第4話『彼の日への助走』

 幾つかの資料を総合し、今世がレクイエムオブアストレイ作中で描かれた救歴世界とサイクは確信を抱いた。だが、厳密には同作を下地とした世界なのだろうとも推測している。

 前世で何度も視聴していた際にハイライン領などという領地を耳にした覚えがなく、また世界を成立させる上でも些か以上に情報が不足していたのが根拠。

 故に一足外へと赴けば、眼前に広がるのは見慣れない──現代日本に慣れた児島からすれば牧歌的な僻地である。

 貴族であるハイライン邸自体もサイクの目には古風豊かな西洋屋敷だが、他の家など土に藁を混ぜた土壁を用いて自宅と外を隔てている。そして家間の間隔も疎らで、舗装もされてない道の左右には剥き出しの土壌が種まきの時を待ち望んでいた。

 作中で描かれた王都とは比べるべくもない領地の一角に、軽い音が響き渡る。

 木刀同士がぶつかり合う乾いた音色は木管楽器を彷彿とさせるもので、同時にぶつけ合う子供達のかけ声もまた木組みの道場周辺に色を湧かせた。


「ハァッ」


 かけ声を上げ、黒髪を揺らして距離を詰めるは漆黒の瞳をぎらつかせた少年。鋭利な眼差しで睨みつけられた相手を萎縮させると、己が身で隠した木刀を掬い上げて地面を抉る。

 抉られた土が切先に導かれるままに相手の視界を潰し、思わず目蓋を閉じれば最早術中に嵌まったも同然。

 直後に鳴り渡る痛快な打撲音が手首に伝わる衝撃と共に、少年に確かな手応えを抱かせた。


「そこまで!」


 万が一のために控えていた初老の男性が鋭い声で告げると、少年は構えを解いてお辞儀を一つ。相手も痛み身体を摩りつつも立ち上がって、少年に続いた。


「サイク、見事な土竜の舞だ。その歳でよくぞここまで朔日さくじつ流剣術を身に着けたものだ」

「ありがとうございます」


 師範代を務める男性からの賞賛に、御年一三となったサイクは感謝を述べる。

 朔日流剣術の道場がハイライン領に存在したことは僥倖であり、嬉しい誤算であった。

 元々はレクイエムオブシリーズにて、暗殺教団絡みのシナリオで姿を見せた殺人剣。古くは東洋の剣士が西洋の教団と結びつくことで誕生した剣技は、剣筋を見せないことに主眼を置いている。

 初見殺しとでもいうべき技はレクイエムの終盤でも姿を見せた。が、タイミング故に出自へ触れられることはなく、あくまでファンサービスの類と割り切られていた。


「それがこんな僻地にあるんだから、よく出来るというべきか……」


 心の声を呟くと、打ち合った相手への総評を纏めた師範代からの挨拶を受け、本日の鍛錬は終了を告げた。

 最後に関節を鍛えるための柔軟を門下生同士、二人一組で行っている最中に身体を伸ばしていた少女が徐に口を開く。


「ねぇ、サイク。この後空いてる?」


 鋭い眼差しを注ぐ少女の本心は伺えない。が、こと彼女に限って悪辣な冗談を口にするとも思えず、サイクは数秒の間を置いて返答した。


「どうしたよ、オルレール。そうだなー。道場終わった後は河原で自主練しようと思ってたし、そこでなら」

「分かった、何時もの河原だね」


 簡単な口約束をした後、柔軟を終えて門下生達は帰路へ着く。

 周辺国の戦乱も小休止となっている現在、ハイライン領は飢饉や貧困に喘ぐこともなく、蓄えのある領民は子供に剣術を習わせるだけの余裕すらも揃えていた。

 だからなのか、空が燈色に染まる時分になればすれ違う人々の腰に木刀が据えられているのも珍しくない。

 サイク達が約束した河原はハイライン領の西端、穏やかな清流が耳目を癒す川にある。

 普段なら周辺の雑草相手に木刀を振るっているのだが、今日は付き添いへと視線を向けると少年は無造作に腰を下ろした。


「貴族なのに服が汚れるとか気にしないんだね」

「父上や兄様達にもよく言われるよ。俺に言わせれば、気にしないための服だってのに」

「なるほど、そうか……」


 言われてオルレールは考え込み、サイクの服装へ改めて視線を向ける。

 事実、飾り気のない麻服の上下を縛っているだけの単純な見目は、ベルトの金細工さえ意識しなければ貴族の装いとは微塵も思えなかった。更に彼自身、後ろだけ伸ばした黒髪に漆黒の瞳とラヌート王国では珍しい色彩の持ち主。

