第2話 悪薬口に甘し

 まだ治らない頭痛を抱えて、ぼくは診察室のドアを開けた。

「どうされたんですか?あまり調子が良くなさそうですが」

「いやぁ、シャツ一枚で外にいたら風邪ひいちゃって」

「シャツ一枚って……あなた昨日の天気予報聞かなかったんですか?『珍しく冷えるから気を付けましょう』って……そりゃ風邪ひきますよ」

 知ってた……

「全く……仮に知らなかったにしても、すぐ帰るとか、どこか建物に立ち寄るとかすればよかったのよ」

「いや、知ってはいたんだ、ただ……」

「た、ただ……?」

「浮気がバレて夜中に放っぽりだされたんス……」

「う、浮気……いや、十中八九あなたが悪いにしてもシャツ一枚で放り出すなんて……その、なかなかワイルドなボーイフレンドなのね」

「いや、クレイジーなガールフレンドです」


かおる、さすがに今日はダブルブッキングなんてしてないでしょうね?折角せっかくの休日にあなたがどうしてもなんて言うから来てあげたのよ」

 いつだったか、美鶴みつるが何か欲しがっていたのを思い出したぼくは、詫びを兼ねて一緒にそれを買いに行こうと誘ったのだ。

「え?⁈あ、いやその……流石にちょっとぼくの趣味からはみ出てるかな」

「おバカ、ティーカップ!紅茶よこ・う・ちゃ。気になるカップがあったから見てみたいの」


 ——さぁて、この通りにお目当ての店があると言ってたが……

「にしてもゴチャゴチャした所だなぁ、こりゃあまるっきり遊園地だぜ。美鶴、努々ゆめゆめ迷わないようにしない……と…………美鶴?」

 切れ目ない雑踏ざっとうの中、美鶴が見ていたのは……

「薫、あの人あなたの知り合いじゃない?ほら、病院の女医さん」

「ん…………あホントだ。まさに女の子だろ?あの人ぼく好みのタイプ♡」

「そーじゃなくて!ほら見て、あの様子、普通じゃないわよ」

「——ムムムッあれは、男!……なんてことだ俺というものがありながら……ゆくぞ美鶴!」

 こんなににぎやかな通りがあるというのに二人は薄暗い路地に潜って行く……

(美鶴、もう一人の男、外国人だ……移民ギャングかな?)

(それは考えにくいわね。この辺りにはまだ顔の広いヤクザが門を構えているのよ……せいぜいしがないチンピラが薬でも買いに来たってトコかしら)

 少しばかり厄介だな……あいつ等えらくキョロキョロしやがる。

(う~ん……これじゃよく見えん、もうちょっと……)

