棘
久々の長時間外出から
また2日が経た。
今度は『渡邊彼方のスマホが故障する』。
『自分が15時間眠る』。
この2択の書かれた
看板の前に立っていた。
詩柚「うーん……。」
今回は自分を犠牲にする選択肢がある。
ならば迷うこともないんじゃないだろうか。
毎度ながら故障の規模はわからない。
しかし、私のことに関してみれば
15時間眠ることが明確にわかっている。
もしかしたらその間に大きな地震があったり
火事になったり…というのは
可能性としてあり得るが、
これまでを見るに大きな付加はほぼない。
それならもう選ぶのはひとつ。
詩柚「…15時間。」
その看板の指す方へと石段を上る。
やはりあたりの色彩は
徐々に褪せている気がする中、
いつものように視界は揺らぎ、
目を開いていることができなくなっては
床にぺたりと寝転んだ。
詩柚「……。」
そうだ。
学校にもし間に合わなさそうなら
彼方ちゃんに連絡しなきゃ…。
早く……。
***
体が重い。
何もしていないのにぐったりとしていて
頭から、そして肩、腰と
深く深く落ちて埋まっていくようにも思えた。
あの冷たい石段からは
想像できないほどふかふかな毛布に包まれ、
自分の体温と比例して上がる布団内の温度、
そこから飛び出した冷えた足。
体を縮めてしとしとの手で
足をぎゅっと握った。
何時間眠っていたのだろう。
のそ、と布団から顔を出す。
すると、微かにカーテンの隙間から
光が差し込んでいた。
しかし、その光は微弱で
朝や昼のような覇気はない。
早朝か夕方か、もしくは天気が悪いか。
一体何時だろうか。
スマホをつける。
真っ白な背景から浮かび上がった数字に
思わず足を温めることも忘れて飛び起きた。
詩柚「嘘…!」
18時。
何度見ても間違いなく
そう表示されていた。
今更準備して家を出たとしても
最後の授業の時間に
間に合うかどうか。
それと同時に、送信されていた
メッセージが目に入る。
どれも彼方ちゃんからで、
今日も残るからと記載されている。
続けて「起きてる?」「ねえ」「早く見て」、
そして電話も何件か入っていた。
授業には間に合わずとも
彼方ちゃんと帰るために
学校に向かうかも考えた。
しかし、予想外のハプニングの
ストレスを思うに
学校に着くまでに1度は
眠ってしまう可能性が高い。
そんなの、彼方ちゃんにわざわざ
介抱されに行くようなものじゃないか。
無闇に迷惑をかけたくない一心で
すぐさま今日は学校を休んだと、
連絡が遅くなってごめんなさいと
メッセージを送った。
どうしてこんなに眠ってしまったのか。
普段よく眠るとは言え、
1回の睡眠でここまで長時間
床につくことはほぼない。
もしこのままずっと眠ってしまったら。
眠りの問題に
人生を引き摺り回されたら。
寝ぼけた頭でそこまで考えては、
そう言えば、と
今日の夢のことを思い出す。
『自分が15時間眠る』。
その看板の方向へと
分かれ道を進んだんじゃなかったか。
改めて時計を確認する。
最後に時計を見た時から
確かに15時間進んでいた。
詩柚「……15時間……本当に寝たんだ。」
今更あの選択肢らが
嘘だとは思えなかったが、
かと言って現実味があるかと言われたら
決してそうでもない。
寝起きのような、
白黒はっきりしない曖昧な場所で
それら起こっている出来事を
眺めている気分だった。
初めは飲み物をこぼすところから始まり、
定期券を無くし……とは言え戻ってきたが、
そして彼方ちゃんの傘が壊れ、
今日は15時間眠った。
段々と取り返しのつかないことに
なっているように思う。
壊れた傘は結局どうなったのか
わからないけれど、
15時間眠ったことに関しては
もう時間は戻ってこない。
修理や探せば戻ってくると言った話ではない。
詩柚「……。」
本当にいいのだろうか。
私の眠りの問題を解決するために
何かを犠牲にし続けることは
本当に良いことなのだろうか。
もし今後命に関わるような
出来事の選択肢が提示されたら?
