第5話『騎士団入団試験・前』
遠い海を渡り地面に根を張り、収穫期を迎えたジャガイモ畑。辺境の村々は神への感謝を口々に述べて豊作を享受する。
地道な作業を繰り返す農家を抜け、王都への道を進む馬車が一つ。
手綱を担う御者の他に、乗員は三名。
一人は後にハイライン領を辺境伯の爵位と共に受け継ぐ長男、ラージュ・C・ハイライン。
一人は貴族らしからぬ簡素な衣服に袖を通したハイライン家三男、サイク・M・ハイライン。
一年の時を経て、一層伸びた黒髪は今や腰の辺りにまで達していた。
最後の一人、どこか居心地悪そうに縮こまっているのは孤児院出身のオルレール・シフォン。
彼女もまた一年で大きく成長し、起伏に富んだ身体には合わない上着と古着として送られた大人用のズボンを組み合わせて何とか誤魔化している。
友人たるサイクからの勧めで彼と同じ馬車に乗車しているが、貴族二人と同行しては心休まる時間も皆無。
「あ、あの……今回は私のために、あ、ありがとうございます。ラージュ様」
「気にすることはない。我が領地から王立騎士団が二人も出れば、名声も高まるというものだ」
窓の縁で片肘を突くラージュの態度は傲慢そのもの、仮に貴族同士で行えば家への侮蔑も免れない。だが貴族が庶民に接する場合、本来なら彼の態度こそが適切。むしろ多少の失点を無視する分だけ有情ですらもある。
とはいえ、オルレールはサイクとしても終生の友になるかもしれない相手。長男だからといって横柄な態度を続けられても面白くない。
「ラージュ兄様。これから二日かけて王都へ行くんです。あまり同行者を威圧して空気を悪くしないで下さい。それにまだハイライン領は父上のものです」
「だから気にすることはないと言った。それに家督に関しても大部分は俺のものと確定している。今更次男に何ができるとも思えんし、お前に至っては早々に放棄してくれたからな」
「それでもです。オルレールだけならまだしも、御者も聞いてますから」
サイクがラージュの側、御者へ話を通すための目穴を指差す。
手綱を握る後ろ姿こそ不変だが、何も聞いていないのかは一考の余地があった。
反論もないのか。指摘された長男は表情を歪め、憎々しげに視線を窓へと逸らす。
「あ、ありがとう。サイク」
「気にしなくていい。居心地悪いと俺も困るし」
何せハイライン領から王都までは途中の宿場を経由して二日はかかる。今は快晴な天候が悪化すれば更に長期化し、何がなくとも舗装されてない砂利道を進むのだ。ストレス源は少ないに限る。
尤も革製の座席は貴族御用達の高級品らしく、不満を覚えているのは現代の乗用車を知っているサイクだけだろうが。
ストレス源で思い至ったのか、なおも硬い表情を続けるオルレールへ言葉を投げかけた。
「そうだ、もしも用を足したいとかなったら遠慮なく言ってよ」
「わ、分かった。もしもの時は、そうさせてもらう……」
赤い瞳は時折反対側に立つ男へと視線を向けながらも、サイクの提言には肯定で応じた。
ラージュも無闇に威圧するようなことはなく、二日間の馬車旅に目立った問題も起きず。一行は門番からの検問を通過して王都の大地へと踏み入れる。
「わぁ、ここが王都かー……!」
目を煌めかせて目まぐるしく視線を動かすオルレール。孤児の彼女にとって世界とは極限定的な範囲に過ぎず、一方的とはいえサイクの言葉がなければ生涯を領内で過ごしていただろう。
身寄りのない少女の赤い瞳には、王都の町並みは如何なる形で写っているのか。
踏み慣らされた土ではなく強靭な赤の煉瓦が足下を支え、行き交う人々は舞踏会かと見紛う衣服に身を包む。忙しく移動する小型の馬車に色彩豊かかつ規律を以って建てられた建造物の数々。
何よりも目を引くのは遥か先に伺える白亜の王城と、如何なる技術で成立させたのかも分からない発条式の時計塔。
ある意味では世界の歪みとも言える技術発展の象徴は、来訪者と住民に正午を告げる鐘の音を響かせた。
高らかに、荘厳に。
聞く者の意識に神を宿らせるように。
「お前は何も反応がないんだな」
「そうですね、ラージュ兄様。強いて言えばですが……空気が美味しい、母様のミートパイみたいだ」
「……フン」
一方でオルレール同様、王都へ足を踏み入れるのは初体験なサイクの反応は冷淡。
面白くなかったのか、ラージュが揺さぶりをかけてみても反応に然程の変化は伺えなかった。
当然である。
救歴一〇九五年の王都にジルはいないのだから。
物語の舞台と言っても、
故にオルレールへ平時と変わらぬ調子で声をかけられた。
「満足したなら、そろそろ行こうオルレール。試験に遅れて参加できないなんて真っ平だ」
「そうだったな、サイク。急ごう」
「それじゃ、精々お前らは試験とやらを楽しんでこいよ。再会するのは……明日の昼くらいか?」
父上には決して見せない軽薄な笑みを浮かべると、ラージュは人混みの中へ消えていく。家長制度への不信を感じさせるが、下手に突っ込んで事態をややこしくさせる気は微塵もなかった。
故にサイクは迷子にならないようオルレールと手を繋ぎ、困惑する彼女を他所に移動を開始する。
アニメや小説で断片的に描かれた光景だけで一つの町を完璧に把握することは不可能。ましてや首都ともなれば、特筆すべき名所を頭へ叩き込むだけでも精一杯である。
