[2]邸の主

「心配して損した」


 アネッサが大きな溜息を吐き出した。青年はナッツとカラント入りの麦粥を口に運びながら申し訳なさそうに見上げた。


「こんこころろくにたべけなくけさ……きみにひろっけもらえけかふかっかよ」

「スプーンくわえながら喋らないでくれる? ……まあ、大事なくてよかったけどね。林檎の砂糖漬けは?」

「――うん、貰おうかな。食事のありがたみを思い知ったよ。空腹は最高の調味料とはよく言ったもんだよね、これほんと旨いなぁ」


 青年はにこにこ答えて残りの麦粥を掻きこんだ。実感のこもった声色にアネッサは毒気を抜かれ、残りの言葉を飲みこんだ。

 黙って砂糖漬けを取りわける彼女を青年はじっと見つめていたが、そういえばと小首を傾げた。


「まだ名前聞いてなかった。きみ、なんて言うんだい?」

「そういうのは、まず自分から名乗るもんでしょ? ……あ、自分の名前は忘れてない?」

「名前は大丈夫だよ。俺はリュヴァルト。リューでいいよ」

「……アネッサ。みんなからはアンて呼ばれてる。今日はもう暗いしこの部屋使ってくれていいから」

「やった、ありがとうアン」


 嬉しそうに破顔する青年にアネッサは再度脱力し、これまた何度目になるかわからない溜息をついた。


 林檎を咀嚼そしゃくしながらリュヴァルトは改めて室内を見回した。


「もしかしてアンってお嬢さま?」

「はぁ?」

「いや、よく見たら広い部屋だし調度品も立派だし、得体の知れない俺なんかにてがうにはちょっと勿体なさすぎる気がしてさ。ええとつまり、大きなお屋敷なのかなぁって」


 水差しを手にしていたアネッサは馬鹿馬鹿しそうに手元に視線を落とした。


「大したことないよ。代々受け継いで来たやしきではあるけどね、ただ古いだけ。第一、主は兄だから。あたしは単なる同居人」

「そうなんだ……。お兄さんに俺のことは?」


 アネッサは肩を竦めて答えとした。


「気にしないで。あたしのすることには何も言わないから」


 ふぅん、とリュヴァルトは口を閉じた。アネッサから手渡された水を口にすると仄かにレモンの味がした。


 食事も済んで一息ついた頃、急に扉が開いた。ふたりの視線が同時にそちらに向いた。入室してきたのはやけに威厳のある男だ。


「おまえがまた拾ってきたと聞いたぞ、アン。犬猫の次は遂に人間か」


 仏頂面で口を開いた彼は目をすがめ、しばし押し黙った。


「……それがおまえの好みか……。道理で見合いが気に入らなかったわけだな」

「な……っ! いいいいきなり何言ってんのよ! 違う! 人助けよ人助け!」


 明らかに怪訝な目を向けられてアネッサは頬を紅潮させる。


「……ねぇ、誰?」


 来訪者の顔をしげしげ眺めていたリュヴァルトは、視線はそのままにアネッサにこっそり尋ねた。だが彼女が答えるより先に男の方が渋い顔で口を開いた。


「私はジェラルディオン。この邸の主をしている」

「主……ってことは、ええとあなたが……アンの、お兄さん……?」


 おそるおそる見上げるリュヴァルトには構わずジェラルディオンはすっと目をすがめて腕組みした。まるで検分でもするようにジロジロとリュヴァルトを眺める姿にアネッサが顔を顰めた。


「兄さん、一体なんの用なの。何もないなら」

「逃げた雪花人せっかびとというのはおまえだな?」

「早く出てって……え、なに?」


 妹を黙殺し、ジェラルディオンはリュヴァルトに威圧的な目を向けた。


「白い白いと皆が騒ぐのでな。確かめに来た」

「……なんのことかな」


 先ほどまでのほほんと言葉を交わしていた青年のまとう雰囲気が変わった。青年だけではない、室内の空気がピンと張り詰めたようだ。

 薄く笑みを浮かべる青年に対抗するかのごとくジェラルディオンも口許を緩めた。


「とぼけずともよい。私はこれまで何人もの雪花人に会ってきた。見ればわかる」

「へぇ……」

「敢えて問おう。おまえの力はなんだ?」

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