たまには
また、眠る。
また、目が覚める。
それを1日に何度も繰り返して
鳥居の道に辿り着く。
眠る回数によってここに着けるかどうかが
定められているのかとも思ったが、
不定期に眠ったのに
前回同様およそ2日後に
ここにやってきたのを見るに、
回数ではなく日時なのだろうと思う。
詩柚「……ん?」
並ぶ鳥居を穴が開くほどに
じっと見つめる。
昨日あたりまでは柱が艶々としていて
建てられたばかりのような
出で立ちだったのに、
よくよく見てみれば
若干色が薄くなった気がする。
気のせいにも感じるが、
数度雨を被った後のように
色素が流れているのだ。
が、前回までの色を
はっきりと覚えているはずもなく、
降る方の道を見ても
その違いは歴然としない。
詩柚「やっぱり気のせいかな。」
呟きをひとつ落として
今日も看板の前に立つ。
『高田湊が風邪を引く』。
『渡邊彼方の傘が壊れる』。
の2択だった。
ついに自分の名前が消えて、
見知った名前2つが並んでいる。
これまでは自分を
犠牲にすることで進んできた。
実質他人を傷つけて進もうとするのは
これが初めてになる。
詩柚「…。」
風邪を引くか、傘が壊れるか。
傘が壊れて結果的に
渡邊さんが風邪を引くなんてことが
ありえるかもしれない。
けれど、何より湊ちゃんに
自ら被害を受けさせるようなことを
したくなかった。
渡邊さんと一緒に過ごすようになって
確かにこれまでよりかは
ぐんと距離の縮まった人ではある。
けれど、距離だけでみればどうしても
湊ちゃんを越すことはできない。
自分が犠牲になる選択肢がなく
今回はこれまでよりも
時間を使って悩んだ。
これでいいのか。
傘が大切なものである可能性だってある。
それでも湊ちゃんの体調をとるのか。
風邪だって長引けば
テストに影響があるかもしれない。
湊ちゃんには今年度も
留年して欲しいとは思っていない。
ならば答えは出ているのだ。
悩んだ挙句、渡邊さんを
犠牲にすることにした。
看板の横を通り過ぎ、
先の道へと進む途中で
また意識が遠のいていく。
詩柚「……湊ちゃん。」
私はあと何回、何かを犠牲にしたら
眠りから逃げることができるのだろう。
***
詩柚「えっとぉ……。」
彼方「…。」
詩柚「また急だねえ。」
彼方「外でなさそうだし。」
詩柚「休日は必要最低限しか出ないけど……。」
彼方「それならだいぶ新鮮でしょ。」
渡邊さんはそう言って
外に設置されていた
目の前の建物のマップを眺めた。
上を見上げると
4、5階はありそうだ。
どうして休日の昼間から
外に出ているのかと思うたびに
昨晩のことを思い出していた。
°°°°°
彼方「休みがずっと続けばいいのに。」
詩柚「休日は何してるの?」
彼方「昼に起きてからずっとスマホ触ってる。あとは漫画読んだり音楽聴いたり。」
詩柚「へえ。出かけてそうな感じがしてたなあ。」
彼方「それは夜。昼は出るのだるい。」
詩柚「そうなんだあ。」
彼方「起きるの遅いし。」
詩柚「起きてすぐは家を出づらいよねえ。」
彼方「その感覚はあるんだ。」
詩柚「しょっちゅう眠るからずっと出れないんだよ。」
彼方「あーね。買い物とかも迂闊に行けないのしんどそう。」
詩柚「まあねえ。」
彼方「最後に横浜行ったのいつ?」
詩柚「わかんないなあ。」
彼方「そんなレベルか。」
詩柚「遠くに行くには途中、何回も寝なきゃだからねえ。」
彼方「じゃあ近場で明日遊びに行こ。」
詩柚「え?」
彼方「横浜はでか過ぎるけど、乗り換え駅の駅ビルくらいならちょうどいいんじゃない?やばくなったら寝ればいいし。」
詩柚「迷惑かけちゃうのはなあ。」
彼方「死ぬほど嫌ならやめるけど、そうじゃなかったら引きずってでも行くから。」
詩柚「あはは。家わかんないでしょお。」
°°°°°
と、さくっと予定は決まり
まんまと連れてこられたのだ。
念の為家を出る前に
少し眠ってはきたけれど、
それでも数時間しかもたない。
逆に言えば数時間ほどで
見回ることができる大きさの
建物ではあるのだが、
不安は募るばかりだった。
渡邊さんがこちらへと振り返る。
体のラインが出る白色のハイネックに
肩から樺茶色のストールを羽織り、
