[3]外に出ようとは思わないことだ

 三人の間に沈黙が下りる。身じろぎすらはばかられる空気の中、リュヴァルトは彼を真正面に見据えた。微笑みは絶やさなかった。


「見た目が白いというだけで雪花人せっかびとと断言するのはどうかなぁ。こんな髪と肌の人間なんて幾らでもいると思うよ。……迷惑なら今すぐ出ていく」

「えっ、リュヴァルト?」


 弾かれたようにアネッサが振り返った。リュヴァルトは彼女には心からの笑みを向けた。


「いろいろありがとう。食事、美味しかった」


 青年は静かに席を立った。足のふらつきは幾分ましになっていた。脇に置いてあった革の鞄を取ると、兄妹に向かって軽く頭を下げた。


「じゃあ、俺はこれで」


 リュヴァルトが部屋を横切る。ちらりと盗み見たアネッサの顔には狼狽と困惑の感情がありありと表れていた。だが特にかける言葉も見つからずそのまま通り過ぎる。

 退室しようとしたそのとき、背中に声が飛んできた。


「ミュセット」


 リュヴァルトの足が止まった。畳みかけられた「小さな村だ。知っているか?」という問いは黙って流した。


「以前ある病が流行っていてな。早期に適切な処置を施せばそこまで脅威でもないが、貧しい者にとっては恐ろしい病だ。ミュセット村では大混乱の兆しも見えていた。だが私の予測を上回る早さで終息した。治癒の力を持つ雪花人が居合わせたと」


 リュヴァルトは小さく振り向いた。ジェラルディオンの目が光ったように見えた。


「乞われるまま癒してまわったとか他の病気まで治したとか……。どこまでが事実か知らんが、真実ならばよほどのお人好しだな。時をおかずにリトの者に拘束されたとの情報を得た。リトの街はこのフォルトレストのすぐ隣だ」

「あの、何度も言うけど俺は雪花人じゃない。それに隣と言っても崖を挟んでの隣だよね。道で繋がってるわけじゃ」

「そうだ。だからまさかなんて誰も思わない。――アン、この男を見つけたのはどこだ」

「えっ?」


 急に話を振られたアネッサは動揺も露に兄を見つめた。何度かふたりの顔を見比べ、やがて渋々といったていで口を開いた。


「……うちの墓地だけど。の下の」


 瞬間、リュヴァルトの顔色が変わった。


「塔?」

「そう。天文観測塔。……うちは代々占星術に携わってきた家でね、このやしきの裏手に研究室があるの。フォルトレストといえばこの辺の人間はみんなふたつの塔を連想する。研究室の塔と、それを模して作られた観光用の塔と」

「そういうことだ。逃亡者の情報はまだ入っていないがおそらく時間の問題だろう。四方に広がる街や村、全ての情報が私の元に届く」

「……もしかしてリトにも部下が?」

「何人か潜りこませてはいるな。あの一帯を統轄している者とも旧知の仲だ。――ああそれと一応教えておいてやるがこの部屋は離れの端だ。エントランスまでは少々距離がある。警護も私の命令ひとつで好きに動く。外に出ようとは思わないことだ」


 ふたりはしばらく静かに睨み合っていた。口を挟むことすらできずにアネッサは息を詰める。そのうちにリュヴァルトが深く息をついた。観念した様子で「参った」と軽く両手を上げてみせた。


「どうすればいい。リトに戻ればいいのか」


 少々投げやりな返答だった。そこまで彼を知っているわけではないがそれでも彼らしくないと目を向けて、アネッサは胸が締めつけられる思いがした。変わらず微笑みを浮かべていたリュヴァルト、その瞳の奥に透かし見えたのは空虚の色だ。

 ジェラルディオンはふっと口角を上げた。


「処遇は明日決める。ひとまず今夜は休むがいい。――アネッサ、おまえはついてこい。話がある」


 それだけ言うとジェラルディオンは部屋を出ていった。




 空気が重かった。

 その場に立ち尽くすリュヴァルトにアネッサはなんと言葉をかけていいのかわからない。何度も言いかけては口を閉じ、ようやくかけられた言葉はありきたりなものだった。


「……ちゃんと、寝るのよ」


 そうして彼女も部屋を後にした。

 ひとり残されたリュヴァルトはおもむろに右手を、その人差し指にめられた指輪を眺めた。銀の台に瑠璃の石が乗ったシンプルなデザインの指輪だ。青い石はいつもと変わらない静かな輝きを放っていた。

 それからくるりと手の平を上向けて見つめる。我ながら本当に白い肌だった。


「もう、無理なのかな……」


 血が通っているようにはとても見えないそれをしばらく眺め、やがて力なく下ろした。

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