きっとまた、あの居酒屋で
松柏
第1話
日は沈み、夜空に浮かぶ満月が照らす呑屋街。
人々の話し声あふれる賑やかな居酒屋のうちの一つ、「居酒屋
「お、要か。注文は?」
「んー、とりあえず生と枝豆」
要は無気力さを隠さずに注文を告げた。
「あいよ!」
威勢良くそう返事したのはこの居酒屋の店長、
注文したものを待つ間に要はネクタイを緩め、それまで伸ばしていた背筋を丸めた。
「はい、生ビールと枝豆ね」
程なくして注文したものがカウンターに置かれる。
ジョッキを呷って半分ほど飲む。冷たいビールが喉を通る感覚が気持ち良い。疲れた身体に染み渡る。
ジョッキをカウンターに置いて長く息を吐けば、祥太が問いかけてきた。
「俺が言うのもなんだけど、要はもっと高い店に呑みに行ったりしねぇの? 職場の先輩に高い店連れてってもらったりとかよ」
確かに大手コンサルに就職して早六年が経った。しかし、要は他人と積極的に交流しようとしない。そのため先輩との関係は希薄だった。
「入社したての頃に高い店に連れてってもらったこともあったけど、何か息が詰まるんだよ。誰だって仕事終わりは力を抜きたいだろ」
だったら居酒屋の方がいいんだ、と言外に祥太に伝える。
「そんなもんかねぇ」
祥太は半ば呆れたようにそう言った。
煩わしいようなその視線を振り払うように、要は再度ジョッキに口をつけた。
「俺的には先輩に高い店に連れてってもらって、とか憧れるけどなぁ。先輩が美人の女性だとなお──」
──♪♪──♪♪──。
その時、入口のチャイムが鳴った。
「ほら、お客さんだぞ」
要はそう言って祥太の妄想話を打ち切った。
「いらっしゃいませ、空いてるお席へどうぞ!」
「は、はい……」
祥太と客のやり取りを耳にしながら、メニューを眺めた。
「祥太、ねぎま三本追加で」
やってきた女性客を案内し終えた祥太に追加の注文を投げる。
「はいよ!」
◇◆◇
「ねぎま、お待たせしました!」
祥太は要の前に焼きたてのねぎまを置いた。しかし厨房の方に戻らずに要を見ている。
「……なんだよ」
要がそう問うと、祥太が顎を軽く動かして先程来た女性を指した。
「なあ要、少し声を掛けてみてくれないか?」
「なんでだよ。声くらい自分で掛けたらいいだろ」
意味の分からない要望を冷たく突き返す。しかし祥太は意に介さず続けた。
「おいおい薄情なこと言うなよ、見てみろよあの女性の顔。何か思い詰めてる感じだろ? 少し話でも聞いてやれよ、要」
先程来た女性を見遣れば、確かに賑やかな居酒屋の空気には似つかわしくない陰鬱な雰囲気を醸し出していた。
「店長のお前が話しかければいいだろ」
しかし要には全く興味がなかった。
「話しかけられたくない時もあるだろうし、そもそもなんで俺が人の心配をして話を聞いてやらなきゃいけないんだ」
もとより要はプライベートで人との関係をあまり持たない。一人の時間を大切にしたい要は、時間を縛られるような人間関係は邪魔でしかないと思っていた。
「いいから話しかけてみてくれよ、ねぎま一本サービスするからっ」
「……ったく、仕方ない……」
グイっとジョッキを呷り、最後まで飲み干す。
祥太がそこまで押してくることも珍しい。サービスするというのなら少し話を聞くくらい、と要は立ち上がった。
「すみません、お隣いいですか?」
要は枝豆と焼き鳥を手に、女性にそう問いかけた。
「え、はい、どうぞ……」
隣へ座ることは許してもらえたが、女性に瞳には疑いの色が宿った。
「突然すみません。今日友達と来てたんですけど急用が入ったとかで帰ってしまって……。良ければ一緒に呑んでくれませんか?」
もちろん嘘だ。要がプライベートを友人と過ごすことはほとんどといって良いほどない。
「えっ」
急に話しかけられた女性は戸惑っていたが、要はそのまま続ける。
「お姉さんビール飲めますかね? 店長、生二つ」
「はいよ!」
「えっ、え?」
うろたえる女性をよそに要は追加注文を済ませる。
「奢りますし、少しだけ、いいですか?」
(ちょっと強引すぎたか……?)
彼女いない歴=年齢の要が初対面の女性と一緒に呑むときに掛ける言葉など知るはずもなく、かなり強引になってしまった。証拠に女性の瞳には先程と変わって僅かに恐怖の色が滲んでしまっている。
「……なんで、私なんですか……?」
女性は小さな声で言った。
「優しそうだから、僕と一緒に呑んでくれるかなと思いまして」
「そうですか……。まあ、少しだけなら……」
こうして要は一緒に呑むことを了承してもらった(強引に)。
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