回想(過去 誕生〜大学)

 1

 僕の"美貌"は、の領域から大きく逸脱している。

 そのことを自覚したのは、いつだったか。遅くとも、物心がついた頃には自覚していたように思う。


 翡翠色の大きな瞳に、綺麗に長く生え揃った睫毛、白くつるりとした肌。そのどれもが、母と瓜二つだった。

 一歩街に出れば、吸い寄せられるように大人が群がり、僕の眼前で興奮し、息を荒げていた。涙を流し、赤子の僕へ向けて、祈りを捧げる者もいた。

 僕に接吻しようと集う、哀れな子羊じみた大人たちに対し、母は対価として大金を要求した。だが、大金を巻き上げられてなお、子羊たちは雪崩れ込み、降り注ぐ札束のなか、僕に無数の接吻を浴びせかかる。おかげで、随分と長い間、僕は札束と接吻を挨拶だと勘違いしていた。


 2

 尋常を遥かに超えた"美貌"は、人間を狂わせる。

 最初に狂った、一線を超えたのは、屋敷に住まう家政婦だった。

 別れた父から母が譲り受けた屋敷には、住み込みの家政婦がいて、彼女が屋敷の家事をすべてこなしていた。

 僕が生まれたばかりの、当時の彼女は大学を出たばかりの筈だが、とても優秀だったように思う。僕が進学して家を出るまで、毎日美味しい手料理を振る舞い、広い屋敷を隅々まで掃除して清潔を保っていた。母の突発的な我儘にも上手く対応し、一つ結びにした髪を揺らして、風のように屋敷を駆けていた。

 だが、溌剌とした笑顔の裏で、彼女はとっくの昔に狂っていた。僕の"美貌"によって。


 彼女が一線を越えた日の記憶を辿る。

 あれは、僕がこの世に生を受けてまだ数ヶ月の頃だろうか。

 まず、目に浮かんだ情景は、天井から吊るされた、巨大なシャンデリアだった。黄金の支柱を、硝子と灯火によって絢爛豪華に装飾させたそれは、明治以来の伝統ある屋敷のなかでも一際目立つ美しさを誇り、幼い僕の目には、さながら"逆さ向きの天国"のように映った。

 その日、"逆さ向きの天国"に圧倒される僕の股間に、奇妙な感覚があった。視線を下げれば、オムツを替えていた筈の家政婦が、僕の股間に顔を埋めていた。幼い僕の、まだ小指ほどのペニスと睾丸を口に含み、舌で飴玉のように転がした。顔には至福の表情が浮かんでいた。

 彼女の舌に嬲られ、僕は身体をよじらせた。むず痒い刺激に、脳内がチカチカと点滅する。

 彼女の舌がチロチロと、素早く動く。意識が次第に薄れた。熱に浮かされ、ぼやけた視界の中で、"逆さ向きの天国"が迫ってくるように錯覚した。


 天国が落ちてくる。

 そう感じると同時に、僕の脳内で火花が弾け、肛門からショットガンみたいな下痢が噴射した。

 薄目の視界で捉えた彼女は、糞便を髪から垂らしながら、溌剌とした笑顔を一切絶やさなかった。


 3

 幼い頃から家政婦のを受けていた僕であったが、初めてのセックスは案外と遅く、小学四年生だった。


 今思えば異様な小学校生活だったが、それを最初に予感したのは入学式だろう。

 新入生の名前が次々と呼ばれるなか、返事をした者は僕以外に誰もいなかった。新入生全員が、壇上の校長に背を向け、返事もせず一点を凝視していた。

 無論、その視線の先は僕だった。粘着質な熱のこもった視線が、僕の全身を灼いた。新入生四百余名の呼名が、体育館に空虚に響いていた。


 学校で僕が一人で行動した記憶はない。常に複数の女子生徒が僕に付き纏っていた。校庭でも、保健室でも、図書室でも、何処にでも。休み時間になれば、壁から這い出たように、女子生徒が自然と僕の背後についていた。便所の個室にすら、いつも女子生徒がいた。

 屋敷から運転手が迎えにくるまで、名前も知らない女子生徒と無言で過ごす。これが当時の日常だった。


『小学生の頃は足が速い男子がモテる』。大人になってから知った俗説は、僕の学校では適用外だった。隣のクラスの男子生徒が百メートル走で十秒台を叩き出したときも、女子生徒の視線は、僕に注がれていた。


 4

 初めてのセックスは、そんな学生生活の渦中で迎えた。その日、僕は忘れ物を取りに放課後の学校へ赴いていた。

 誰もいない筈の教室から聴こえた、ぴゅ〜〜いという奇妙な音に、違和感を抱きつつ扉を開けると、女教師が立っていた。育児休業から復帰したばかりの女教師は、スカートを捲り上げてガニ股で喘ぎ、股間に生えた異物を、上下にせわしなく動かしていた。ペニスと見紛ったそれは、僕のリコーダーだった。

 女教師は一瞬取り乱したが、リコーダーと僕の股間とを交互に見比べ、何かを逡巡すると、納得した表情で僕を押し倒した。大方、「本物があるなら本物を挿入れた方がいい」とでも考えたのだろう。


 女教師は僕のペニスを万力のような力で強引にシゴくと、左手を添え、黒々とした股間へといざなった。右手に握られたリコーダーから滴り落ちた粘液が、僕の頬を濡らした。

 温かい。接合時に感じたのは、ただそれだけであった。僕のペニスに貫かれると、女教師は全身に電流が走ったかのように駆動を止め、やがて再起動し、涎を垂らして腰を激しく振った。