 貴族らしい格式ばった衣服など、逆に浮くというもの。


「で。何の用よ、オルレール。わざわざ河原で話すって」


 気さくに掌を向け、サイクは未だ腰を下ろさぬ少女へと問いかける。

 金髪を耳の辺りで整えた彼女は多少の葛藤で赤の瞳を揺らすも、意を決して少年を見つめ直した。

 オルレールを知らぬ者には睨んでいると難癖をつけられがちな眼差しに、対峙する側も無意識に息を呑む。


「……サイクはどうして、道場を真面目に通ってるんだい」

「……どういう意味?」

「いや、気分を害したなら謝るけど、そうじゃないんだ」


 オルレールはサイクの二つ年上であり、目的のために万進しているだけの彼にも配慮する思慮を兼ね備えていた。

 そんな彼女が失礼を承知で疑問を口にしている。

 事実を前に少年は首を数度鳴らして意識を切り替えた。


「サイクは貴族の三男だろ。別に剣術なんて習わなくても、それこそ道は沢山ある。それなのになんでわざわざ道場へ行くのかと思ってな」


 辺境伯の長男であれば、外敵を前に自ら最前線へ赴く必要もあるだろう。高貴なる者の務めを果たすべく、武の道に精通した者へ頭を下げることにも理解が及ぶ。

 だが、三男ともなれば家督を継ぐ可能性は絶望的。

 何らかの理由で長男が死しても、家を継ぐ有力候補は次男である。

 だからこそオルレールは疑問を抱き、隠し切れなかった。


「そう、だな」


 一方で質問されたサイクは一拍置くと、己が人生設計の一端を明かすか逡巡した。

 オルレールとは六年前、父上がハイライン領で経営している教会運営の孤児院へ資金援助する際に付き添った時が始まり。

 当時は預けられて日も浅かったのか、猜疑心と敵意に満ちた眼差しを注がれたのは今でも記憶に残っている。

 ハイライン邸と教会は比較的距離が近かったことも重なり、何度も足を運んでは孤児達と交流を深めていった。サイクとしては今更四則演算を学ぶよりも子供を通じて今の世界を知るのを優先したかっただけだが、結果として夢という形式で自然と明かすのに好都合な気もしていた。


「師範代には話したんだけど俺さ、来年になったら王立騎士団の入団試験を受けようと思ってんだ」

「王立騎士団ッ? 王都の最精鋭じゃないかッ」

「そ。因みに師範代からは万全の力で挑めるなら、間違いなくいけるってお墨付きを頂いてる」

「お墨……それも、東洋の言い回しなのか?」

「……多分」


 思わず出た今世では通じない物言いを誤魔化すと、サイクは言葉を続ける。


「どうせ家は兄様達が何とかするし、だったら俺はオルレールのような存在が生まれないようにしたい」

「私のような……?」

「昔のお前、スッゲェ俺の事も睨んできたじゃん。アレ、絶対なんかあるでしょ」


 何か先走られるよりも先んじて、掌を見せて彼女を遮る。

 別に来歴を語って欲しい訳でも、

 あくまで孤児院で生活するような孤児には事情がつきものといった程度の話。


「で、今の世の中に蔓延る事情の一つには戦いもある訳よ。そういうのを、俺は少しでも減らしたいからさ」

「サイク……」


 王立騎士団は軍隊と警察、二つの性質を併せ持った組織。

 法律さえ何とかできれば、干渉できる要素は極めて幅広い。

 たとえば子供に笑顔を強要し、少しでも意向に逆らえば叱責を繰り返す親を騙る悪魔にも。


「だから、お前と会えるのも精々が一、二年って所だな。それまでは仲良くしようや」


 声音を意識的に軽くし、サイクは指先をオルレールへ向ける。

 当たり障りのないリップサービス程度のつもりであった。が、一方の少女は頬を高揚させて口を開く。


「……いや、だったら私もサイクが受ける試験に付き合うよ」

「……は?」


 彼にとっては予想だにしない意味合いを以って。


「は、じゃない。だってサイクを一人にするとその、不安だ……だから、その、私も王都へ同行する。何、私ももう一五。そろそろ孤児院を出て独り立ちを考えないといけない頃だ」

「いや、そうじゃなくだな……」

「いいだろ、これは私の勝手だ。サイクに口出しされる謂れはない」


 オルレールは一度決めたことを曲げはしない。

 六年間の付き合いで彼女の性格を理解していたサイクは、嘆息を零して額に手を当てた。

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