。

 この一刹那のために、一五年待ったのだ。

 今や一分一秒が惜しい。風神となりてもなお遅過ぎる程に。

 王都の街並みならば、王立騎士団に所属してから哨戒に欠かせない必須事項として一層深く頭に叩き込まれている。元々の下地も相まって、蜘蛛の巣の如き路地裏すらもサイクにとっては遊園地の迷路同然。

 最愛の殺戮者というゴールを目指す、アトラクションにも等しい。


「ここらなら、いいな……!」


 路地裏に入り込んで周囲の目がないことを確認すると両足を曲げ、足元への配慮も無視して跳躍。

 足りない分を壁面を蹴り上げてカバーし、三階建ての建物の屋上へと到着して疾走を再開する。

 上から路地裏を見下ろすと、血眼になって現場を捜索した。

 レクイエムオブアストレイの物語は五月から始まる。だが、何も全てが五月から始まる訳ではない。

 たとえば多死者カルデッドの数名は先んじて王都へ潜伏して聖骸を巡る戦いの事前準備を推し進め、幾つかの事件は数年前から発生している。そも主人公たるホムンクルス自体、数日前からの製造で間に合う訳もないのだから。

 最愛なる殺戮者の犯行も、昨年から続く一つ。

 彼女が保有する多死者特有のスキルもあり、殆んどの犯行は日時の判別すらつかない。が、前世からの記憶を持ち越しているサイクには、たった一つだけ例外的に把握できる事件があった。


「小説一巻七五ページの挿絵……そこには四月一五日の犯行という証言が残されていた。おそらくアレは彼女の証拠抹消があくまで彼女自身に由来する情報に対して適応されるものであり被害者由来の情報には不適用なことへの伏線。引いては第三者即ち俺が前世から持ち込んだ観測情報は有効という証拠ォ!」


 他者へ伝えるつもりのない早口を終え、視線を下ろすと不自然な赤が視界に割り込む。

 灰色の煉瓦、薄暗い路地裏をして目を引く鮮烈なる赤。原色を剥き出しにした違和感が少年の心を高鳴らせる。

 とはいえ、彼女の嗜好を邪魔する気は皆無。

 サイクは音を立てぬよう慎重に隣の路地裏へ着地すると、大きく深呼吸。走って乱れた呼吸を落ち着かせると、歩みを進めた。

 頭上から確認したルートを突き進めば、辿り着くのは幼子の後ろ姿。

 奥の壁面に塗りたくられた鮮血は、簡素ながら無垢に笑う子供を連想させた。幼子はしゃがみ込み、両手を血の海に浸しては壁へとぶつける。己が手を筆代わりにした名画を作ると、不意に身体を硬直させた。

 数秒の間を置いて振り返ると、翡翠の瞳は敵愾心に満ち溢れている。

 腰まで無造作に伸ばした白髪に、端々が擦れた白のロングワンピース。手袋を脱いだ両手こそ鮮血に濡らしつつも素肌は白磁を彷彿とさせた。訝しげな視線を注ぐ翡翠の瞳の上で、右側の額につけられた縫合痕が微かに歪む。


「誰、お兄さん?」


 鼓膜を伝わるは天上の調べか。

 一触即発の剣呑すらも、今のサイクには高級布団に包まれると同等。

 何故ならば──


「俺かい。俺は君の信者ファンだよ、ジル・ミストレンジちゃん」


 最押しと同じ世界に生き、同じ空気を吸っているのだから。

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