 校庭から風が入り込み、教室に貼られたポスターを揺らした。クラスの全員で決めた、今月の目標【教室では静かに!】が揺れる中、女教師だけが獣のような声をあげていた。


 給食袋を手にした僕が校門に戻ると、運転手が待っていた。彼は全てを察したような表情で僕を見つめ、音もなく車を発進させた。

 車窓から見える夕焼けが、現実とは思えないほどに赤かった。


 5

 中学校からは、毎日がセックスだった。

 その頃には、運転手の送迎を断っていたものだから、歩道でも、電車でも、あちこちで声をかけられる。そうなれば、仕方がない。時間も場所も問わずにセックスを開始した。

 当然、授業には殆ど出席できなかったが、校長を含めた女教師全員とセックスしていたためだろうか。問題とはならなかった。


 しかし、流石に見境なくセックスをし過ぎたのだろう。

 名も知らぬ女の、恋人や夫を名乗る男から恨まれることが増えた。僕としては女の求めに応じただけであり、迷惑な話だったが、男の言い分にも一理ある。仕方なく、暴力を受けた。


 雑居ビルの裏に連れ込まれ、リンチを受けたこともあった。

「死ね!死ね!」。彼らの罵声と、全身を殴打する乾いた音が灰色の壁に響く。

 しかし、不思議と、僕の顔面にだけは誰も手を出さなかった。

 神仏を信じていない者でも、祠を壊す行為には忌避感を示す。それに近いだろうか。僕の"美貌"への攻撃は、怒りに支配された彼らにとっても、躊躇する行いだった。


「クソが!ひとの女を寝取って楽しいかよ?」


 男のひとりに勢いよく腹部を蹴りあげられ、呻く。込み上げた胃液を吐いた。

 すると、何処からともなく少女達が現れて僕を取り囲み、男達を非難した。彼らの恋人もいたのだろう。男達はバツが悪そうに去っていった。


「可哀想」「お労しい」。少女達は口々に僕を憐れみ、僕の傷を舐めた。全身の痛みが引いていく。いつのまにかペニスが剥き出しとなり、愛撫が始まっていた。

 全身への愛撫を浴びながら、僕は男の言葉を反芻していた。


『ひとの女を寝取って楽しいかよ?』


 楽しいと感じたことは一度もなかった。おそらく、女を寝取る楽しさは、女の恋人に対する勝利の感情だろう。その前提として、敗ける側の、普通の恋人の感情を理解する必要がある。

 僕には、そのいずれもない。虚無感の募るペニスから一筋の白線が噴き、僕は果てた。


 6

 都内の大学から帰省すると、庭に死体が並んでいた。男ばかり、知らない顔が並び、いずれも身体に空いた穴から血を流していた。

 死体の上でケンケンパをして飛び跳ねていた母が、僕に気づいて向かってきた。

 純白のワンピースが太陽の光を反射させながらひらりと靡き、見たものの心を洗い流すような無邪気な笑顔を見せる。

 相変わらず、十代の美少女にしか見えない。

 死体の山の中に、一輪の花が咲いていた。

 

「帰ってきたんだね、あぁ、コイツらかい?

 アタシがせっかく気持ち良く二度寝しようってのに。

 アンタに女を寝取られただの返せだのってギャーギャー、ギャーギャー。

 あんまり五月蝿いから、コイツを食らわせてやったまでさ。

 ワルサーPPK/S。

 英国情報部のガキに気に入られていた時期があってね、久しぶりに撃てて楽しかったよ」


 ワルサーPPK/Sと呼んだ、小型自動拳銃を人差し指でクルクルと回すと、母は死体を蹴った。

 その中に、見知った顔があった。誰だったか。思い出そうとすると、母が代わりに答えた。


「アンタ、アタシの可愛い家政婦と寝てるだろう?小さい時から、ずぅっっと。

 いや、アタシはいいんだ、瑣末な事さ。


 ただ、この運転手クンが、あの子の婚約者だったらしくてね。

 アンタを殺すだなんだと大騒ぎさ。

 可笑しくってねえ、笑って見てたんだが。

 火まで持ち出されちゃあ仕方ない。

 アタシの服が燃えちまう。

 何を今更、どのツラ下げてだよ。ハハハ、本当にどのツラ」


 高笑いとともに、母は引き金を引いた。ワルサーPPK/Sから射出された銃弾が、運転手の顔面ツラをグチャグチャに潰す。初めてセックスをした日、僕を見つめた彼の表情が脳裏を掠めた。

 母は満足げにワルサーPPK/Sの銃口に息を吹きかけると、僕の方へと向き直った。


「しっかし、アンタは面白くないねえ。

 アタシの家政婦チャンに、教師連中、ホームレスに、活動家に、アイドルに、政治家に……。

 二千人を超えちまった、指が足んないよ。

 続きはアンタが数えておくれ。

 まあ、とにかく色んな女と寝たもんだね。

 アタシは全部ちゃ〜〜んと把握してんのさ。


 でもね、アタシの産んだ子なら、これ位は普通さ。

 これじゃあ合格点はあげられないねえ。

 もっと愉しませてくれなきゃ困るよ、欠伸が出ちまう。

 あんまりアタシを退屈させないでおくれ」


 ◇

 部屋に戻ると、妙齢となった家政婦が、期待した目で僕を見つめていた。

 手際よく僕の衣服を剥ぎ取っていく。小ぶりな尻を向けられ、挿入すると、家政婦が快感に身を捩らせた。一つ結びにした髪が揺れ、白髪が数本混じっているのが目についた。

 腰を振り、ぼんやりと考える。

 女に求められ、男に逆恨みされる。面倒なだけの、楽しくもない毎日だった。

 そうだ。

 家政婦の恍惚とした顔に精液をぶち撒け、僕は密かに決心した。


 自分の人生を取り戻そう。

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