深い赤色のミニスカートからは
すらっとした長い足が伸びている。
適当にロングスカートとパーカーを
合わせてきた自分とは大違い。
大人っぽいと思うと同時に
どこに目線を置けばいいのか迷った。
卑しい意味はないが素直に困る。
蛇のように鋭く光る瞳と目を合わせた。
彼方「今日夜予定ある?」
詩柚「夜もないよ。」
彼方「そ。でも疲れるだろうし夕方には解散しよ。」
詩柚「テストも近いもんねえ。」
彼方「忘れるために来てんのに言うなよ。」
詩柚「帰ったら勉強するの?」
彼方「まあ。」
詩柚「電話付き合った方がいい?」
彼方「そこは電話しよ、がいい。」
詩柚「わかった。じゃあ夜電話しよお。」
彼方「ん。」
渡邊さんは適当に歩こうと言って
駅からエスカレーターに乗った。
駅ビルの中は思っている以上に
服屋や雑貨屋、食品店などが
ずらりと並んでいた。
これまで駅ビルにほぼ
来たことがなかったので、
その店の多さと広さに驚く。
一部だけ写真を撮って
横浜駅の内部と比べても
私だったら見分けられない自信がある。
彼方「いい匂い。」
詩柚「香水かなあ。」
彼方「ここ来たことなかったけど結構品揃えいいんだね。」
詩柚「ね。私も知らなかったなあ。」
彼方「あ、アロマだって。」
詩柚「へえ。テスターがたくさんだねえ。」
徐に薔薇系の香りらしい名前の書かれた
アロマオイルを手に取って嗅いでみる。
普段の生活では絶対に香らないような
上品で甘くもあるが
どこか自然っぽい匂いがした。
彼方「香水は結構あるけどアロマはあんまうちにないかも。」
詩柚「香水あるんだ。」
彼方「親の残しものと、もらったり自分で買ったりしたのが少し。」
詩柚「へえ。」
彼方「興味ある?香り系。」
詩柚「そこまでかな。いい匂いだな、くらいはわかるけど。」
彼方「今度おすすめ貸してあげる。似合いそうなのあるし。」
詩柚「似合いそうとかわかるの?」
彼方「偏見。」
詩柚「そっかあ。それでもすごいよお。」
彼方「意外とできるよ。」
そう言って2、3つ手に取って香り、
そのうちひとつを渡しては
匂いで見て、と蓋を開ける。
手で仰ぐと、夏の名残のような
シトラスの香りが漂った。
彼方「今は秋だし、香水ならちょっと重ための匂いでもちょうどいいくらいだけど、詩柚はこれくらいの方が良さそう。」
詩柚「夏っぽい感じがするねえ。」
彼方「柑橘系だしさわやかでしょ。」
詩柚「でも私、そんな夏っぽい感じはないんじゃないかな。」
彼方「冬っぽい気はした。」
詩柚「やっぱり。」
彼方「でも、中身重いし香りくらい軽くていいだろって思って。」
詩柚「揶揄ってるよねえ。」
彼方「重度メンヘラ。」
詩柚「揶揄ってるねえ…。」
でも、冬っぽい香り以外を
選んでくれたのは少しばかり
心が軽くなった。
シトラスのアロマオイルを戻すと、
今度は服屋へと向かうので
それにひょこひょこついて行く。
彼方「詩柚は服とかどうしてんの。」
詩柚「ネットで買ったり…あとは近くの大型店とか。」
彼方「大型店?」
詩柚「ほら、食品も日曜品もあるみたいな。」
彼方「総合スーパー?」
詩柚「それそれ。」
彼方「改めて思うけど、普段何にお金使って生きてんの?」
詩柚「うーん…何にも。質素に暮らしてるよお。」
彼方「そんな感じはするけど。でもお金がないってわけでもないじゃん。」
詩柚「…?そういう話はしたことないよねえ。」
彼方「保証なし、昼バイトなしで通学して1人暮らしは金持ってるでしょ。それに定期券のために学校もどりもしないし。」
詩柚「探偵さんみたいだねえ。」
彼方「これくらいは想像つく。」
確かにこれまで話していれば
想像くらいできるか、と納得する。
随分と話しすぎてしまっているらしい。
彼方「少しくらい自分甘やかすべき。これとか似合いそう。」
詩柚「甘やかすって…十二分に眠って甘やかしてるよお。」
彼方「そういうのじゃなくて。例えば自分用に食器買ったとする。」
詩柚「…?うん。」
彼方「それを、来客があって泊まるってなった時、出せる?」
詩柚「うーん…。」
彼方「それ。」
詩柚「え?」
彼方「自分1人ならこれくらいでいいや、が身についてんの。若干セルフネグレクト入ってるよ。」