「——って薫、もう客の姿がないわ!」

 いっけね逃がしちまったか?流石、前から警戒していただけのことはあるな。

「ハッ!だ、誰!そこにいるの⁈」

「ゲッ!バレたか……俺だよ、妙な所で会ったなケイ先生……あ、こいつは美鶴」

「確かあなたは……か、薫さんですね。失礼ですが、こんな所で話すことはありません。あなた方には関係ないわ」

 行ってしまった……立つ跡を濁さずか、証拠っていう証拠は残していないようだ……

「どうよ美鶴、やはりクロだと思うかい?」

「間違いなくクロよ。売っているのはい粉のようだけど」

「うーん……ぼくの恋人に何かあったら後味悪いからな、首突っ込むとしますかね、美鶴チャン?」

「それじゃ薫、私は店に帰るわ」

「へ?え、あっおい!」

 行ってしまった……ま、なんとかなるでしょ。


「おぉこれはこれは薫のダンナ、またなにかご入用で?」

「だから俺はダンナじゃなくてオンナだオ・ン・ナ!一体これで何度目だよ……」

「ヒヒヒ……アンタだってあっしのことを『土竜』だの『烏』だの『伝書鳩』だの、まともに呼ばれたことなんかただの一ぺんもありませんぜ」

 それよか知りたいことがあるんだ、と言って俺は情報料を出した。

「……なるほど、それで、今回知りたいことってのは?ラウンジ嬢のパンティの色ですかい?」

「バカモノ、誰がそんなこと…………分かるのか?」

「ハァ、ったく……本題をどうぞ?薫さん」

「……ウォッホン!今回知りたいのはだね、ここら一帯で薬物取引に使えそうな場所だ。そうだな……ひとまず頻繁に使われた所なんかだといいな」

「ダ、ダンナ……まさか美鶴さんに捨てられたことがそんなに……」

「捨てられてねーよ!たぶん!……で、分かりそうか?」

「ヒヒヒ……御茶子おちゃのこさいさい、バッチグーですぜ」


 ここだな……情報屋の奴が言っていた所は。なるほど、この入り組んだ道なら追跡も撒き易いってわけか。だがしかし、場所が分かったと言ってもそう簡単にそれらしい奴が通るかどうかはまだ…………ウン?

(……あいつキョロキョロしてるな……それにあの紙袋……よしっ!)

 ポンポンッ

「だ、誰だ⁈」

 俺はそいつの背にリボルバーを突きつけ、行き止まりの壁へと追いやった。

「さっき薬を買ったな?……ほう、やっぱりお前も外国人だったか」

 とりあえず素性を吐かせたものの、どうもこのチンピラはただの荒くれ気味の現場系業者のようだ……結局先生はいなかったし、ひとまず引き揚げだな。

(今日の収穫はなし……か、美鶴はいないしも見つからないし……調子出ねーなぁ)

 チリリリリリリリン!チリリリリリリリン!

「へい……あーら美鶴チャン、どしたの?」


 しばらく前……

「ほう?耳寄りな身の上話で一杯か……情報料にしちゃ少しばかり割高じゃないか?ママ」

「そうゆうことは溜まったツケを払ってから言うものよ。それに話によってはツケから差し引いてあげてもいいのよ」

(わ、分かったよ……で、その病院の女医さんについてだったね?)

(えぇ。彼女が何であんなことをするようになったのか、その経緯いきさつが知りたいの)

(うむ……経緯といえばその女医さん、医者の中でもいくらかは健全な商売をやってた方でね。んでもって名家の出なんであまり金については深く考えないような娘だ)

(名家の出?それならむしろお金に関して気が回りそうなものだと思うけど)

(いや、彼女は所詮金持ち一家に生まれたの甘チャンだ。文字通りの世間知らずよ)

(でも世間を知らないとはいえにそんな極端に急転落をするとは考えにくいわ……やはり何か理由があるのね?)

(あぁ。『優曇華うどんげ一家だ』……実は彼女、無警戒が災いして友人の借金を肩代わりさせられていてな。返しあぐねているのに気が付いた一家の組長が薬物カルテルに口八丁で引き入れたんだ。)


 翌日、優曇華一家事務所、門前にて……

「もし?親分さんいらっしゃる?案内を頼みたいのだけれど」

「お待ちを、来客ありとは聞いておりませんが……あっ、兄貴」

ねぇチャン悪いのぉ。うちはお店じゃねぇんだ、そう簡単にハイラッシャイとはいかんのよ…………ん、あれ?もしかしてアンタ……」

「お久しぶり、頼めるわね?案内」


 チリリリリリリリン!チリリリリリリリン!

「——ふーん……優曇華一家ねぇ。こりゃまた硬派なヤクザじゃないの?美鶴チャン」

 優曇華……けがれを養分として成長する、月に咲くという架空の植物だ。優曇華一家は基本的に食っていく分以上の過剰な商売シノギは控えるヤクザ組織だ。昔からの賭場・風俗・ネゴシエート交渉業なんかで生計を立てている。またそういう性格から、活動圏の警官や政治屋連中に対しても顔が利きやすい。懐の寂しさに対して、しぶとく権力を保っている連中だ。……が、その硬派ヤクザが堅気カタギを騙して薬物ビジネス……