だが、当たり前の現実に地図情報が加わればどうなるか。
「もしかして、サイクは何回か王都に来たことがあるのか?」
「いいや、地図を見ただけだよ。たった九年の間ね」
「たったって……」
写真もなく、地図は手書きが基本の時代。サイクは王都の地図が発売される度に商人から購入し、別の地図と照合してイメージを深めてきた。
作成者の手落ちを抜きにしても、ラヌート王国一の発展を遂げている大都市は生物の如く姿を変えていく。大通りに構えた店など三年も持てば上等なほど、掲げる看板をすげ替えていった。
そして流動的な変化は逆説的に変わらないものの印象をも深める。
「ほら、到着だ」
試験会場である王立騎士団の詰所は、不変たる要素の一つ。
国賊を払う剣にして国民を守る楯を担う詰所は、王城の代わりに流血で汚れる覚悟を示す赤を基調に彩られ、端々に御影石の帯を巡らせていた。屋根に配されたドームと合わせて、前世でいう辰野式建築を連想させる。
守衛を務める騎士に頭を下げて、内部へ踏み込むと既に相当数の候補者が軒を連ねていた。
「ここも凄い人の数……王都って本当に人が多いな、サイクッ」
受付を終えたと思われる人の多くは若く、下はサイクと同年代、上でも二十歳を超えているようには見えない。試験の年齢制限に下限はあっても上限はないのだが、早々ドン・キホーテ卿のような変わり者は現れないということか。
興奮気味に話しかける少女に首肯すると、サイクは淡々とした口調で応じた。
言外に自分は大丈夫だと、自信を滲ませるように。
「そうだな、オルレール。つっても、ここからかなりの数が選別されるんだろうけど」
天下の王立騎士団と言えども受け入れ人数は無制限とはいかない。
あくまで候補者を選定するからこその試験。最精鋭たる矜持を維持するためには涙を飲む者も欠かせない。
「そ、そうだな。来れたからって気を緩める訳には──」
「おやおや、なんだいなんだい?!」
オルレールの不安を遮り、下卑た声が受付会場に響き渡る。
漆黒の眼差しを研ぎ澄ませると、サイクは不躾な声の主へと突き刺した。
「おいおい、場違いな庶民が二人もいるじゃあないか。これは傑作だね、諸君!」
睨まれていることも知らず──あるいは気づかず──なおも悪態をつき続けたのは紫紺の服に悲鳴を上げさせる恰幅のいい少年。
プラチナブロンドの髪を短く刈り上げ、モヒカンヘアーに纏めた彼は身なりがよろしいとは言い難いサイク達を露骨に見下す。下に見ることが当然の義務とばかりに。
「どうやってここに迷い込んだのかは知らないけど、録に剣術も知らないだろうし今の内に帰った方が賢明だよ。おっと庶民には賢明の意味も分からないかな?」
「急になんだい。私達が何かしましたか?」
「何かだって? そりゃあ君、セイヴァ教の教えも知らない君には分からないだろうけど、ここに庶民がいること自体が問題さ。
剣の握り方も知らない者でも試験に参加できますなんて、僕達貴族には恥以外の何物でもない!」
「貴族って、私はともかく──!」
火花を散らす両者に対し、サイクは腕を伸ばして先を制した。
無論、遮られたオルレールが納得するはずもなく。
「サイク、でも……!」
怒りの眼差しを黒髪の少年へ注ぐ。が、少女をして苛烈な視線を覗かせる姿を見て、一端怒気を胸中へ無理矢理押し込んだ。
一方で何を勘違いしたのか、モヒカンは言葉を絶やすことなく続ける。
「ハハハ、そっちは少しだけ弁えているようだね。だったら、そのまま回れ右してお家で農作業の手伝いでも──」
「流石は王都、喋る豚までいるとは」
「…………は?」
瞬間、会場の空気が凍りつく。
「今、なんて言った……?」
辛うじて動く口を駆使して、モヒカンは先の言葉を問いかけた。
対してサイクは相手の動揺した様が滑稽に映り、絶対零度の空気の中で無意識に口端をつり上げる。
「何って、喋る豚の貴重性を語っただけだが? いやはや、ハイライン領の家畜と言えばブヒブヒ鳴いてばかり。貴方みたいに流暢な人語を話すことなど到底できませんので」
「貴様ァ! 僕を誰だと思ってそんな侮辱を!」
「君達ッ、何をやっているんだ!」
火に油を注ぎ、いよいよ流血沙汰が脳裏を掠める刹那。会場内に控えていた騎士がサイク達の中へ割って入った。
今にも殴りかからんと迫っていたモヒカンを別の騎士が引き剥がす中。
「貴様、覚えてろッ。庶民如きが僕を侮辱してタダで済むと思うなァ!」
怨嗟の声が酷く鼓膜の中を反響していた。
「サイク、なんであんなことを。君は貴族なんだから、素直を言えばこんなことには……」
騎士からの説教とお流れになりかけた受付を終え、オルレールは疑問を溢した。
元々麻の服しかなかった彼女とは違い、動き辛いからで着用していたのがサイク。ハイライン辺境伯の三男だと証明さえすれば、執拗な物言いからは逃れられたはず。
わざわざ説教されることもなく。
問われた少年は顎に手を当てて逡巡すると、正面から顔を合わせた。
「それじゃ、オルレールは馬鹿にされたままだ。あぁいう豚には一泡吹かせないと気が済まない」
「豚って」
サイクからの淡白ながら確かな感情が伝わる物言いに苦笑いを浮かべつつ、オルレールもまた悪い気分ではなかった。
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