第2話『これは〇から一に至る物語』

『お前の願望は正しいのかもしれない。だけど、許せない』


 薄暗い部屋の中、唯一の光源に白髪赤目の少年が怒気を剥き出しにした表情を浮かべる。

 顔だけではなく、声だけではなく、少年は表現できる全てを以って怒りを露わにしていた。

 其は大切な者を、最愛の人を永遠に奪われたが故の怒り。其は最愛が生命を賭けて放った一撃を以ってなおも健在な男の野望への怒り。其は世界へ向けた最上の献身を無為と切り捨て、己が傲慢を語る怨敵への怒り。

 其は、人を人たらしめるからこその怒り。


「……」


 唯一の光源を、テレビの液晶に浮かび上がる光景をシーツに包まって覗く眼光が一対。

 眼鏡の奥に控えた気怠げな漆黒には、確かな高揚を見せる少年の輝きが宿っていた。

 彼──児島守こじままもるが視聴しているのはレクイエムオブシリーズの一つ、レクイエムオブアストレイの最終盤。主人公であるホムンクルスの少年が仲間と共に空中要塞へ飛び込むも、最愛のヒロインが命を賭して野望を食い止めんと足掻いた末に半歩届かず、ラスボスと正対する場面。

 既に二桁回数は視聴したものの、最終盤の盛り上がりは何度見ても心が動かされるというもの。

 シリーズ内では正道から外れたアストレイの名が示す通り、特異な展開が多く評価は低いものの、作品そのものの完成度では遅れを取っていないと児島は確信できた。

 尤も、贔屓目であることは否定できないが。


『確かに今の世界には綺麗なだけじゃなく醜い部分もある』

「うん……」


 少年の言葉に共感を示すも、児島の首肯は別に現実へ当て嵌めた類のものではない。

 回想中に写された一カット、僅かに数秒にも満たない場面で現れた少女を思ってのものである。

 ジル・ミストレンジ。

 アストレイ本編に於いて過去を変える力を秘めた聖骸を巡る戦いに直接関わることはなく、ただ己が衝動の赴くままに市井を殺めていった多死者と称される存在の幼子。

 主人公一行とも迎合せず最終決戦に挑む前、徒に被害を広げる悪鬼として退治された。が、世界の綺麗さを信じてきた彼に彼女が受けた仕打ち、引いては世界の汚さを見せつけてきた。

 ある意味では偏った、潔癖とも言える視野を広げる切欠となった彼女を児島は好いていた。

 それこそ同好の士が集まったSNSで彼女への愛を語り、周囲に冷やかな目線を向けられた過去を持つ程度には。


「いや見た目でピンと来たってのも否定しないけどさ」


 外跳ねの白髪を腰まで伸ばし、端々が擦れた白のロングワンピースを着用した幼子。黒の手袋を身に着け、両手には二振りの赤錆が目立つ出刃包丁を握り締めて笑顔を浮かべる様は、殺戮を為すために地上へ舞い降りた天使にも等しい。

 アストレイにも魅力的なキャラクターこそ多数いたが、児島にはジルこそが最も深く心へと突き刺さったのだ。

 やがて最終決戦も集結し、物語は収束していく。

 生き残った者達は続く人生を歩み、死した者が残した残滓が戦場となった各地に点在する。全ての元凶とも言える聖骸もまた、決戦の末に姿を消している。

 エピローグの部分に、ジルの出る幕はない。

 元々多死者にとっての死など、現世に干渉する術を一時的に失う程度に過ぎないのも確か。加えて彼女の場合は衝動の赴くままに暴れること自体が目的であり、成り果てた原因こそあれども単なる殺戮者にこれ以上の報酬は過ぎているということか。

 クライムアクションならばいざ知らず、あくまで正道から外れるに留まる物語で彼女に更なる救いが訪れることはない。


「理屈は分かる、よーく分かるけどさぁ……」


 贔屓目であり、盲目である。

 自覚だけはしている。

 彼女に望まぬ死が訪れるのは当然の帰結であり、憎まれっ子どころか殺戮者が世に憚るなど大衆が望むはずもない。

 だが、だけども。


「彼女が幸せな様、見たいよなー」


 ないものは作れが創作の基本、と聞いたのはいったい如何なるサイトだったか。

 何度か児島もジル救済を掲げた二次創作に挑戦したこともある。が、素人であることを考慮しても散々なクオリティだった上、執筆の最中で我慢し難い程の原作との乖離に筆を折った。以来、自力での救済は諦めている。