「それにしても優曇華のジジィ、薬に手を出すとは……フッ、穢れを吸い過ぎたかな?」

「じゃあ薫はこのままケイ先生のボディーガードを、私は優曇華一家の組長さんを当たってみるわ」

 そう来なくちゃな、淑女しゅくじょを口説くのは俺の十八番だ。


「おい!最近量が減っていないか?カネは出すから薬を増やしてくれ、先生」

「私は仲介に過ぎないの。薬の量は私の決めることじゃないわ」

 再び俺は薬物の取引現場を発見した……が、さっきからなんだか客とモメているようだ。

「黙れ!話の分からない医者だ、殴られたいか!」

「話が通じないのはあんただよ」

 俺は客の背に忍び寄りタバコをくゆらせていた。

「ジャンキーともなるとやっぱし勘が鈍るみたいだな……クックック、俺も気を付けなきゃ」


「助けてくれてありがとう、薫さん」

 咥えタバコのケイ先生は火をつけようとライターを探している。

「タバコなんて吸ってると早く老けちまうぜ。それに、医者の君には似合わんよ」

 俺は先生のタバコを取り上げて、そのまま火をつけた。

患者ジャンキーを自ら増やす密売人なんて……医者のすることじゃないわ」

 この前聞いたとおりだ。先生が浮かない顔をしているのはタバコを取られたからじゃない。

「まぁ、でも今回で最後だ。また医業に専念できるんだ。君からすればめっけもんじゃないか、なあ美鶴チャン?」

「あ、あなたはっ」

 サムズアップをした美鶴が、喜んでとでも言うように小脇に抱えた封筒を渡した。

「あなたの雇い主、優曇華一家組長からの書状よ」

 その内容は先生と一家との縁切りを確約する旨のものだった。

「感づかれているとは薄々思っていたけど…………まさか!あなた達ヤクザの事務所に上がり込んで行ったの⁉」

「いや、ナシ付けたのは美鶴ひとりさ」

「それとケイ先生、あなたが負わされていた友人の借金のことだけど、その友人も元は一家から遣わされた間者スパイだっていうことだから、この際全部帳消しにしてもらったわ」

「し、信じられない……」


 再び時間を戻して、優曇華一家事務所、客間……

「あなたの薬物ビジネスに参加している人物に、一人女医さんがいたわね?聞き入れて欲しいのは二つ、彼女の解放としばらくの間客から遠ざけることよ」

「…………」

「言っておくけど私には信頼できる情報網があると思ってね」

「う~む……どうもそのようだ、トンカチな当て推量ではないな。が、要求はお断りする。理由はこうだ。第一に、あの女医は名家の出だ。調べるとその女、当人はもっぱら医業ばかりに精を出していて金持ちの家系としての頭脳は持ち合わせていない。第二にこ——れはわしの趣向もあるが、このビジネスのターゲットは大部分が敵対する海外組織の下っ端、あるいは不法移民、それもタチの悪い輩だ。そんな者共をイメージダウンさせるのに違法薬物はうってつけなのだ」

「と言っても長く商売するのにジャンキーの容態を確認する役が必要と……」

「ご明察だ。生かさず殺さず……適量を売って依存させるのだ」

「精神を荒ませてしまった輩が余った体力で国民に手を出せば……なるほど」

「流石に鋭いな、お察しのとおりだ。その件数が増えていけば……甘ったるい不法移民受け入れ制度を改めさせることも夢ではない。それ故あんな都合の良い人材を『相分かった』と簡単に手放す訳にはいかん。慈善家ではないからな」


