episode 5-2 レイドが丘の薬草レイド
もし追いかけてきたらと軽いリュックサックを揺らせてひやひや走ったが、数十メートル先で振り返っても弘美の姿は見えずほっとする。二つ連なる建物が木々の陰に隠れた分岐点で、僕は土の急坂を覚悟して近道を選んだ。
森に入ると強い緑のにおいに感覚が支配される。道が狭まって下り坂になり、晴れていれば
「うわっ、だめだ」
彼女との思い出が次々よみがえってしまい、僕は曇りでも美しかった小川を飛び越したところで足を止める。振り返って冷たそうな水の流れを見ていると、グリン虫やイエル鳥の声にまぎれて深い森の底に風が降ってきた。
「でも、もう最後にするからいいのか」
逆に今はこの記憶をすべて踏みつぶさねばならないと考え直し、僕は再び歩きだす。小川を離れて足をすべらせやすい急坂を登り、実際に三回も転びそうになった。
「くそっ、泥汚れで帰ったら、みんなに訊かれる」
弘美は黙っててくれる? そういう子だよ、いくら僕に哀しまされていてもね。
僕は晋太郎先生似で有名な木のうろを拝み、やがてあたたかい突風を感じて唐突に森が終わると、思い出のレイドが丘に到着した。
「――ああ、あぁうわあー……っ」
自然と声が出る、身体は大きくなったはずなのに丘は記憶と変わらず広い。歩いたぶんだけ暑さは感じるものの、そう今日も吹き上げる風は強くこの汗を飛ばしてくれ、薬草の赤い花が咲き誇るとても幸せな場所に見えた。それは僕が佳月を中心とした思い出にひたっているせいかもしれないけれど、十五歳の感傷がなくともきっと人の心を洗うすてきな空間に違いなかった。
そして赤く小さな花に葉はぎざぎざの緑色という僕のいる世界で最も有能な薬草は、患部に塗れば多くのけがや
薬草の束を僕から奪い取ったとき、佳月の指は感触を見失うほど冷たくて焦った。あとでめずらしいことでも怖がらなくてもいいと知って、そうか自分は彼女の体質さえも知らないのかと落胆したのを覚えている。すでにどうしようもないくらい好きだった。
再びここに立った僕は彼女を今こうして想っていて、本当はその想いを断ち切ろうとしてて……ああ、僕の心は彼女から離れなければならない。
いいじゃないか。この風の丘と今もここに残る思い出のすばらしさ、赤い花に緑の葉、薬草を佳月が手にしてほろほろとほほ笑む。僕は思い出にひたるのを今日で最後と決めたことで、すべてを感じるという最高の経験をさせてもらっているのだから――、
ええとあれ、え?
いつの間にか僕は深い霧に包まれており、白い霧の向こうに髪を風に揺らす人が立ち尽くしている。その力ない人影はだんだんと前進し、おや? あれは……髪が長かった、かわいらしいあの日の佳月――、
いや違う。うそみたいに重い霧を突き破って目の前に現れたのは今も髪の長い弘美で、
「えっ、弘美のわけ……、パーぷル、か?」
僕ははっと目を見開いた。誰も何もいない、世界は白くない! 現実には人なんかどこにもおらず、パーぷルはたとえいてもその姿を知らないし、視界を覆う霧さえも幻だった。
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