8 おかえり

episode 8-1 えっちな瞳の修輔

 授業のあった日は夕ご飯も教育棟の食堂で食べるのが普通だったが、女の子から「えっちな瞳の修輔」と笑われ、大勢の前に出たくない僕は直幸にパンを頼んだ。

「こげてないのに黒すぎる。今日だけ?」

 持ってきてくれたのは僕の通常の虹彩、いや瞳孔以上に黒く焼いたずんぐりコッペパン四つ。三つ食べ終えた僕が空色のテーブルごと片づけて立ち上がったとき、そのテーブルが動いた。

 地面も僕も揺れる、揺れてる? 周りの部屋から「地震!」、「地震だ」と話す声が聞こえる。ただこれは――大丈夫、たいしたことない。それでも腰をかがめたときにぱさっという音を聞いて振り返ると、壁に貼った僕と佳月に藤也も並ぶ、虎太が描いてくれたイラストが落ちている。絵自体は例えば弘美のほうが本物そっくりでうまいけど、彼のイラストはそれぞれの特徴をつかんでいて人気だった。

 地震は穏やかに治まり、僕は本物の佳月を思い浮かべて紙を拾う。何か香りに似た気配のような感覚に振り返ると、鍵をかけていないドアが開いていて――、

 うそおっ?

 びっくりの声も出ない。

「あっ、今の地震、別に私が帰ってきたせいじゃないからね」

 この顔、この声、目元と頬のカーブが誰より神秘的にかわいい本物の佳月が立っていた。

「えっと……、あの、ただいま」

 彼女は照れた顔で僕にあいさつしたが、次の瞬間表情を硬くする。ドアを後ろ手でばたんと閉め、部屋の中をつかつか急接近。怖いくらいどきどきさせられても瞳は変化しない幸運、彼女は僕の汗が染み込んだポロシャツの汚いえりに向かって言った。

「あの、こんな私なんかから話があるんだけど、いい?」

 好きな人からのかすかな甘いにおいとショートカットの元気な毛先、息が届く距離の問いかけにはうなずくしかない。これまで姿を消してもふらっと現れていた佳月が今日は明らかに違った。声だって冷たく、彼女に特別な何かがあったに違いない。

 彼女は「ありがと」とささやいて一歩二歩下がると、今度はへなへなへたり込んでしまった。

「どうしたの? 何があったの? お腹すいてるとか、え?」

 驚いた僕はあたふた質問ばかりで、きゅうううとお腹の音を聞く。僕ではない。問いの一つは正しかったようだ。

「ごめん、修輔ならお腹ぐうくらい聞かれても平気。それより聞いてほしいことがあるの」

 佳月はかすかに頬を赤らめつつも、深刻そうな声は変わらない。

「う、うん。でもさっき持ってきてもらったパンが残ってるんだけど、食べる?」

 直幸に頼んだことは話さなくていい、というかその原因の原因は彼女の知らない虹彩変化である。

 佳月は「あっ、ありがとう」と先ほどの「ありがと」よりやわらかく礼を言ってくれ、こくんと頭を下げた。僕は一度どけたテーブルを彼女の前にすえ、パンを渡して向かい側に腰を下ろした。そのときあの彼女の冷たい指にふれ、引いた自分の熱い手をしみじみ眺める。今の冷たさ、爪が引っかかっただけ?

 首をかしげて視線を向けると、パンを食べ始めたもぐもぐが実にかわいい。やっぱり好きだなと想いを断ち切れてないことを確認――してる場合か!

 佳月は食べ終えて上目づかいに僕を見つめた、もちろんパンがほしいのではない。僕はいよいよだと心が身構え、身体もごくりつばを飲む。彼女は瞳を揺らせて弱々しくほほ笑み、「ありがとうね、パン。それでその……、最近私変だったでしょう?」と話し始めた。

「――まあ、うん、変だったかな」

 わかっていてもはっきり言えない。彼女はうつむき、視線をテーブルに向けてしまう。

「私、今あっち、あっちから帰ってきたんだけど――、あのね、まもなくパーぷルが戻ってくるから、先回りしなきゃって」

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