寝取り寝取られる蛇の環

真狩海斗

序章(現在)

「アンタは勿論知らないだろうがね。

 アンタを産むまでのアタシはそりゃあ凄かったんだ。今だって並の連中とはものが違うがね、当時のアタシは桁が外れていたよ。

 聖人から英雄、好青年にヤクザ者まで。

 アタシの魅力にひれ伏さない男は、この世の何処を探しても存在しなかったね、

 眼の合った男を片っ端から、略奪し、籠絡し、陥落させた。快感だったねぇ。

 餓鬼も爺もアタシの奴隷。

 あの頃のアタシなら大統領だって手籠にできたさ。戦争だって起こせたね。本当だよ、やらなかっただけさ。


 だがね、アンタを産んだ途端だよ。アタシが纏っていた傾国の妖気が、パッッッタリと消え失せてしまった。不思議なもんだね。

 挙げ句の果てには、つまらない女に夫を奪われる始末さ。散々っぱら男を奪ってきたアタシが、女優風情に男を奪われるなんて。

 ハハハ、嗤えるねぇ。堕ちぶれたもんだよ。

 ところでね、今のアタシにとっての愉しみを教えてやろうか?

 それはね、アンタが辿る運命さ。

 アタシから産まれたアンタは、一体どっち側なんだろうねえ?


 奪う側か?

 それとも、奪われる側か?


 せいぜいアタシを愉しませておくれ、失望させてくれるでないよ?」


 嗚咽に喉を詰まらせながら謝罪を口にする恋人を目の前にして、僕の脳裏に浮かんでいたのは、幼少期に母からかけられた呪詛めいた言葉であった。

 意味不明な呪詛を言い切ると、記憶の中の母は、うっとりとした表情で煙草を吸い、そして、永遠と錯覚するような長い時間をかけ、ゆっくりと、煙を吐いた。吐き出された煙は、いつまでも消えることのない霧となって、僕の視界を分厚く覆う。魔術的な濃霧の中、母の真紅の舌だけが、蛇のようにゆらりと蠢いていた

 

「ごめんなさい。ごめんなさい」。恋人の声で我にかえる。途切れ途切れに言葉を紡ぐ彼女の肩は、小刻みに震え続けていた。罪悪感で押し潰されるように、その小さな頭は深く項垂れ、表情を確認することはできない。

 視線を、彼女からテーブルの中央へと移す。僕のスマートフォンが青白い光を放っている。SNSアプリに、知らない男からのメッセージが表示されていた。


 『よう、兄弟!気持ちよかったぜ!ありがとうなw』


 カップルが憩う喫茶店には似つかわしくない、品性の欠けたメッセージだった。だが、同時に送られた写真は、さらに一段と酷いものだった。

 写っているのは、白い歯を光らせる筋骨隆々の男、そして、その男に胸を揉まれながら、はしたない笑顔で開脚をする、全裸のだった。


 スマートフォンから、スッと輝きが消え、画面に僕の顔が薄暗く反射する。顎には無精髭が目立ち、落ち窪んだ眼窩の中心では、濁った瞳が揺れている。

 すっかり冷えたカフェラテが、テーブルの端で、静かに渦を巻いていた。ラテアートの茶と白が、不気味な紋様へと形を変えながら、互いの領域を侵食し合っている。その動きと同調するように、僕の意識もまた、徐々に現実から塗り替えられ、過去へ過去へといざなわれていく。


 僕はどっちだったんだろう。

 

『奪う側か?

 それとも、奪われる側か?』

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