 児島の埋没していた意識を引き上げたのは、けたたましいアラーム音。

 甲高い音を合図にテレビから付近の時計へと移せば、針はバイトの時間を告げていた。


「やっべ、まだ着替えてなかった!」


 児島は部屋の電気をつけると、慌ててシーツを剥がして衣服を脱いだ。そしてハンガーにかけてあった上着を羽織るなどの準備を整え、玄関へと駆け出していく。

 直前、振り返ると漆黒の瞳はテレビの側に飾ってある一つのポスターへと注がれた。


「それじゃ。行ってくるね、ジル」


 呼びかけた先には普段通りの服装を鮮血で濡らし、屍山血河に佇み満面の笑みを浮かべるジルの姿があった。


「やっべぇ、また熱中し過ぎてた!」


 児島はアパートを慌てて駆け下り、全速力でバイト先へと向かう。

 アニメや小説の見過ぎでバイトに遅刻したのは一度や二度ではない。

 給料さえ削られなければ、仕事がどうなっても構わない。とはいえ、穴埋めとばかりに休日を潰されても溜まったものではない。

 何せ小説はアニメと違って二〇分弱で区切りができるとは限らないのだ。見せ場を仕事に邪魔されるのを嫌い、平日はあまり文字を読もうとは思えなかった。


「今度の休みは久々にアストレイ一巻から読み直したいって思ってんだよッ。あの馬鹿店長に邪魔されてたまるか!」


 インドア思考故に学生時代は運動を好まなかった。が、何度か小説を読破する最中に寝落ちして以来、ランニングマシーンを購入する程度には力を入れている。

 週一のランニングが功を奏してか、バイト先のコンビニを前に腕時計は辛うじて間に合うと告げていた。

 後は赤信号が青になるのを待つばかり。

 そして色彩が色を変えて駆け出した刹那。


「──は?」


 けたたましいクラクションを鳴らすは、制御不能とばかりに回転する乗用車。

 コマ遊びを彷彿とさせる中、フロントにはなおも最悪を回避せんとハンドル操作を繰り返す運転手の奮闘が窺えた。

 だが、余程異常な軌道を取らない限りは児島への直撃は避けられない。

 前日は雨でも雪でもなく、急な曲がり角でもない通常の十字路。事故を引き起こす直前になって慌てる運転手の怠慢を呪うしかない児島の脳裏に蘇ったのは、走馬灯とは言えない十数分前の光景。

 今自分が死ねば、部屋に鎮座するジルのコレクションはどうなる。

 託すべき知人もなく、いるのは金銀財宝を鏡の親戚としか認識しない血縁のみ。彼らがフリーマーケットに出せばいい方で、多くは故人の遺品として処理されるか廃棄されるかが関の山。

 忌避すべき最悪を前に、児島は全霊を以って身体を危機から逃そうと足掻くも。

 末路は変わらない。


「ッ!!!」


 全身を穿つ鈍い激痛に明滅する視界。青空とアスファルトが交互に顔を見せる様はサブリミナル効果を連想させるも、今更潜在意識に働きかけた所で命を差し出す以外の行為を出来るはずもなく。

 地面を数度跳ねて転がる頃には、悲鳴を認識することすら叶わぬ程に意識が朦朧としていた。

 鉛の如き質量で視界を閉ざしにかかる目蓋に対し、児島は右手を伸ばす。

 彼の執念が為した業か、眼前で微笑む白のロングワンピースを着た幼子の頬へと触れるために。


「じ、る……」


 突然の喧騒に駆け寄る人々も呟く言葉に意味を求めることは叶わない。

 何せ、児島にとってだけ意味を持つ名であったのだから。



「おぉ、起きたかサイク。愛い奴め」

「…………はぁバゥ?」


 だが、より意味が分からないのは児島自身であろう。

 何故なら意識を取り戻すと前とは異なる世界での人生二週目が始まったのだから。

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