自分はまだしも、
彼方ちゃんや湊ちゃんに
被害が及んだら?
そうなったら私は
どうやって過ごせばいい?
もし辞めることができたら。
あの石段で選択せずに
立ち止まり続けることができるなら。
全てを諦めて辞めるべきか。
けれど。
もしも、もしもの話。
眠りの原因を除去するために
私の過去の記憶を消すなんて選択肢が
提示されたとしたら、
私はきっと記憶は消さない。
何が何でも覚えていて、
背負って、守り抜く。
そうしなきゃこれまでの数年間が
全て無駄になる。
元から捨てていればよかったと
これまでの自分のしてきたことを
否定することになってしまう。
詩柚「……。」
体がどんどん冷えていく。
布団から這い出たせいだ。
自分の肩を両手で抱いた。
詩柚「……それは……やだなあ…。」
犠牲にした上で眠り続けることを選ぶなら、
何も選ばない方がいいはずなのに。
***
彼方『遅いよ。』
詩柚「ごめん…。」
彼方『体質なのはしょうがないってわかってるけど…けどじゃない?1回くらい見なかったの?』
詩柚「……ずっと、寝てたみたいで。」
彼方『は?』
詩柚「そういう反応になるよねえ…。」
彼方『寝たの何時。』
詩柚「夜中の2時とか3時とか。」
彼方『んで、起きたのがさっき?』
詩柚「そう…。」
彼方『寝すぎだろ。』
詩柚「流石に私もそう思ってるよ…。」
彼方『既読つかないから何かあったのかと思って心配してたのに。』
詩柚「本当にごめんね。」
彼方『いいやもう。無事だったんだし。』
ざ、ざ、と電話越しに
コンクリートを踏み鳴らす音がする。
彼方ちゃんが学校から帰る間、
電話を繋ぐことになったのだ。
今日の夕方から冷えると
天気予報で見かけたし、
よっぽど寒い中帰宅していることに違いない。
もし私が早くに連絡できていたら、
そもそもこんなに眠るような
体質じゃなければ、
真っ暗な中、彼方ちゃんをこんな時間に
帰すこともなかったのにと思うと
途端に自分が一層憎くなっていく。
彼方『ほんと、行き場のない怒りって感じ。』
詩柚「……でも、私が悪いよ。」
彼方『体質じゃん。』
詩柚「だとしても…。」
私が選んだことで、とは言えず
そこで言葉が途絶えた。
彼方ちゃんは大きくため息をついて
もう1度呆れた口調で
「もういいや」と言った。
彼方『うちだって変えられないことぎゃーぎゃー言われたら腹立つし。メンタルとか体とか。』
詩柚「……。」
彼方『それとも変えられる話?』
詩柚「え。」
彼方『すぐ寝ちゃったり、異常に寝続けたりするのを辞めるために何か対策はできるのかって。』
口調から普段よりも冷たい印象を受ける。
怯えるよりも先に
申し訳ない気持ちが募った。
何かを犠牲にし続けること。
それが対策ではあるのだけれど、
実際傘が壊れたのも今日の件も
私のせいであって、
彼方ちゃんに被害が出ている以上
この話をするのも気が引けた。
詩柚「……ない。……できないよ。」
気づいたらそう発言していた。
できない。
今は、どうしてもこの睡眠障害から
解放されることはない。
彼方『はぁー…。できるならとっくにやってるってね。』
詩柚「……どうだろ。」
彼方『は?だって不便じゃん。』
詩柚「そうかなあ。」
彼方『慣れたからいいって?』
詩柚「……うん。」
彼方『じゃあうちが不便。連絡つかないのも、遠出も。』
詩柚「仕方ないんじゃなかったの。」
彼方『だから、仕方ないものは仕方ないって。けどさっきの態度を見てりゃ、やれることもせず不利益も流されて受け入れてるだけって感じで、聞いてていらいらする。』
やれることもやらないで。
違う。
やれることをやったんだ。
だからこうなっているのに。
それを言い返したところで
余計なことばかり言ってしまいそうで、
より悪化するだけだと
言い訳ばかり考えて口を閉ざす。
いらないことは話さなくていい。
流して、適当に話して。
時間が経てばそれでいい。
詩柚「いらいらされても困るよお。」
彼方『ちっ…わかってるって。』
