1章 邂逅

[1]あんた一体何者なの?

 さら、と銀色の髪が揺れた。

 髪色と同じ銀の睫毛が微かに震える。夢見るようにゆっくり開かれた目は焦点を結ばず、ただぼんやりと宙を見つめていた。その反応の薄さにやや不安を覚え、アネッサはそっと顔を覗きこんだ。


「……大丈夫? どこか痛いとか、気持ち悪いとこはない?」


 静かに声をかけると青年は少しだけこちらに顔を向けた。どうやら耳は聞こえているようだ。

 視線が絡んだ。瞳の色は藤紫。陽の光を浴びて宝石のようにきらきら輝くそれは次の瞬間何に驚いたのか小さく見開かれた。青年は何かを呟いたがその声は小さく、アネッサの耳には届かなかった。

 アネッサはひとまず安堵の息をつき、笑みを浮かべた。


「気づいてよかった。いきなり倒れてきたから心配したじゃない」

「……ここ、は?」

「〝ここ〟が街の名前を聞いてるんならフォルトレスト。この場所がどこかというならあたしの家だよ」

「フォルトレスト……フォルト川のほとりに広がる、緑豊かな街……だっけ」


 まるで安いガイドブックにでも記載された宣伝文句だった。軽い違和感を覚えつつも肯定してやると、青年は思案げに目を閉じた。その顔色は依然として血の気がなく白い。

 ともかくちゃんと会話が成り立つようだ。アネッサは逡巡した末、口を開いた。


「……あんたさ、なんであんなとこにいたの?」

「え?」

「墓地。見たところ旅人って出で立ちだけど、この街の出身? それともうちの先祖の誰かと知り合いってわけ? 悪いけど、ただに来たにしてはちょっと汚れすぎだと思うのよ。あんた一体何者なの?」


 一息に尋ねれば、青年はぽかんと口を開けた。


「……はか、まいり……え、墓地? ええと、何がなんだか俺にも……」

「わかんないの?」

「……ああ……うん」


 彼は薄く笑みを浮かべた。酷く心許ない顔だ。アネッサは僅かに眉を顰めた。なんだか嫌な予感しかしない。


「住んでいた場所はわかる?」


 おそらくこの街の出身ではないと踏んでいた。馴染みある者ならは口にしない。もっとわかりやすい目印が他にあるのだ。近隣住民だって迷わずそちらを挙げるだろう。

 青年は視線を外ししばし考えこんでいたが、そのうちに首を横に振った。すわ記憶喪失かと蒼白になりかけたアネッサに対し、青年は即座に否を告げた。旅の途中であるらしい。ただ、どこから来てどこに行こうとしていたのかは度忘れしたのか出てこないと。アネッサは両腕を組むと思案に沈んだ。


 不安がなかったといえば嘘になる。犬や猫ならこれまでも幾度となく保護してきたが今回は人間だ。小動物を拾うのとではわけが違う。もしかしたらとんでもない厄介ごとに巻きこまれることすらあるかもしれず、だがアネッサには見殺しにすることができなかった。


「ねえ、あの……」


 押し黙ってしまったアネッサに青年がおずおずと声をかけた。


「きみ、大丈夫かい?」

「なにが」

「いや、あの……怒られないかなあって」

「怒られる?」


 思いもしない語が耳に飛びこんで、アネッサは再び青年を見下ろした。彼の口許には微笑が浮かんでいた。


「俺をここに運んでくれたの、きみなんだよね……? 家の人は、このこと知ってるの? 見ず知らずの人間を、自宅に入れるなんてさ……あまり褒められたことじゃないだろう」


 アネッサは目に不快の色を滲ませた。


「お望みなら今すぐ放り出すけど」

「ああ……ごめん、違う。感謝してるんだこれでも。……その、迷惑かけたんじゃないかと思って」


 彼はまごついて言い、世話してくれてありがとうと結んだ。どうやら自分の発言内容が彼女を不快にさせたと思ったらしかった。それはある意味では正しく、ある意味では違った。

 自然と眉間にしわが寄る。――気に入らない。

 もっと明快且つ端的に話せないのか。体調が悪いせいなら致し方ない。が、もし元からこうなのだとしたらできる限りご免被りたいタイプだった。

 やはり連れてきたのは失敗だったのか。今さら言ったところでもはやどうしようもできないのだけれど。


 何を言っても彼の顔色が悪いのは明白だった。倒れてきたのを受け止めたときなどそのあまりに冷えきった身体に目をいた。

 季節は早春。日ごと暖かくなってきていたが、日によってはまだまだ冷えこみが厳しい。この時期の低体温は芋蔓式に生命の危機を連想させ、とにかく必死で抱きかかえて連れ帰ったわけだ。青年が長身の割に痩せていたからこそできた芸当だった。

 白い顔で横たわる姿に何度呼吸を確認したか。そうして心配した結果がこの有様では拍子抜けもいいところだった。




 しばらくして医者が到着した。あいにく主治医は留守だったらしい。代わりに来たのはその高弟と名乗る人物だった。

 おもむろに診察しようとする医者の手を青年はやんわりと止めた。顔には温和な笑みが浮かんでいた。


「診察はいいよ。大丈夫」

「だが顔色がすこぶる悪い。どこぞ病があるやも」

「本当に必要ないから。せっかく来てもらって悪いんだけど」


 にこにこしながらも頑として譲らない青年を前に、壮年の医者が困惑しているのがわかる。

 そしてアネッサも驚いていた。この変わりようは一体なんだ。自分とは要領を得ない会話を繰り広げておいて、ちゃんと要点を押さえた会話もできるんじゃないか。

 医者の手前、一喝することだけは思い止まったがどうにも胡散臭いことこのうえない。それでもアネッサはこそっと耳打ちしてやった。


「……あんたさ、もし気掛かりなことがあるならこの際だから聞いておいたら。疲れてるように見えるし、本当に顔、白いよ」

「うーん、肌が白いのは元からなんだけどなぁ。……あ、じゃあひとつ聞いてもいいかな?」

「なんなりと」


 医者は目に見えてホッと表情を和らげると鷹揚に頷いた。青年は微苦笑を浮かべた。


に効く薬って、あるかなぁ?」

「……は?」

「お腹すきすぎてて、なんか気持ち悪くて」


 医者の顔が固まり、室内の時が止まった。

 銀髪の青年だけが変わらずにこにこと笑っていた。

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