第2夜 夢かもしれない

 

 不思議な夢を見ました。


 わたしが見る夢は、以前読んだ事のある物語にそっくりでした。

 小説投稿サイトにあった『夢だけしらない』という短編小説と、ほぼ同じ内容だったのです。


 目が覚めているときには、夢の中の出来事を忘れている男性の話です。

 彼が夢の中だけの恋人と逢瀬おうせを重ねて、やがてかなしい別れを迎える物語です。

 小説投稿サイトで、この『夢だけしらない』という作品を目にしたとき強く興味をかれました。


 物語の設定や話運びが、どこかで読んだような気もしました。

 でも、他の小説と内容が似ている事なんて、素人の作品にはよくあるのです。



 わたしが、その話から目を離せなくなった理由は、作品にある張りつめた感覚です。

 小説に書かれている曖昧あいまい不条理ふじょうりな内容からすると、創作には違いないのでしょう。

 けれど、もしかすると実際に作者の見た夢を書き留めたものかも知れない。

 そう思わせる臨場感りんじょうかんもあり、一読いちどくした後には忘れがたい作品になっていました。


 いつしか、物語の中で彼に愛されている女性は、もしかしたら自分ではないだろうか?

 わたしも物語の登場人物である彼のように、目覚めている時には夢の中の出来事を忘れているだけなのかもしれない。

 そんなあるはずもない想像さえ、思い描き始めました。

 もちろん、ただの空想です。自覚もあります。

 しかしその空想は、わたしの頭から離れないのです。


 小説と自分には、関わりはないという理性と、なにかしら関わりがあるのではないかという空想が、ずっと頭のなかに留まっていたのです。


 そんな思いが、こうじたからなのでしょう。

 ある日の夜、わたしが夢の中で目が覚めると『夢だけ知らない』で描かれていた、あの森の中の家にいました。


 夢の中で目覚めて、辺りの様子を見たときも不思議に驚きや混乱はありません。

 やっぱり、わたしはこの世界で暮らしていたのだと、喜んだ事を覚えています。


 しかし物語を書いた、わたしの想い人かも知れない人の姿は、見あたりませんでした。

 家には、わたしともう一人女性がいるばかりです。


 この人は誰だろうと思いながらも、声はかけられませんでした。

 彼女はいそがしく立ち働いています。どうやらお茶の用意をしているようでした。

 手持ちぶさたのまま家の中を見渡していると、写真立てに男性の写真がありました。

『夢だけしらない』の登場人物に当てはめてみると、彼があの物語を書いた人なのでしょう。


 写真を手にとって見ているうちに、お茶が入ったと女性に話しかけられました。

 どうやら、わたしと彼女とは親しい間柄あいだがらのようです。

 夢に特有の都合の良さからか、話すうちに夢の中でのわたしの記憶がよみがえってきました。

 ここでようやく、あの短編小説に書かれていた夢の中の出来事と自分との関わりを理解したのです。


 少し残念でしたが、わたしは彼に会っていた女性ではありませんでした。

 彼に恋するイチエという名前の女性。

 目の前にいる彼女の姉だったのです。


 夢の中の自分についての事実を知り、自分が期待した恋人の役割ではなかった事に浮きたった心は落胆らくたんしました。

 それと同時に、気がついたのです。

 いまの妹とその恋人は、やがて来るはずの哀しい別れをまだ知らないのだと。


 どうやら、わたしは小説の結末よりも少しだけ前の時間にいるようです。

 ふしぎな事に妹の恋人とはその後も顔を合わせる機会はありませんでした。

 これらは夢にありがちな不条理ふじょうりな設定なのだろうと、ひとりで納得なっとくしたものです。


 わたしは『夢だけしらない』の主人公と違い、夢の中で起こった物事は目が覚めた後もすべて覚えていました。

 いま思い返しても、イチエと一緒に過ごしていた時間は楽しいものでした。

 姉妹のいなかったわたしには、夢の中で妹と過ごす時間は新鮮な体験です。

 夢の中の妹が、可愛く思えてしかたがないのです。

 イチエが喜んでいるようすを見たら、わたしまで微笑ほほえまずにはいられません。


 いつしか夢での生活は、わたしにとって大切な時間になっていました。

 でも、この物語の結末も忘れてはいません。

 このまま時が過ぎれば、やがてイチエは彼と別れるのです。

 よく笑う可愛い妹が恋人と別れて、涙する日が来る。

 その事を思うと、やりきれない悲しみが、わたしの胸をふさぎます。



