[2]お金持ちになったみたいだなあ

 静かな室内に紙をさばく音だけが響く。


「あっ!」


 急にアネッサが顔を上げた。「わぁ!」とリュヴァルトも声を上げる。


「びっ……くりした……。え、いきなり、なに?」

「もうひとつ兄さんから預かってたんだ。右手出して」

「右手?」


 アネッサは脇に置いてあった巾着に手を伸ばした。取り出したのは鈍い金色の指輪だ。螺旋状にぐるりと巻いたデザインで、アームの表面には美しい流線紋様が彫られている。両端にはそれぞれ星と塔を象った飾りがついていた。


「身分証みたいなものだよ。――ほら、手。早く」


 急かされるままにリュヴァルトは手のひらを上向け差し出した。途端に「逆!」と、鋭い一言が飛んでくる。くるりと裏返った青年の手に改めて視線を落としたアネッサは、そこであれっと目を瞬かせた。


「あんた指輪してるの?」


 リュヴァルトの人差し指には既に指輪がまっていた。小さな青い石が一粒埋めこまれたシンプルな銀の指輪。石には細かな星が無数に散り、その色はさながら晴れ渡った夜空のようだ。一心に見つめているとまるで吸いこまれてしまいそうな魅惑的な光を宿している。


「綺麗な石だね。瑠璃?」

「えーと……なんだろうね? これ借り物でさ」

「借り物? どういうこと? ……あんたまさか、借りるとか適当なこと言って勝手に持ち出したんじゃ」


 うっとりと見惚れていた彼女の目が一瞬で疑いの眼差しに変わる。リュヴァルトは慌てて首を横に振った。


「盗んだんじゃない。本当に借りてるんだ。ちゃんと返すって約束もしてるし」

「約束?」

「そうそう。お守り代わりに持っていけってほぼ無理矢理持たされたんだよ。えーとなんだっけ、持ち主に幸運をもたらす力がどうとか……」

「ああ、魔術道具ってわけか」


 アネッサは得心して引き下がった。

 リュヴァルトは旅人である。旅立ちに際して無事を祈るのは世の常だ。その折に身につける護身具に精霊の力エレメントを封じこめた魔術道具を用いることも一般的で、待ち人または自らが用意し、旅の間は肌身離さず持ち歩くのである。


 アネッサはリュヴァルトの手を掴むとその中指に金の指輪を嵌めた。少し大きいように思われたそれは指に収まった途端、絡まるように絞まった。


「これも魔術道具には違いないけど飽くまで身分証だからね。外に出るときは必ず着けるようにって。もし何かあったときはこれを見せればうちの関係者だって証明できるから。――ねえ聞いてる?」


 話を聞いているのかいないのか、ぼんやりとしているリュヴァルトにアネッサは再び怪訝な目を向けた。自身の手をしげしげと眺めているようで、その焦点は指輪に結ばれてはいないようにも見える。

 ハッと我に返った青年は取り繕うようにへらっと笑った。次いで指輪の嵌まった右手を掲げてみせた。


「こんな綺麗な指輪をふたつも持つなんてさ、なんかお金持ちになったみたいだなあって。ね?」

「み、ぶ、ん、しょ、う」

「わかってるって大丈夫」


 眉間にしわを寄せて睨むアネッサに構うことなくリュヴァルトはにこにこ笑みをこぼす。そのあまりの能天気さに毒気を抜かれ、アネッサは盛大に嘆息した。


「……で? はどうなの? 内容に問題なかった?」

「へ?」


 リュヴァルトはきょとんとした。彼女の視線が自分の手元にある本に注がれているのを知ると、明るくあははっと笑った。敢えて明言は避け、笑うことで返事に代えたようだ。

 だがアネッサに溜息をつかせるにはそれで十分だった。開かれたページは始めから全く変わっていない。


「……リュー。あんたウィルと一緒に勉強しておいで。今ならちょうど読み書きの先生が来てるはずだから」

「えっウィルと!?」

「そうウィルと。読み書き、苦手なんでしょ? 基礎だけでもちゃんと教わった方があんたのためだと思う」


 アネッサがほとほとお手上げ状態でそう言うと、リュヴァルトは不満も露にえーと声を上げた。

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