第4話 私が見たいのは
──私が見たいのはこんな悪夢じゃない、おっぱいだ。
ぐにゃりと風景が歪んで、揺れて見え、頭の中ではくぐもった耳鳴りのような不快な音が反響していた。
先ほど肩にくらってしまった矢に毒か何かが塗ってあったのだろう。矢はすぐに抜いたが、指先には細かく震えが広がり、その感覚は麻痺し始めていた。身体にはしきりに悪寒が走り、首筋にはいやな脂汗がじわりと浮かぶ。
一人の騎士が槍の間合いに入り、腹を真横に薙いだ。とっさに身体を反らし避けようとしたので体勢を崩して落馬してしまう。腹に焼けた火箸を当てられたような熱い痛みが走ったが、騎士が狙ったほどの深い傷にはならなかった。
馬が狼狽したようにいなないて、走り去っていく。転んだ衝撃は受け身を取っていなし素早く跳ね起きたが、別の女が間髪入れず、追撃をしかけてきた。唸りを上げて喉元に迫る剣尖を穂先で弾き飛ばす。耳の痛くなるような金属音が響いて、周りの樹々の黒々とした網目の中に吸い込まれていった。
獰猛な人間たちの気配で獣たちがすっかりと息を潜めてしまった恐ろしいほど静けさに沈んだ森に、剣戟の音だけが虚ろにこだまする。
すでに追手を三人斬り捨てて、残りは二人だった。意を決して一人に斬りかかる。ここで野に
背後にいたもう一人の騎士が怒声を上げながら振り下ろしてきた刃は避けられなかった。背中を縦に深く斬られたが、今度は不思議とあまり痛みを感じなかった。直感的に
頭まで痺れたようになって、全てが終わってもしばらくはぼうっとその場に立ち尽くしていた。眠くなるような寒気が襲ってきて、意識を保つことに精一杯だった。流れる血が身体をつたって濡らしている。上着を脱いで背中の傷の上から縛ってみたが、血止めの効果があるかどうかはわからなかった。
幸いにも、乗ってきていた馬は近くの茂みに手綱が絡まっていて逃げ出していなかった。槍を杖のようにして歯を食い縛りながらなんとか近づくと、馬は濃厚な血の臭いに怯えたのか、白く目を剥いて、首を反らしながら鼻を鳴らした。縋りつくようにして馬に跨がり、
森を抜け草地に出ると、遥か遠くの山並みに沈み行く太陽が稜線にたなびく雲を茜色に染め上げているのが見えて、もう少しで夜の
だが、再び追手が殺到してくる馬蹄の音が聞こえる。乗馬の足が投石の紐に絡め取られ、草地に身体が叩きつけられる。上から投網が覆い被さって、その縄の湿った土っぽい匂いを嗅いだ……。
「くそ……」
この悪夢を見る。私が王女と一騎討ちの末、王女を殺し、追われ、捕まり、傷を負ったまま死刑囚鉱山送りになった光景を繰り返し見る。
地獄に送られてからは、この世界での母のことをたびたび思い出していた。母がよく作ってくれる羊肉のシチューの味が好きだった。不治の病を患った母は、十の私に、エルタール先王の落とし
だが騎士団の訓練所で待っていたのは、貴族たちの中でただ一人の平民、しかも男である私に対する冷たい嘲笑と偏見だった。訓練所の広間に入るたびに、貴族からの蔑んだ視線が突き刺さり、耳には彼らの嫌味や侮辱が絶えず届いてきた。貴族たちが鍛錬の合間に笑い合って過ごす中、私に押し付けられるのは掃除や雑用。手には毎日のように木剣ではなく、モップやバケツが握られた。
しかし、それよりも私を苦しめたのは、夜に行われる暴力。訓練を終えた後、私は貴族たちに呼び出され、理不尽な暴力を受ける日々が続いた。殴られ、蹴られ、身体は常に新しい痣で覆われていった。痛みに歯を食いしばりながらも、だが泣くことはなかった。むしろその屈辱が、己の中の何かを燃え上がらせていた。
やがて、私は孤独の中で剣を握り、真夜中にひっそりと鍛錬を重ねるようになった。疲れ果てても剣を手放さず、無心で振るい続けた。手の皮が剥け、血が滲んでも、訓練をやめなかった。剣術、槍術、弓術、馬術、魔法の修練……。
その結果、私は他の誰よりも強く、冷徹な戦士となることができた。次第に周囲の騎士たちも私を侮ることはなくなった。
御落胤の私は、祖国エルタールに戻っても帰る場所などないだろう。さて、どうやって暮らすか。
──次は女帝と一晩中えっちする夢でも見せて欲しい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。