第2話 岩と雪と時々不審者
荒野の中をトラックが駆けていく。地平線の彼方まで続く薄い粉雪と黒い岩の平原は生命の気配が薄く、目印代わりに建てられている小さな灯台のようなものを辿るようにしなければ自分が何処にいるのか一切分からなくなるだろう。運転している叔父の視線も、前後の灯台を目で追うように走っているのが分かる。
時折黒い影のような、何か多角形の破片のようなものを撒きながら移動しているモノが地吹雪の向こうに映るもすぐに見えなくなる。それはこちらを認識したかのように黄色い光点を此方へ向けたり、あるいは何処かへ向けて疾走している最中であったりと多様で、数も多い。
目に映る光景は物悲しい荒れ地だが、その実ここには先ほどから目に映る「何か」が犇めいているのかもしれない。そんなことを考えていると、先ほどから外へ視線を向けていることを察した叔父が口を開く。
「仕事が始まれば此処を徒歩で移動することもある。後で説明するが、装備はしっかり確認しておけ。迷えば助けに行けるかどうかも分からん」
「分かった」
泣き疲れて眠ってからどれ程経ったのか。一通り感情を吐き出したからか思考はすっきりとしていて、流れる景色をつぶさに観察しながら叔父の言葉に耳を傾ける余裕が出てきていた。
此処、タルミナ虚数公園の管理官としての勤務が自分の仕事になると叔父からは聞かされた。自然公園における自然保護官が近いのだろうが、自分のような子供がなれるような職業ではないのは間違いない。故に、タルミナの管理官とはどうやら常識的なそれとはまるで違うのだろうということは何となく察しがついた。
「叔父さんは此処に就職して長いの?」
「言ってなかったか」
「全く。聞いたことも無かった」
「そうか……どれ程だろうな。20年は勤めていると思うが」
その言葉に瞠目してしまう。
叔父は確か30代だったはず。であれば、自分と同じ位か、あるいはもっと前の年齢で職員として配属されたことになる。
「……母さんは反対したりしなかったの? 多分中卒とかそのくらいで入ったでしょ」
「ああ。中学卒業と同時に此処に就いた。姉さん……お前の母親には確かにいろいろ言われた。給金が随分良かったから、何か怪しい仕事でもしてるんじゃないかと疑われもしたよ」
「あぁ……母さん、昔からそういうの厳しかったんだ」
「気性の荒さで言えば昔の方が酷かったがな。何度平手打ちを喰らったか」
どこか遠くを見るような、懐かしさを湛えた目つきで笑う叔父。その横顔が母さんとよく似ていて、性格は似ても似つかないけれど姉弟なんだなと思えた。
しばらく走った後、トラックはとある建物の前で停止する。ガソリンスタンドを住居らしくなるよう改装したような建物で、キャンプ場の管理施設のようにも見える場所。高く大きな屋根の下に入り込む形で建造物が存在しており、ガラス張りの出入り口からいくつもの自動販売機が見えている。
一足先に降りた叔父が正面玄関の鍵を開けて入り、配電盤の中身を幾つか弄る。すると独特の音と共に電灯が点き、空調の駆動音が聞こえてきた。
ガソリンスタンドによくある机に椅子、自動販売機が並ぶサービスルーム。その奥に小窓があり、そこが受付のようになっている。小窓の向こうにはパイプベッドなどが見え、居住スペースとなっているらしい。
「電気は普通に通ってるんだね」
「生活する分には困らん程度には揃っている。嫌でもここで暮らす羽目になるからな」
電気系統の確認が終わったのか配電盤の蓋を閉じると、叔父はそのままトラックへ戻って荷物を下ろし始める。じぶんも手伝いはしたが、大半は私物で、家電の類は基本的に必要ないからと売却して生活費の足しにしてしまったから碌なものは乗っておらず、すぐに終わった。
「今日からここがお前の拠点になる。内装はある程度好きに弄って構わんが、壊せば弁償だ。見ての通り来客を想定した施設だ、掃除はきちんとするように」
「分かった」
「肝心の業務だが……今日のところは荷解きだけでいいだろう。明日また来る。夜は念のため施錠しておくように。外には出るな、帰れなくなる」
此方の返事に頷くと、叔父はそのままトラックに乗って何処かへ去ってしまった。
昔からだが、ああいう人だ。感情と行動を切り離して何に対してもテキパキと事務的に動くから、表面的には人の情があるのかすら疑わしく思えてしまう。
「……それでも、ああ言った辺り心配はしてたんだろうな」
――――まだ生きる意志があるなら来い。
あの日の叔父の言葉が今も頭の中を回っている。頭数がいるだとか、時間を無駄にするなとか、そういう冷淡で機械的な言い方も出来る人だというのに態々此方に選択の権利を渡してきたのだ。それは叔父にとっての、最大限の家族としての情の表し方だったのだろう。
生きる意志は持てたけれど、生きる理由のほうはまだまだ分かりそうもない。死ぬのが怖くて嫌だという後ろ向きな理由もあるけれど、せっかく叔父が道を示してくれたのなら、少しの間でもそれに乗ってみようと思ったのだ。
出入り口と窓の施錠を確認し、鉄扉を開けて居住スペースへ。
パイプベッドに体を預けて、ぼんやりと窓から外を見る。日が出ている間は空を覆っていたはずの雲は全て晴れ、満点の星空が見下ろす中で積もった粉雪を舞い上げる強風が吹いている。見ているだけで震えそうな外の景色に対して部屋は暖かく、多少薄着でも苦ではないくらいだ。石油ストーブが無いあたり、燃料より電気で賄う方が良い理由でもあるのかもしれない。