そう言われてはっとして
思わず目を見開いた。
特に気にしていなかったが、
1人だからこれでいいや、は
常にこびりついて離れない思考になっていた。
食器から家具、服。
全部、1人ならこれでいいやで
安く済むものを選んで購入している。
学校は定時制は制服はないけれど
高校のものを購入して
それを着ているから
服は考えなくてよかった。
渡邊さんが「普段何にお金をかけてるの」と
問う理由がようやくわかった。
これ、これ、と
肩に小さくフリルのついたものや
首元の開いたVネックに
膝丈やそれより短いスカートを
私の体に当てて行く。
彼方「別に今日すぐ買えって話じゃないけど、少しくらいおしゃれしよ。せっかく女の子なんだし。」
詩柚「…。」
女の子なんだし、か。
その言葉をちゃんと聞いたのは
久しぶりのような気がした。
ぱくぱくと何か渡邊さんが
話していたのだけど、
その言葉が全く入ってこなかった。
徐々に眠気が押し寄せていることに
気づいていながらも、
渡邊さんの話を止めるのは
よくない気がして
着せ替え人形になっていた。
彼方「詩柚?」
詩柚「ああ、ごめん。なんだっけえ。」
彼方「こういうのも似合いそうって話。」
詩柚「渡邊さんおしゃれだよねえ。」
彼方「彼方。」
渡邊さんはそういう。
名前で呼べ、ということなのだろう。
そう言えばこれまでずっと
渡邊さんと呼んでいた。
そっか。
名前で。
頭がぼうっとしている。
そろそろ時間らしい。
詩柚「彼方、ちゃん。」
彼方「ウケる。似合わな。」
詩柚「ひどいなあ…。」
彼方「眠い?」
詩柚「ちょっと。」
彼方「座れる場所あっちで見かけたから少し我慢して。」
詩柚「ごめんねえ…。こんな体質で」
彼方「謝るんなら体質じゃなくてもうちょっと早くに言わなかったことにして。」
詩柚「うん……。」
ぼんやりする。
だんだんと瞼が下がっていき、
目を開けていられなくなる。
もう駄目かもと思ったその時、
腰から支えられてどこかに
座らせられたような気がした。
腰から手を離して欲しい。
そう思っているはずなのに、
眠気のせいで口すら開けない。
頭が傾く。
隣に彼方ちゃんが座っているのか、
頭をゆっくり倒される。
そのまま彼女の肩に預けた。
次目覚めた時には
どうしてここにいるのだろうと思った。
すぐに駅ビルに遊びに
きていたことを思い出し、
勢いよく隣へと振り向くと
彼方ちゃんが驚いて
スマホから目を離していた。
詩柚「あ…ごめん。」
彼方「おはよ。」
詩柚「おはよお。」
彼方「こんなすぐに起きんだ。」
詩柚「何分くらい?」
彼方「10分くらいじゃね?」
腰に当てられたような覚えのある
あの手の温もりも
とっくのとうに離していたのか
何も残っていなかった。
偶然でしかないけれど、
まるで私の心の声が届いたかのよう。
詩柚「少し座ってていいかな。」
彼方「ん。」
眠る前、何か言われた気がするけれど、
名前で呼んでと言われた後のことは
記憶がぼんやりとしている。
ただ椅子に座っているあたり
彼方ちゃんが連れてきてくれたのだろう。
何かお返しをしなきゃと思う反面、
まだ頭が回らず床を眺め続けていた。
彼方「そう言えば定期券どうなったの。」
彼方ちゃんが口を開く。
視線はまたスマホに戻っていた。
詩柚「それがね、返ってきたんだよお。」
昨日、授業が始まる前に職員室に向かい、
ダメ元で定期券が
落ちていなかったかを聞くと、
なんと落とし物として届けられていたのだ。
夢の中で選んだ道では
確かなくすとしか書かれていなくて、
その後のことは示されていなかった。
一瞬その出来事が
起こるだけにすぎないのかもしれない。
彼方「よかったね。」
詩柚「うん。再発行しなくてよさそう。」
それで会話は途切れてしまったけれど、
少ししてまた歩こうと
彼方ちゃんは席を立った。
それに倣うように私も腰を上げる。
それからもう1度睡眠を
挟んでしまったけれど、
彼方ちゃんは嫌な顔をせず
私が起きるまで待ってくれた。
彼方ちゃんは帰る前に
コンビニに寄りたいらしく、
夕刻だし暗くなってきたから
そこにだけ向かって
解散しようとしたその時だった。
