第6話『騎士団入団試験・後』

 王立騎士団への入団試験は年一回、寒風吹き荒れる冬の時期に行われる。

 試験は二日間に渡り、筆記の一日目を終えると騎士団名義で借りたホテルで一泊し、実技の二日目へと突入。筆記の合否も分からぬ内に剣を交える。

 無論、今年を逃せば王都で活動する最大の大義名分を失うサイクに抜かりはない。


「ラヌート王国の初代国王は誰か──クリフォ・T=ラヌート」


 四則演算という前世で慣れ親しんだ計算式が適用される世界であることは、サイクにとって幸運であった。


「王家を意味する称号であり、拝命されていない貴族が名乗ってはいけない文字を答えよ──T」


 見慣れない国語やレクイエムオブシリーズでも明かされてない──もしくはそもそも設定されていない歴史への比重を高められたのだから。


「個人の魔力量を増やす研究に生涯を費やし、魔術学の発展に多大な貢献を果たしたのは誰か──確かアレス・クロウラー……いや、クロウか?」


 剣術を鍛える必要もあった以上、勉学に傾倒して対応することはできない。

 かといってヤマを張って外れてしまえば目も当てられない。


「以下の土地の面積を求めよ──こりゃ楽だな」


 故にサイクが取った手段は、広く浅く。

 ハイライン邸に存在する多数の本を手当たり次第に読み漁り、注略や深掘り部分はひとまず無視。本文に目を通して頭に叩き込むことを優先した以上、身についたとは言い難い。が、試験まで持てばそれでいい。

 本質的な理解は、どうせ高校受験でも不要だった。

 ならば今世でも学者を目指さない限りは同様に違いない。


「貴族の身体ってのはすげぇな。こんな無茶がまかり通る……!」


 だからこそ試験の終了後も、サイクは微塵も不安に呑まれることなくホテルで熟睡することが叶った。

 翌日の実技に向けて。


「で、今度は闘技場での実技か」


 引率係の騎士に誘導され、受験生が赴いたのは石造りの闘技場。

 楕円形の観客席に四方から見つめられる中心部に、陽光対策として上部に設置された天幕。極端な勾配は見る者に不安を抱かせるも、注視すれば最後列以外はのめり込まなければ大丈夫な程度の対策が施されていた。

 総じてサイクが受けた印象は、古代ローマに存在したコロッセウム。

 奴隷が存在したという話は聞かないが、単純に腕自慢が技を競う場所としてならば本筋に絡まない程度に紹介されていたのを思い出す。


「なるほど、マルスが活躍したって言ってた闘技場はここのことだったのか」

「そこ、私語は慎むように!」


 独り言を咎められ、サイクは視線を落とす。

 静かになったのを確認すると、試験官は内容の説明を再開した。


「オホン。えぇ、では改めて試験内容を説明する。

 本試験は至って単純、受験生同士で模造刀及び幾つかの装備を用いた模擬戦をしてもらう。勝敗自体も評価には関わるが、本試験では内容を重視して合否を判断する。

 故に敗北しても不合格と確定せず、逆に勝利しても合格と決まる訳ではない。また相手を殺害してしまった場合はその時点で試験は失格だ。事前の誓約書は殺害許可とは異なる。努々忘れることがないように!」

「試験官様、使えるのは模造刀だけでしょうか!」


 腕を伸ばしたオルレールは疑問を告げた。


「いい質問だ。模擬戦前に申告すれば、任意の武器を使用することを許可する。ただし、あまり特殊な武器のストックはないから、そこは留意するように。また装備に関しては変えもなく脱着も禁止だ」

「分かりました、ありがとうございます!」


 疑問が氷解し、オルレールは律儀に頭を下げた。

 同郷のサイクには彼女が真に担う得物が剣にあらずと把握している。尤も、特殊な得物は存在しないと明言されている以上、万全の状態で挑めるかはまた未知数であろう。

 彼からすれば、少女の合否も含めて関心が薄いが。


「それでは、これより模擬戦の組み合わせを発表する。他の受験生は観覧席で待機しておくように」



「で、開幕が俺なのはまだいいとして」


 大口を開けてわざとらしい程に虚脱感を示すも、今更対戦相手が変更となる訳でもない。

 両手足に装着した魔術によるものと思しき異様な重量を誇る甲冑もまた、初戦を務めるのがサイクであると如実に証明していた。

 観覧席からは受験生と騎士の眼差しが一心に注がれている。

 特に受験生はサイク達の模擬戦から少しでも学ぶものを得んと充血した目を向けていた。向上心の高さは未来の同僚候補としても微笑ましいが、ならば対面を変わって欲しいのが本音というもの。