詩柚「……。」
彼方『とにかくその体質の緩和のために今やれることはないってことだよね?』
詩柚「うん。」
彼方『はぁ…。わかった。』
詩柚「…ありがとね。対策しようとしてくれて。」
彼方『高田あたりとかもこれくらいの話は出たんじゃないの。』
詩柚「……さぁ。どうだったかなあ。」
彼方『そんな冷たいやつだっけ?』
詩柚「ううん。湊ちゃんはものすごく優しいよ。ずっと私の面倒を見てくれてるんだもん。」
彼方『面倒見てるもよくわかんないけど、眠りの体質はもちろん知ってんでしょ?そういう話が1度も出てないのはおかしくない?』
詩柚「そのくらい昔からってことなんだよ。多分話には出てる。でも、その上で改善よりもサポートを選んでくれたんだと思う。」
彼方『へえ。なんか…。』
詩柚「なんか…?」
彼方『依存し合うために改善拒んでるみたいに見えるんだけど。』
詩柚「それはないよ。」
自分でもびっくりするくらいに
言葉が咄嗟に溢れてしまった。
紛らわすように布団から出て、
部屋の電気をつけに行く。
私と湊ちゃんの関係は
誰にだって介入されたくなかった。
これは私たちの話であって、
外の人間が関わって
どうにかなる話じゃない。
そう思っている。
そう思っていたい。
実際は、他者が関わることで
今の関係が変わってしまうのを
恐れているだけだというのに。
それでも、彼方ちゃんに対して
幾度と迷惑をかけている以上、
話を変えることも億劫で
そのまま話を続けることにした。
彼方『そう言い切れるのは何で。』
詩柚「湊ちゃんは私から離れたがってると思うから。」
彼方『じゃあ何で関係続けてんの。』
詩柚「……。」
彼方『言ってよ。』
詩柚「関係を続けるように、お願いしたんだ。」
彼方『お願い?』
詩柚「そう。それだけなんだよお。」
それだけ。
それだけ。
それだけなんだ。
自分に対しても他者に対しても
ずっとそう言い続けている。
すると、いつしか本当に
それだけのことで?と
思えるようになるはずだから。
彼方『……そ。』
詩柚「納得してくれた?」
彼方『いいや。でも、何で高田のことを優しいって言うのかはわかった気がする。』
詩柚「そっかあ。」
彼方『お願いを受け入れてるし、面倒を見てるからみたいな。』
詩柚「それだけじゃないけど……。」
彼方『面倒を見るって何なの?』
詩柚「生活で言うと……主にはご飯の面だねえ。」
彼方『買い出しとかは危ないからか。』
詩柚「そう。それもあるし、包丁を扱ってる途中で寝ちゃったら、それこそ危ないからって湊ちゃんが言ってくれたの。」
彼方『まあ……確かに危ないけど、眠くなる直前に多少は前兆があるでしょ。』
詩柚「大体はそうだねえ。でも、たまにだけどシャットダウンみたいになる時があるから……それを踏まえて今の状態って感じかなあ。」
彼方『じゃあ買い出しと料理までってこと?』
詩柚「そう。」
彼方『そりゃあ高田が他に頼れる先を作れって言うのもわかるわ。』
詩柚「…1人で生きていく力がないんだよねえ。」
彼方『出来合いのもの買えばいいし、ないとまでは言わないけど、1人で生きるのに慣れてなさそう。』
詩柚「あはは…人は1人では生きていけないって言うけどねえ。」
彼方『でも最後に行き着くのは1人じゃん。』
詩柚「そうかなあ。」
彼方『親しくても気の置けない人がいたとしても、決めるのも生きるのも1人だよ。』
詩柚「……じゃあ、どうして依存しちゃうのかなあ。」
彼方『知るかよ。知ってたら依存なんてしてないし、普通に生きることができてたはずでしょ。』
どうして依存してしまうのか。
個人の欠陥を他の人に埋めてもらうためや
依存先が少ないからと
綺麗事や正論でその穴を塞がない
彼女の話は妙にすっと心に入ってくる。
それもそうかもね、と
明るくなってしまった部屋の中で
ぽつりとひと言落としていた。
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