 十日も過ぎた頃。

 わたしの不安に沿うように、恋人たちは段々と会えなくなっていました。

 やはり、小説に書かれていたように別れが近いのでしょうか。

 いたたまれない思いがあふれます。


 意を決して、わたしは妹にげました。

 彼との悲しい別れが近いうちに訪れるかもしれないと。

 それを聞いたイチエは頷きます。

 ふしぎなことに、彼女もいずれ二人は夢の中で会えなくなる事を知っていました。

 妹にもずっと、別れの予感があったのだそうです。

 悲しい結末を語り終えて、聴きながら子供のように泣きじゃくるイチエを、わたしはずっと抱きしめていました。


 これは、ただの夢の中のお話です。

 夢の中のできごとも、わたしの役割も、自分でこしらえたものなのでしょう。

 きっとこの妹も、わたしが都合よく作った登場人物なのです。

 この悲しい気持ちも、そう思いこんでいるだけの幻覚なのです。


 夢は現実ではないから、意味も値打ちもない。

 でも、意味も値打ちも、つきつめて考えれば人の思いこみで決められるものではないでしょうか。

 イチエは、まぎれもなくわたしの家族でした。

 ですから、少しでも妹のために何かをしてあげたかったのです。


「わたしにできる事は、ないの?」


 そう尋ねたときも、彼女は何も言わず首を横にふるばかりです。

 そんな彼女を見ながら、わたしは妹と彼をまたいつか会わせよう。

 そう、心に決めました。






 まぶしい白光が視界をめます。

 突然、目の前に車が現れました。

 驚き、立ちすくみます。

 急に進路を変えた車は、道路脇の資材置き場へ入り、そのまま止まりました。


 動悸どうきが収まりません。車にかれかけたのですから当然です。

 でもそれだけではありませんでした。

 運転席にいたドライバー。その人を見て、驚いたのです。


 ほんの一瞬、見ただけです。けれど彼の顔は間違いようもありません。

 その車を運転していた男性は、わたしの夢にいた妹の恋人でした。


 驚きました。

 彼は夢の中だけの人物ではありませんでした。

 では、もしかすると妹だって実在するのではないのでしょうか。


 同時にわたしは、あの夢について抱いていた疑問の答えがわかりました。

 あの夢の中の世界を生んだ物語を書いたのは誰か。

 どうしてわたしは妹の彼と会わなかったのか。


 わたしが夢を見ていたのは、二十日の間ではなかったのです。

 いまこのに、私はを体験したのです。


 運転していた男性、彼が十年かけて見た同じ夢の中に、わたしは二十日の間いた。

 そう思っていました。


 でも実際に、わたしが彼とイチエの夢の中にいた時間は、だけでした。

 車に轢かれるという恐怖によって、気を失ったわずかな瞬間の中で見た夢。

 その一瞬のなかで、わたしはイチエと暮らしていたのです。


 あの物語の筋立すじだてどおりならば、彼は事故で自分を死なせようとしたのです。

 わざと居眠り運転をしかねない状況を作って車に乗ったのです。


 動悸どうきは、まだ止まりません。

 でもわたしは、心を決めました。


 夢の中で、それも誰かの夢の中で感じたものだとしても、愛情に変わりはないはずです。

 わたしの気持ちは、わたしだけのものなのですから。


 夢の中の妹が少しでも悲しまないでいられるのなら、妹の気持ちを彼に伝えに行きます。

 彼を現実にいるであろう妹に会わせたいのです。


 彼は運転席でうつむいています。もう眠ったのでしょう。

 物語の通りなら、彼は夢の中で気持ちの整理をした後に彼と彼女の物語を文章につづるはずです。


 彼の物語。

『夢だけしらない』という表題の短編小説が、ネットの小説投稿サイトに掲示された時。

 わたしはコメントをつけるつもりです。


 彼と話さなければなりません。

 でも慎重にです。

 まさか夢であなたを知ったものですが、なんて正直に話しかけたりはできません。

 きっと信じてもらえないでしょう。


 慎重に注意深く接する。

 信じて貰わなくてはいけないのです。

 絶対に、です。


 彼の小説につけるコメントは、もう決まっています。

 妹と彼との夢での話を語った内容です。

 その文章は、こう書き出すのです。


 不思議な夢を見ました。


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