「頑張って、サイクー!」


 声を張り上げて応援するオルレールの姿に、何人かの受験生は教本から嫉妬へとサイクへの眼差しを切り替えた。


「なぁ、今からでも対面変えないか。あそこで大声出してる女の子とか」

「ふざけんなよ、クソ庶民……!」


 怨恨凄まじく柄を握り締めるは、恰幅のいいモヒカン。

 喋る豚呼ばわりが余程癪に触ったのか、目には殺意の薪を限界までくべた憎悪の炎が燃え上がっていた。


「今更棄権した所で逃がす気は欠片もない。どっちが上か骨の髄、魂の断片にまで刻み込んでやるぞ……!」

「いや、そういうのいいんで。普通に模擬戦しましょうや……」


 剣の切先を向けるモヒカンに対し、サイクは致命的なまでにやる気が欠如していた。絶対に取りこぼしが許されない大事な模擬戦にも関わらず、である。

 相手は殺意に満ち溢れ、一方で少年側は不殺が大前提。

 割が合わないという次元ではない。せめて対等な条件で剣を交えさせて欲しい。

 嘆息を零し、サイクは漆黒の瞳を地面へ向ける。そしてゆっくりと目蓋を閉じ、聴覚が機能する程度に意識を内へと埋没させた。


「怖気づいたかクソ庶民ッ。これが貴族と矛を交えるということだッ、その恐怖を全身隈なく行き渡らせてッ……!」

「それではサイク・M・ハイライン対アキラッカ・N・ツオイの模擬戦を開始するッ。

 いざ尋常に……勝負!」

「一生家に引き籠ってろッ!!!」


 開戦の合図と同時。

 モヒカン改めツオイは力強い踏み込みの下、素早くサイクとの距離を詰めた。


「サイクッ!」


 一方の少年は開戦の合図を前にしても微動だにせず、握られた模造刀も切先を地面へ向けられたまま。

 奇策としても博打著しく、少なくとも勝敗のみで全てを判断しない入団試験で取る手段とは到底思えない。

 故に見守るしかないオルレールは悲鳴にも似た声を上げ、サイクへと呼びかけた。

 同時にポケットから取り出した平民らしからぬエメラルドのブローチを握り締めると、固く願う。幸運の意味を持つならば、今回ばかりは幼馴染にも同等のものを恵んで欲しいと。


