episode 3-2 裸の女の幽霊
ふと男たちの輪をはずれて教室の窓を見ると、いつもベランダで生活棟側の空を眺めている佳月の背中はそこになく、また何かやってるのかとそれだけでより〝憂鬱〟になった。ここ数日やけにいなくなりがちな彼女もまさかパーぷルに出くわしてはいないだろうし、今はトイレか他の教室に違いない。
僕たちは学業成績で三組に分けられており――佳月は三組に生活棟も合わせた施設全体を「箱庭」としている――、彼女の所属するここ一組は最も成績が良く、僕の他に年上の虎太がいる。隣の二組は二番目で同じ十六歳の藤也といなくなった十五歳の美羽、建物の中央寄りにある三組は弘美と直幸だが、別に不器用なだけで頭が悪い印象はなかった。あと教室だけなら、誰も所属したことのない四組がなぜか一組の奥に存在する。
僕は下に落ちかけていた視線を持ち上げ、再び穏やかに光射す〝佳月の窓〟を見る。そこでは今も僕に見えない風がベージュのカーテンを揺らせているだけで、
「いない……、か」
独り言をもらした僕は、教室から「消えた」美少女がもし本当に消えていたらどうしようと心配になってきた。しょっちゅう姿が見えなくても不安になるのは最初だけだったのに、何か嫌な予感がする。
しかしその通りであれば、好きな人をパーぷルに奪われたときに出す結論、僕もパーぷルに会って異世界に行くことを選ぶに違いなかった。
がだんっ、
扉が衝撃を受けた音に振り返ると、廊下から息せき切って駆け込んできたのは佳月!
良かった、まだこの世界にいてくれた。僕は思わず「どどっ、どうしたの?」と〝衝撃〟を受けたまま声をかけてしまう。
「ううん、何でもない。何でもないよ」
まともに話すのは告白失敗以来だった。彼女は僕にほとんど目を合わせず、両手で汗だくの赤い頬を扇いでいる。何だよと思う僕は彼女の何もかもを監視しようという気はないけれど、姿すら隠す目の前の女の子が心配でならなかった。では僕は、彼女を以前より増して意識してはいないだろうか。
もうふられたのに、ふられたんだよな……。
様子が変だからと追いかける口実にしてはいけない。僕は両足に力を込めてその場を離れた。先を考えずに気がついたらベランダが迫り、慌てて行き先を変える。佳月がいつもいる場所ではないか。
「何やってんだよ」
僕は反対の廊下に出て、ほんの少しひんやりとした空気を吸う。その向こうを歩く三組の弘美が振り返り、わけもなく逃亡したくなって男性用トイレに飛び込んだ。
「うおぉーう、どうしたあ、裸の女の幽霊に襲われたみたいな顔して」
男専用だからこそ口にできる言葉、間延びした声の主はこちらに背中を向けて手が離せない健先生だ。二十代の若くてエネルギッシュ、誰より子供たちに関わりたがる先生。身体の構造は男性だから僕と一緒で、壁沿いの小便器への行為も見ていたくはないが同じである。いくら観察しても大人で真実を知っているらしい以外に僕や藤也との違いは見つからない。しかし僕たちはその存在をもっと強く疑うべきなのかもしれない。まだ一人もいなくなってないんだし。
「――幽霊、いるかもしれませんね」
僕は健先生とほとんど言葉をかわさずトイレを出た。そこに裸の女の幽霊、いやチェックの長袖を着た弘美の姿はなく、ちらと二組をのぞいて爆笑する藤也を見つける。二組に帰ったなら一組での今日の「会議」とやらは終わったようだ。
そんなことより、考えてみると僕の弘美に対する気まずさは佳月の僕に対する気まずさと同じである。佳月に避けられているとしたら、彼女の事情は今僕の中に巣食うものと似ているはず。
だから僕は、彼女をわかってあげなければならない。
「でも、佳月がいなくなって心配なのはしょうがないよ」
僕が誰にも聞こえない力で言い訳すると、
「きゃっ! しゅ……、な、何でもない」
一組から現れたその佳月とぶつかりそうになる。さっきと同じ扉で逆の関係、顔を引きつらせてよける彼女の上で授業開始五分前の鐘が鳴りだした。彼女はかまわずすれ違って小走りに廊下を進み、僕はその背中に胸が締めつけられる。ああ自分はまだ好きなんだと孤独に実感して身体が熱くなった。
それからしばらく、朝一番の緑色の霧雨がさわやかな晴れを導く日が続いて美羽に誕生日が来た。僕や佳月より一足早く十六歳、もちろん小柄な彼女の
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