「……ちょっと、お腹空いたな」
ぼんやりとしていたら時刻は夜10時になっていた。思えば朝食以降何も食べていない。涙を流すことに忙しくて昼を抜き、そのまま疲れて眠っていたのだ。そうでなくとも精神的に参って断続的に絶食していた分、多少なりとも復調すると一気に空腹が脳髄を刺激してくる。
自室からサービスルームへと戻る。扉を開けてすぐに目に入る大きな置き時計の横、視界に入ったデジタル式の温度計。
室内の気温と外気温を同時に表示しているそれが、−30℃という極寒を指し示している。
「外に出るなって言ってたのはこれか……」
いわゆる放射冷却。夜間に晴れると熱を遮るものが無くなるために加速度的に放熱し、悪天候よりも強く冷え込む現象だ。トラックから荷物を運んでいる最中はまだ我慢できる寒さだったのが、今や相応の装備がなければたちまち凍え死んでしまうほどになっている。
同じ景色が延々と続くために迷って帰れなくなるということも理由の一つだろうが、叔父が真に警戒していたのはこの極地を思わせる低温なのだと推察するのは容易だった。
改めて自動販売機を見ると、弁当を販売しているものがあった。加熱式弁当――――いわゆる加熱ユニットが付随していて、紐を引くと加温が始まる駅弁のような形式のもの。量は少ないが揚げ物など高カロリーの食品で構成されている。
他の自販機を見ると「極限環境行動用」と書かれたチューブの携行補助食なども取り扱っている。一方で、通常のインスタント食品のような多量の水を必要とするものはあまり置いていなかった。極寒の外をひたすら歩き回り、道中で補給を行う。そういう過酷な仕事に従事することを前提としたようなラインナップだ。
「お世話になる日もすぐに来そうだ」
硬貨を入れ、唐揚げ弁当のボタンを押す。駆動音と共に吐き出されたそれを居住スペースへ持ち帰り、紐を引いて加温を開始。少しすると断熱容器から蒸気が漏れ始め、指定の時間が過ぎたのをスマートフォンのタイマー機能で確認してから蓋を開ける。
中身は数個のから揚げとやや大きめの塩おにぎりというとてもシンプルなもの。それでも空腹を訴える体には効果覿面で、足りていなかった栄養を取り込もうと躍起になっていることがよく分かる。
「……弁当、母さん作ってくれたの……美味かったな」
ふと思い出してしまった母さんとの記憶。プラスチックの箱にぎゅうぎゅうに詰められたご飯とおかず。しっかり食べろよと笑いながら、布に包まれたソレを渡す顔。その温度が、再び目から零れ落ちる。
思い出の地に別れを告げ、疲れて眠ってしまうくらい泣き崩れたお陰か、これまでのように動けなくなるほど深い悲しみに囚われてしまうということは無かった。けれどその一方で、完全に吹っ切れるまではまだ時間が掛かりそうだった。
◇
『開けてくださいな』
聞こえたその声に、意識が一気に覚醒する。遅い夕食の後、そのまま突っ伏していたら眠ってしまっていたらしい。自動消灯機能でもあるのか、明かりは全て消えていた。
視線を彷徨わせて声の主を探していると、それは出入り口の扉の向こうだった。やや小柄なシルエットがガラス張りの戸を叩いている。声音は若く、どこか幼さを感じる少女のもの。
『どなたかいらっしゃらない? 流石に寒いの、軒先だけでも貸してほしいわ』
「……」
入れるべきか、否か。
映る影の背丈はおよそ自分と同じくらい。声色からして本当に困っているようだが、氷点下30℃の中で散歩でもするかのようなシルエットで傘を差しているという不気味な事実が不安を煽る。
だが、それ以上に好奇心が鎌首をもたげた。
不用心とは思いながらも扉越しに問い掛ける。
「えっと、どちら様でしょうか」
『貴方の同僚……もしくは先輩かしら。ユキ・クドウの甥っ子なんでしょう? 話は聞いてるわ』
ユキ——
後日説明すると言ったきり、叔父からは業務の内容も他の職員のことも聞けていない。何より、あの叔父が来客予定を伝え忘れるとは思えない。
「……証明できるものとかありますか? 今の貴女はあまりにも怪し過ぎる」
『そう言われると困るわね……流石のユキももう寝てしまってるでしょうし……うん、仕方ないわ。また明日出直すわね』
「…………そうしてもらえると、助かります」
女性の影は軽く手を振ると、そのまま極寒の中を徒歩で去って行ってしまう。それは外気温が生命を死滅させるに余りあるという事実を忘れさせてしまうほどに泰然としていて、何処か優雅ですらあった。
「……休憩くらい、させてあげても良かったのかな」
押し寄せる後悔。発言からして寒さを感じてはいる——感じていない方が問題だが——のだから、体を暖めるくらいは許しても良かったのかと思ってしまうが、それ以上に-30℃の中を傘一つで歩き回る不気味な何かを通したくないという気持ちが勝った。
結局、その日はそのまま私室へ戻って眠ることになる。
少女の正体を知るのは、叔父が再び来てからになるのだった。
いつか雨が上がるのなら 何もかんもダルい @Minestar
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