第2話

「いや、まさか汐月しおつきさんがこんなに話せる人だったなんて……」


「ふふっ、久しぶりにこんなに笑いました。深見ふかみさんのおかげです」


 酒の力もあってか打ち解け、汐月まいさんという名前を知ることができた。

 確かにコンサルに勤める上で培ったかなめの話術は会話を盛り上げる一因だった。しかしそれ以上に、女性が話し上手だった。話しているうちに陰鬱な雰囲気は霧散し、一つの話題から広げたりおちのある話をしてくれた。


「んー、やっぱり汐月さんは笑ってた方がいいですよね。その方がずっと可愛いですよ」


「か、かわっ……⁉ ちょっと深見さん、ちょっと吞み過ぎですっ!」


 実はそんなに酔っていない。ただ、酔ったふりをして、酒のせいにすれば、臆せずに踏み込める気がしていた。


「汐月さん、最初店に入ってきたときなんかすごい思い詰めた顔してたじゃないですか。どうしたのかなーって、心配してたんです」


祥太しょうたが、だけどね……)


 初めは声を掛けるなんて面倒だと思っていたが、今こんなに楽しく話すことができている。要の心の中にはきっかけをくれた祥太への感謝が芽生えていた。


「まあ、ちょっと失敗しちゃって……」


「よければ聞かせてくれませんか? 吐き出したら楽になるかもしれないし……」


 一時間前に「なんで俺が──」なんて言っていたことが嘘のように、要は舞に興味を持っていた。


「……じゃあ、少しだけ聞いてもらえますか?」


 舞もまた要を少し信用してきた様子で、自身の悩みを訥々と要に打ち明け始めた。


(酔いが回ってんのか知らないけど、結構警戒心弱めだな……)


 ざるな要はまだ酔っていないが、舞の顔には朱が差している。はじめあれだけ警戒の色を瞳に宿らせていたにも関わらず、一時間足らずで初対面の男の前で酔っているのは些か警戒心が足りないのではなかろうか。

 万が一、億に一も酔った女性に手を出すことなどあり得ないが、ここまで警戒心が足りないと見ていて不安になるのもまた事実だった。


「私、バーテンダーなんですけど、今日お客様の前でグラスを割ってしまって……」


 舞が話し始めたことで要の頭は心配から傾聴へモードが切り替わる。


(汐見さんはバーテンダーなのか……)


 舞がバーテンダーだと知って、要は何かが腑に落ちた感覚だった。


 穏やかそうな顔立ちに、大きな丸眼鏡。


 外見だけ見ればバーテンダーのイメージにはそぐわない。しかしこの一時間、一つ一つの所作が丁寧だったり細かい所への気配りなど、うっすらだが内面の見えるシーンがあった。

 ただ育ちの良い女性なのだとばかり要は思っていたが、職業から起因するものもあったのかもしれないと思った。


「グラスの破片がお客様の前に飛んでいってしまったこともあって𠮟られてしまいまして……。店長はかばってくれましたし先輩もフォローしてくれたんですけど……。最近ミスが続いてて……情けないなって……」


 そう語る舞の表情は、痛いほどに苦しそうだった。


「この先私はバーテンダーを続けられるんでしょうか……」


 要はなにか言葉をかけようと口を開くも、言葉が出てこない。


「そのお客様にも、バーテンダー向いてないから辞めろって……。子供のころからの夢だったんですけどね……」


 そこで舞の口は止まってしまった。


 俯く彼女の眼鏡のレンズに落ちた雫を見て、要もまた、口をつぐんだ。


 二人の間に、静寂が訪れる。


「……汐見さんなら大丈夫、なんて無責任なこと言えないけど……それだけ落ち込めてるのって凄いことなんじゃないんですかね……」


 長らくの沈黙を経て、先に口を開いたのは、要だった。


「僕も昔、コンサルの仕事が向いてないんじゃないかって悩んだことがありました。でも祥太に、ここの店長に相談したときに言われたんです」


 もう四年以上前の話だ。仕事の悩みをここで話したときに祥太に言われた言葉が今でも頭に残っている。



──「結局どんな仕事だって辛いんだから、少しでも好きな仕事やったら良いんじゃねえの?」──



 いたって単純な言葉。しかしその言葉を聞いて、四年前の要は今の職場で頑張り続けることを決めた。

 忘れかけていた、仕事が好きだという気持ちを、取り戻した。


「失敗して、向いてないのかなって思っちゃう気持ちはめちゃくちゃ分かります。でもきっと汐見さんは、まだバーテンダーが好きで、だから悩んじゃってるんですよね?」


 穏やかに問いかければ、舞は俯いたままこくりと首を縦に振った。


「好きで上手くいかない時が一番つらいと思います。だから無責任に続けろなんて、僕は言いません」


 好きでも得意でないことを続けるのは非常に苦しいことで、深く知らないくせに


「続けろ」なんて無責任なことは言えない。彼女の人生を左右しかねないことを軽率に言うべきではない。


「でも、すごいですよ、汐見さん。大変なことを乗り切ってきた汐見さんは、本当に凄いです」


 今にも自分の価値を見失ってしまいそうな彼女をこの世に繋ぎとめたくて、要はそんな言葉をかけた。

 ただその言葉に一切の嘘偽りはなかった。


「僕は汐見さんがバーテンダーに向いてないとは思いません。お客さんに言われたことをしっかり受け止めて、反省してる。それだけで十分すぎるくらいの素質じゃないですか」


 四年前の自分は漠然とした「コンサルが向いていないかもしれない」という不安感に焦っていただけだった。でも今の汐見さんは厳しい現実にしっかり向き合って今後の事を考えている。


「僕個人としては、汐見さんみたいな人が作ったお酒を呑んでみたいですね。続けてほしいと思ってます、バーテンダー。個人の意見なんで参考にする必要はありませんけどね」


「……っ」


 舞は一瞬顔を上げたかと思うとすぐに俯いてしまった。

 顔を伏せたまま要の左袖を掴み、彼女は大きく嗚咽を漏らした。


「泣いたっていいんです。一回全部吐き出してから、次の事を考えましょうよ」


 両手で、しわになるくらい強く、要の袖を握る彼女。その姿は縋っているかのようにも見えた。

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