「死ぃ……!」


 一秒が一分に、一分が一時間に。

 無限に裁断される時間間隔の中、サイクが想起していたのは前世の記憶と秘めたる願望。

 やる気が致命的に欠如した以上、別口から補充するのは欠かせない。気に食わない相手との理不尽なハンデマッチを乗り越えるに足る、戦う理由を。原点を。

 眼前の男を乗り越えれば、ジルがいる王都を一望できる。

 喋る豚を不殺で攻略すれば、白髪の幼子が膝に座る生活が待っている。


「クソハンデマッチをクリアすれば、最愛の殺戮者の殺人が生で見れる……!」

「ねぇ!」


 全身に活力を漲らせたサイクは口角を吊り上げ、漆黒の瞳を見開いて迫る剣閃を認めた。

 刹那。


「……あ?」

「あぁ、そうだ。こんな場所で膝突いてる暇はねぇんだよ、こっちには」


 魔力を総動員して両足と右腕へと集約、模造刀の上段を正面から受け止める。

 弾ける大気の衝撃が周囲へ叩きつけられ、多くの受験生は咄嗟に目蓋を閉じた。サイクの奮闘をしかと見届けんと赤の瞳を見開いたオルレールを除いて。

 だが剣筋一つを止めるだけで戦いは終わらない。


「ッ……少しできるからと!」


 ツオイは模造刀を引き戻すと、サイクと同様に魔力を全身に漲らせて身体能力を強化。驟雨の如き連撃を叩き込む。

 一撃の重さよりも重視したのは手数。

 如何なる手段を用いて魔力の使い方を知ったのか。だが、所詮は庶民の猿真似に過ぎない。なれば全霊を以って刃を振るい続ければ、いずれ対応し切れなくなって敗北する。


「いい気に、なるなよ……クソ庶民ッ!」

「悲しいな、ただの端役モブはさぁ……」


 ツオイにとっての誤算は幾つかあるが、無様な敗因は至極単純な要素。怒りで我を忘れたことに他ならない。

 冷静に模擬戦前の名乗りを聞いていれば。

 冷静に魔力操作の精密性へ目を通していれば。

 冷静に彼我の実力差を把握していれば。


「生きてるだけで穏やかな気持ちになれる存在を知らない」


 少なくとも身体能力任せの瞬殺を狙う愚行を犯すこともなかった。


「はぁ?」


 やがて勢いのまま、息も絶え絶えに連撃を繰り返すツオイも疑問を抱く。

 サイクは右腕一本で全ての剣戟を迎撃し、更には呼吸の一つも乱していないと。

 何ならば刀身を保護するために欠かせない分すらも攻勢に回し、己の模造刀は既に限界が近い。だというのに、少年の得物には刃毀れの一つすらも伺えない。

 幾重に連なる刃の音はツオイにとっては悲鳴だが、サイクにとっては福音にも等しい。


「魔力とは身体機能と異なり、鍛えることがほぼ叶わない。それは才能への極度な依存を意味する。

 つまりは主要人物と端役、更には俺とお前でも絶対的な格差が生じるってことだ。そらそうだ、序盤と終盤の端役が釣り合うかよ……!」

「何をふざけたこッ……!」


 ツオイの言葉は強引に遮られる。

 空を裂く、無尽蔵の刃によって。


「朔日流剣術奥義、神隠し……一厘」


 太刀筋を見せない刃の究極系とは、目にも止まらぬ異次元の斬撃。

 奥義の一端を成立させたサイクの脳裏によぎったのは、レクイエムオブエクストラに登場した暗殺教団と結託した東洋の剣士。

 多死者として姿を見せた剣士は朔日流剣術の奥義として、神速の連撃をプレイヤーへお見舞いした。魔力と類稀なる身体能力の合わせ技により、一秒間に一〇万もの斬撃によって。

 如何にツオイの語る庶民より恵まれた肉体と全霊の姿勢とはいえ、端役に多死者の技を完全再現とはいかない。


「精々は一〇〇振り……うん、一厘だな」


 砂埃を上げ、強引に意識を刈り取られた恰幅のいい少年の肉体が落下する。


「……勝負アリッ。勝者、サイク・M・ハイライン!」

「やったッ、サイク!」


 別に観覧試合ではない。

 歓声を上げるのが付き添いの少女一人だとしても、大した不思議もない。

 だが、せっかくならばたった一人の観客に答えてあげるのも人情というものか。

 サイクは模造刀を振り上げ、天高く昇る太陽へと突き立てた。合わせてなびく黒髪が勝鬨を連想させ、オルレールの脳裏へと深く刻み込まれる。

 少年の勝利に続くべく、彼と共に先を歩むために。



 サイクが夢への一歩を踏み出したのと同時期。

 陽光届かぬ王都の路地裏、王家の威光も無明の闇へ呑まれる薄暗い深淵の中。一人の女性が生気を失いつつあった。

 痛覚も遥か過去に消え去り、末端の感覚も皆無。流血に熱を奪われて底冷えする冷気が、最早先が長くないことを如実に証明していた。

 何よりも恐ろしいのは、臓腑を抉り飛ばされてなおも致命傷で済んでいることか。


「フフフ。ほら、笑顔笑顔ー」


 女性の眼前では白のロングワンピースを着用した幼子が、両手を使って頬を吊り上げていた。無垢なる笑みを以って、屍へと変わりつつある命を見つめている。

 だが、純白を穢す鮮血こそが幼子への印象を狂人へと塗り替える。

 翡翠の瞳を揺らし、不審そうに彼女は首を傾げた。


「おっかしいなー。これでお姉さんもしあわせなはずなんだけどー。んー……」


 わざとらしく顎に手を当てる様は露悪的ですらあるが、当人に自覚はない。

 やがて合点がいったのか、両手を合わせると幼子は女性の臓物を掴んで黒の手袋を汚した。


「そうだ。お母さんがやってたみたいにこれをこうすれば……できた!」


 伸ばされた指先によって、女性の口には鉄味の口紅による加工が施された。

 満面の笑みを浮かべる表情へと。


「やったやった。これでお姉さんもしあわせだね!」


 無造作に伸びた白髪が喜色に合わせて揺れ動く。

 ジル・ミストレンジの喜びを表現するように。

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