お昼休みの廊下は教室内のにぎわいがこぼれて騒めいている。菜絵は三年二組の教室前まで一直線に来た。扉は開いている。ポケットの飴を無駄にしないためにもと教室を覗き込む。

 菜絵は柚希の席を知らない。なかなか見つけられないでいると、「だれ探してる?」と扉近くの三年生が言った。

「八代柚希先輩を」

「柚希ー!」

 道佳のような明るい声が教室の後ろのほうへ広がった。三年生たちは一瞬、菜絵のほうを見たが特別気にしていないようだった。

「あれ、さっきいたんだけどな」

 タイミングが悪かったらしい。伝言があれば預かるとその先輩は申し出たが、飴を託すわけにはいかないと思った菜絵は「また来ます」と引き下がった。

 柚希に会えずがっかりしていることに気がついた菜絵は苦笑する。道佳の言う通り、菜絵の用事は柚希に会うことだった。せっかくかわいい後輩がわざわざハッカ飴をくれたのに、とポケットをなでる。柚希はチョコが苦手であるということを道佳は覚えていてこれを持たせたのだ。

 かつて、チョコが駄目なら甘い物も苦手なんですかと聞かれた柚希は、そうでもないと答えた。アイスはまあまあ、おせんべいは好き、大福も好き、クッキーも平気。和風にしておけばほぼ間違いないと菜絵は理解した。ハッカ飴は柚希の好物のひとつである。

 菜絵は放課後にもう一度会いにいくことにした。

 

 放課後になると真っ直ぐに向かった三年二組はとっくに解散しており、残っているのは掃除当番ばかりだった。お昼休みの親切な先輩もいない。一縷の望みを掛けて三年生の靴箱まで行った菜絵は、柚希の棚が分からず不在の確認すらできないことに気がついた。

 明日にしようと菜絵は帰路に着く。一報入れてみようと柚希宛のメッセージを考えた。

 ――お昼休みか放課後に会えませんか。

 その日の夕方に返信はあった。

 ――会えたら会いましょう。

 この返事を道佳が見たら、会ってくれなさそうですねえと言いそうだった。

 

 次の日のお昼休みも菜絵は三年二組を訪れ、声の大きい先輩が後方を確認した。

「後輩が来ていたよって言ったのにな」

 その人は肩をすくめてやれやれと首を振る。窓際の後ろから二番目の席だと教わった菜絵は、教室後方から見て確認することができるようになった。机には鞄が掛かっており、見慣れた青いシュシュが相変わらず付いていることに菜絵は気がついた。

 菜絵の鞄にも同じシュシュがボールチェーンで付けられている。柚希がワンピースを作った時に残った切れ端で作ったものだ。さくさくと作り上げた柚希は、飴でも渡すかのように言った。

 あげる。

 菜絵は尋ねた。

 おそろいにしてくれませんか?

 困ったように笑った柚希はもう一つ作った。

 おそろいがまだ外されていないことに菜絵は安堵した。

 お昼休みなら確実に柚希が校内にいるはずであるため、菜絵は学食や図書室にも足を運び柚希の姿を探す。教室から始まり校内を歩き回ることが日課のようになり、菜絵は声の大きい先輩と会釈する程度の顔見知りになった。

 

 とうとう週が明けて家庭科室に向かった菜絵のポケットには、まだハッカ飴が入っていた。道佳になんて言い訳しようと菜絵は考える。

 もっと連絡すればいい。朝とか授業の合間にも顔を出せばいい。それらをやらずに柚希が逃げられる余地を自ら与えておきながら、会えないことが悲しいと菜絵は落ち込んでいた。

 長期休み中も一日以上は部活動日が設けられている。だから菜絵にとって会えないまま過ぎようとしている三か月は長かった。

 家庭科室では今日も二人の後輩が各々作業を続けていた。

「その顔は菜絵先輩、まだハッカ飴をお持ちですね!」

 シャーペンを向けられた菜絵は笑って頭を掻くしかなかった。

「道佳さん」

「ペン先じゃないよ!」

「じゃあいい……のか?」

 広則は首を傾げながら菜絵を見て「お疲れさまです」と労わるような目をした。

 気を取り直して菜絵は後輩たちの進捗を聞きにいく。

 広則はボタン付けをしていた。柚希とは違って、鼻歌でも歌いだしそうな様子で作業を続けている。菜絵もついほほえんでしまう。

「広則くんはあとボタン付けで終わるのかな」

「はい。あ、ちゃんと完成してから見てほしいんで、見ちゃだめです」

 広則は大きな手で服を覆い隠した。

「文化祭までのお楽しみです」

「そんなあ」

「もう来週末ですよ」

「そうか、もう。じゃあ楽しみにしてる」

 菜絵は素直に引いて、隣の机を見にいく。道佳は型紙に合わせて布を裁断していた。片手を添えて、丁寧さと少しの思いきりを感じる動きで裁ち切っていく道佳の動きは、半年ほど前に全くの初心者だったとは思えない。文鎮を動かしながら、布は動かさずに自身が移動して裁っていく。

 ひとつパーツができると、ひと息ついた道佳が顔を上げた。

「菜絵先輩は人の作業を見るのが好きですね」

「うん、好き。道佳ちゃんの裁断は成長が分かって嬉しくなる。動きに迷いがないね」

「はさみを持ったら迷わないことにしてます。裁ち切るのも縫い合わせるのも、落ち着いて潔くって柚希先輩が言ってましたからね」

「柚希先輩は手慣れてるもんなあ」

「人間関係まで潔く断ち切ろうとするのはやめてほしいんですけどね」

「えっ」

「菜絵先輩まで来なくなっちゃったら泣きますよ。卒業するまで私たちかわいい後輩をかわいがってください」

「いや全然行かなくなるつもりないし、かわいがりたいし……」

 ジト目に見つめられた菜絵は、ずっと柚希のことで頭がいっぱいだったことを反省した。

「ちなみに文化祭で展示する分は完成したので、これは次の服です。菜絵先輩も作りやすいと言っていたワンピースの型をお借りしていますよ」

「わ、洋裁部で使われてきた型がまた受け継がれていく歴史的瞬間だ」

「そう、受け継がれし瞬間に立ち会ってるんですよ菜絵先輩」

 誇らしげな顔をしていた道佳が作業モードの表情になる様子を見た菜絵は、自身のワンピースも完成させるために定位置のテーブルに着いた。

 その日も柚希が来ることはなかった。

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