「その様子だとあの組長、首を縦に振るとは思えないわ」

「フッフッフ、どうかな?まさかもう組長サン口説き落としてきた後だったりして」

「そのまさかよ、驚いた?」

「口説き落とした?じ、じゃあ向こうからくる男達は何なのよ?」

 先生の指した方からイラついたチンピラ達がやってきた。

「(クソッ、なめやがって猿野郎が……!)おいっ!聞いていたぞ!お前等ふざけたことをいいやがって‼」

 情けねぇな……剣幕で押せば思い通りになると高ぁくくりやがって……

「おいおい、別に俺等の考えじゃあねーよ」

「うるせぇ!(おいお前等!この女どもは我々の拠点を害そうとしているのだ!まとめて犯してぶっ飛ばしてしまえ‼)」

「ケッ、『寄らば斬る』って言葉を教えてやるよ」

 俺は地面に転がっている錆びた破片を拾い、不用意に近づいたチンピラの腕を捻り上げた。そのまま反撃を許さず、利き手の脇をその錆びた破片で突き刺してやった。

「クックック……喜べ、そんなに抱きたいならおたくらには丸太を抱かせてやるよ」

 一方美鶴はというと、扇を弄んで余裕そうにこれを見物している。苛立った男がパイプを大上段に振りかぶって背後を取るも、彼女は扇を構えて容易たやすく攻撃を受け止めてしまった。

「残念、鉄扇でした」

 男は呆気にとられたが最後、パイプをいなされて眉間に鉄扇を喰らい、おまけに脳天を一撃されて伸びてしまった。


「——そんじゃ美鶴、こいつらの首で組長に借りを返しに行きますか」

「フフッ、この娘を自由にする話を差し引いてもまだ貸しがひとつ残るわね」

「なに?こいつ等以外に使える材料モンなんてあったか?」

 そこでケイ先生がアッとした表情で思い出す。

「そう言えば美鶴さん、優曇華の組長に会ったとき、いったい何を条件に私を解放させてくれたの?彼の目論見からすると余程の好条件じゃないと話が決着しなかったんじゃない?」

 俺と先生は美鶴の顔を見た。顔を逸らして、今にも吹き出しそうだ。

「それはこんな所で話す訳にはいかないわよ。なにせ私は信頼で商売してるんですから…………フフッ、フフフフフ……」

「あぁーっ美鶴さんのケチ。第一私に関係することじゃない、答えなさい……よっ」

 先生は美鶴に飛びついて、あちらこちらとくすぐり始めた。先生はもともとこんな人柄だったのか、或いはヤクザから解放されてウンと楽になったのか、愉快そうに美鶴と戯れている。

「ホレホレ、くすぐったいでしょ?降参しなさい!そぉらコチョコチョコチョ……」

「アハハ!ダ、ダメ……苦しい……アッ、アハッ、アハハハハ!か、薫……助けて!助けてったらぁ!」

 ぼくはその辺に生えていた雑草を手折たおり、ひざまずいて先生に献上した。

「ケイ殿、こちらその辺の猫じゃらしで御座りまする」

「おぉよしよし、お主もワルよの……ククク、こいつで……エイッ」


「ハッハッハ、ほんの数日で二人も連れて来るとは」

 優曇華のジイさんは例の不法移民をプレゼントされたことで上機嫌だ。たかがチンピラ二匹で祝い酒を振る舞ってくれるとは、余程の外国人嫌いか、はたまた余程手を焼かされたかと見受ける。

「おいっ、このチンピラ共を『例の部屋』へ連れて行け」

「ヘイ、確と」

 そう応えた組員が数人を召喚して別室に連れて行った。やはり軋轢あつれきがあるようで、組長もこいつ等も静かな笑い声の中に因縁深い悪意を持っている。

「おぉ、怖…………なぁ組長さんよ、今更なんだが、やはり腑に落ちんぜ。先生を手放すには幾分かデメリットがあったはずだろ?ほら孫氏も『チンピラはもっと近くに置け』って言うじゃないか……美鶴は一体なんて言ったんだ?」

 客間に居た組員の中にも女医の解放を疑問に思っていた男がいるようで、確かにどうして……と組長の話を聞こうとしていた。

「おい、お前たちは外してくれ」

 仲間にも伝えられないようなものか……しかし傍にいる美鶴は、組員たちが全員退室し終わっていよいよ口角がフニャフニャになってきた。

「それで?美鶴が出したカードは……情報か?」

「は……八丁目……」

 ジイさんが明らかにどもりだした。

「おいおい、丸腰の俺たちがあのチンピラ成敗したんだぞ、ちょびっとぐらい——」

「八丁目だ!銀座八丁目の『スナック明美あけみ』のママについての情報だ‼…………その、どういう男がタイプなのかな~って……」


 お し ま い

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