彼方「あ?雨?」
詩柚「みたいだねえ。曇りの予報だったのに。」
彼方「うぜ。」
そう言って手元の小さな鞄から
折り畳み傘を取り出した。
外に出ると同時に傘を開いたのだが、
傘の形が歪で開ききっていない。
一部の支えがずれて
壊れてしまっているらしい。
私のせいだ、と即座に判断できてしまった。
彼方「は?壊れてるんだけど。」
詩柚「私も傘持ってきてるから、一緒に入ろう。」
彼方「よろしく。うわー、捨てるか。」
詩柚「その…それ、大切なものだったりした…?」
彼方「え?いや。」
詩柚「そっかあ。」
ほっと胸を撫で下ろす。
人のものを壊したことには変わりないのに、
大切なものじゃなかっただけで
安心してしまうなんて、
結局は取り返しのつく事態で
責任を負わなくていいことに
安堵しているだけのずるい人間だ。
私のせいであるとも気づかず、
彼方ちゃんは私の差した傘の中に
身を屈めて入ってきた。
彼方「もっと手伸ばして。」
詩柚「背高いよお。」
彼方「仕方ないじゃん。」
詩柚「そうだけどお。」
彼方「はー。傘の分別だるいんだよな。」
詩柚「意外としっかりしてる。」
彼方「昔、自分は常識がある人間だーって言って知識ひけらかしてくる鬱陶しいおじさんがいたから覚えてただけ。」
そっか、と言えず口を閉ざす。
薄々わかっている。
彼方ちゃんの私服に色気があって、
美容に詳しくて、自分に時間をかけて。
そして弟と2人暮らし。
出てくる「おじさん」の話。
もらった香水。
それこそ、自分にかけるお金はどこから?
もう答えは出ているんじゃないか。
けれど、聞くことでもない気がして
口を閉ざすだけ。
信号を渡り、少し歩いて、
それでも無言が続く方が
嫌になってしまって口を開いた。
詩柚「私、してもらってばかりなんだあ。湊ちゃんも、彼方ちゃんも。」
彼方「高田とのことは知らないけど…うち?」
詩柚「そう。いろいろ服を見てもらったり、眠りそうになったら連れて行ってくれたり。」
彼方「今傘貸してもらってるからチャラで。」
詩柚「でも。」
彼方「いや、うちが金使って奢ったとかならまだしも、ただの無償の貸し借りじゃん。」
詩柚「…そうだけど。」
彼方「何かしてあげたいって思う気持ちはあるんだ?」
詩柚「そりゃ、してもらったらそうしなきゃって思っちゃうよお。」
彼方「じゃあ1個条件。」
詩柚「…?」
彼方「自分から他者に依存しろ。」
詩柚「自分から?」
彼方「そう。自分から進んで相手に時間を使って。身を削って。」
詩柚「彼方ちゃんがしてくれたみたいに?」
彼方「言い方うざいけどそう。じゃなきゃ詩柚の求めるものがわかんない。」
また信号に引っかかる。
彼女の足には多くの雨粒が
横殴りでかかっていた。
彼方「人間さ、人からして欲しいことを自然とするもんじゃん。だから、詩柚から動いてくんないとそもそもして欲しいことがわかんない。」
詩柚「なるほどねえ。」
彼方「今後の条件にするから。」
詩柚「基準とかはないんだ?」
彼方「ずうっと意識してて。それだけ。」
詩柚「ほお。」
徐々に黒色に染め上げる中、
青色がぱっと光った。
それを合図に2人で歩き出す。
車が走り去る音が重なっていく。
彼方「何か言いたいことがあるなら言って。」
詩柚「高圧的だなあ。」
彼方「それだけ?」
詩柚「うーん…。」
彼方「ないの?今日のこととか、これまでのこととかで。」
詩柚「服装に色気があって視線に困る…とか?」
彼方「はっ、何それ。」
詩柚「悪い人に嫌なことされないか心配だよお。」
彼方「手出させたら勝ちだよ。こっちは被害者になれるから。」
詩柚「言ってることが怖いよお。」
彼方ちゃんは口角を少しだけあげて
意地悪そうに笑った。
こうした根っからの善人でないところが
私にとって安心できて、
同類だと思わせる部分なのだろう。
2人で歩くことに
少しずつ慣れていくよう願うだけじゃなく、
自分から意識を。
そうしていつか見えるものが何なのか
想像することすら億劫なまま
しとしとと雨の降る道で
彼女の隣を歩き続けた。
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