5 やくそう
episode 5-1 思い出の丘
「あの場所……、か?」
思い出の場所が候補に挙がる。薬草をつんで彼女と食べた思い出の丘。その「儀式」にどれほどの力があるかわからないが、僕はあきらめるために自分から行動したと胸を張れる何かをせずにはいられなかった。
「もう、行くしかないんだよ」
僕は部屋の白い壁に向かい、反射して自分に届くようつぶやいた。
――私、どうしたら普通の子になれるの?
本当はそんな人間になりたくなんかなかった佳月が僕の頭の中で必死な声をあげる。彼女が悩みを僕に見せたあの日以来、それまで何度も訪れていた丘に僕一人でさえ近づかなくなった。僕のほうに明確な理由はなかったけれど、彼女が行きたがらないから僕もやめる。率先してやってきた薬草つみも誰かに任せ、そういえば――、
丘の名前、何ていうんだっけ。名前まで忘れるとは、彼女を想うあまり僕も嫌になってしまった。でもだからこそ、恋を忘れたい今の僕が行くべき場所である。
よし! 僕は景気づけに壁を軽くたたくつもりが力が入り、反対側からがんっと返された。相手は騒音に〝うるさい〟男なので、逃げて部屋を飛び出す僕。そう、この勢いで名前を忘れた丘をめざすのだ。
見上げる休みの教育棟はひっそり静まり返り、人を妨げる要塞のような危険な雰囲気をかもし出している。このときの教育棟は勉強しなくていい代わりに不安にさせられるから嫌いだった。振り返れば人のにおいすらしてきそうな生活棟の平和な音たち、上空には先ほどより明るい雲が広がっている。
男部屋のある二階から陽気な藤也に手を振られ、何とか笑顔で返した僕は雨は降らないと判断して傘を持たずに出発した。
しかしその前に、僕は自分でも意外な行動をとる。偶然弘美の黒いロングヘアが目に入り、緊張しつつ近づいて声をかけたのだ。
「あ、あのさ。一番の赤い花の薬草が取れるあの丘って、名前何だっけ」
ぱっと振り向いて目を丸くする彼女。僕は彼女が薬草つみが好きだと思い出し、何度も訪れて名前を知らないはずはなく、僕みたいな〝佳月との忘れる理由〟もないに決まってると考えたのだった。今までつい避けてきたことは申し訳なくてもあとの祭り。
待てよ、最近はあまり参加していない気がする。
「しゅ、うすけく……、ええと、だから」
弘美が落ち着きを失った揺れる声で答え始めると、きええぇ、うええぇ!と鳴いてイエル鳥が邪魔に入る。やるなら僕だけの邪魔にしなよと念じたら静かになった。
「レイドが丘のことだと思うけど――、知らないの?」
疑問を持った顔で首をかしげる彼女に、僕は「あの、ど忘れ、みたいな」と頭をかきたい右手を抑えてうそをつく。すると彼女は、
「あと、あの丘はすごくパーぷルに会いやすいって、だから行かないほうが……」
うつむいて後ろに下がりながら言った。
ええっ? 何とあの思い出の丘、名前を言われて思い出した薬草の丘がパーぷルに会いやすい場所だというのか。僕はまったく知らなかった、いやこれも忘れただけ? そして誰より一番にパーぷルを怖がる弘美ながら、さすがにうそではないだろう。
わかった、パーぷルが怖いから薬草つみに参加しなくなったんだ。
「ねえ、パーぷルに会いやすいってうわさ初めて聞いたけど、よく僕が行こうとしてるって気づいたね」
僕は今度こそ手で頭をかいてふっと息をつく。弘美は小さく驚いて顔を上げ、再び叱られているみたいに下を向いた。
「気づいて言ったんじゃないけど。ただ、修輔くん、ひろは……行ってほしくなくて」
ああ、目の前に立つ女の子はまだ僕が好きなのかもしれない。自分が佳月にふられたのと弘美をふったのと、僕の胸はひりひり二つの暗闇に包まれている。お願いだから僕の前で泣かないでよね。
僕は二つの暗闇のうち、捨てたくない恋を処分するために出発する。心配ない、「最後までパーぷルに会わないのは誰か対決」が始まって以来一人もパーぷルと会って消えていないのだ。
僕は泣かない弘美にそっと笑みを投げ、「すぐ戻ってくるから」と告げた。彼女は
「ははは、大丈夫。心配ないって」
「だめ、いなくなるの……嫌だ、嫌です」
弘美は僕の隣に並び、僕だけに届く声で訴えた。
「最近誰もパーぷルに会ってないよ」
そう言って引き離す僕に、彼女の声も「でもだめです!」と大きくなる。僕はここで勝てなければ佳月をあきらめる信念も貫けないと、彼女にかまわず箱庭を出た。
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