ホメオスタシス
合野
ホメオスタシス
絵に描いたように順風満帆な俺の人生は22歳で澱みに沈んだ。漫画で読んだような就活失敗談で。俺は大学近くのアパートを引き払って3年ぶりに実家に帰った。母親は笑顔で「これまで頑張ってきたんだから少しくらい休んだっていいんじゃないの」と言い、父親は「T大を出たんだからいずれ就職先は見つかるさ。しばらくはバイトでもしてなさい」と言い、弟は「早く大学受かりたい」と言っていた。
俺の部屋は高校を卒業したときのままにしてあって、こぎれいではあったが埃臭かった。荷物を持ち込み棚を整理していると、途中まで進めてやめてしまったゲームソフトを見つけた。DSに触るのって何年ぶりだろうか。久しぶりに遊んでやろう、時間はあるんだからエンディングまで見よう。そう考え、ちゃんと作動するか心臓を少し高鳴らせ電源を点けると、長方形の光が俺を照らした。
そうして10年が経った。別に一つのゲームに10年かけたわけじゃない。ゲームの面白さを思い出してしまっていろいろ手を出しまくったから。バイトにも何度か応募した。でも、面接のその日に店舗が燃えていたり店員がナイフを振り回していたりドアの前に落とし穴が掘ってあったりした。こんなことが続くと気がめいった。ようやく店長と顔を合わせるところまで行ってもことごとく落とされた。俺の態度に問題があったとは思えないのに。家から徒歩で行ける範囲の店はあらかた塗りつぶしてしまった。困った。それで、まだ働いていない。終わったゲームばかり積みあがる。Switchも買った。
大学の同期は丈夫な船で大海原をうまく漕いでいた。比喩を用いずに言えば、会社で昇進し、美人と結婚し、子供を2,3人産み、その子供もいとおしく健やかに育っているとのこと。学生時代はどんな女を抱いてどうだったという話ばかりしていた男も、いつの間にか優しいパパになっている。沈没船は俺だけだ。
そういえば、弟は結局5年浪人し、7回留年してまだ大学生らしい。父:サラリーマン、母:専業主婦、俺:ニート、弟:大学生という身分が一向に変化しない。弟も三十路なのに、いつまでも大学生でございという顔をしている。
両親はそんな俺と弟に何も言わない。大学を卒業しろとも、就職をしろとも。父親は5年後に定年を迎える。うちの家計はどうなるのだろう。ふとした時に不安を覚え、10年前に登録した求職サイトを開く。今更どんな職種に応募してもうまくいかないと思えて、うなだれる。そのまま眠ると次の日になり午後に覚醒する。それを何度も繰り返す。
ホメオスタシスだ、と、ふと思った。夕方過ぎて目を覚ました時に。この家が恒常性を宿し、だから俺たちは固定され、ずっと変わらない。そうであれば、俺が職を見つけられないのも弟が単位を取得できないのも、この家にとってはインフルエンザに対する免疫のようなもので、正常な状態が移ろわないように、元の位置に戻るように、変化を阻んているんじゃないか。
そう思ったときにはまだバカげた仮説にすぎなかったが、30年経って証明されてくる。つまり、90歳のサラリーマンの父親と、90歳の専業主婦の母親と、62歳のニートの俺と、60歳の大学生の弟が、普通の家族みたいな顔をしている。後期高齢者のはずの両親はまだ元気で、俺たちに対して何も言わずに養い続けてくれている。
でも、この生活がいつまで維持されるかわからない。俺はまた近所のコンビニや工場に電話してどうにか定年間際の高齢ニートを雇ってくれないか頼み始めた。求職活動を再開したのは、親が平均寿命を超えているからというのもあったし、老眼でゲーム画面の小さな文字が読めなくなってきたからというのもあった。この歳になると、すぐに電話を切られたり、悪口を言われたりしたくらいでは何も感じなくなった。この家も年月を経て免疫が弱まっているに違いない。俺がホメオスタシスを、今、打ち破るんだと思うと、不思議なくらい体の底から活力が湧いてきた。
ホメオスタシス 合野 @gou_no
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