episode 1-3 密接・密閉・密集

 箱庭最年長の啓司けいじが十代に入ってまだ半年も経たないころ、まずはその彼から、何の前ぶれもなく仲間がいなくなるようになった。不安と哀しみに襲われた僕たちが誰に――どの先生につめ寄っても、ただ「パーぷル」、「異世界」、「幸せ」という言葉が返ってくるばかり。神隠し。僕なんか当時の衝撃が大きすぎて細かく思い出せないほどである。

 しかし、大切な仲間の〝旅立ち〟が一人ずつ延々と続くことで、しだいにみんなこの不可思議を受け入れられるようになっていった。とはいえ存在が消える覚悟は若さにとって酷であり、いくら先生に胸を張って言われたにしても、成長途中の青い心を護りたいがために「パーぷルに会い、異世界に行って幸せになる」という考えにすがっているのかもしれない。

 今や僕でさえ啓司のときよりずいぶん不可思議に対して余裕を持てているが、そもそも何なんだという疑問は先生の説明で消えるはずもなく、僕の本音は異世界に行くのは嫌だった。佳月も一緒で、僕が藤也に話した「異世界なんて、いいところじゃないに決まってる」からもわかる通りパーぷルの「幸せ」を疑っている。これは皆の前でも同じである。

「ねえ、修輔くんもみはちゃんの話聞いた?」

 いつまでもその場で考え込む僕に、右の教育棟からぼんやり出てきた弘美が不安そうに訊ねた。目が大きく鼻が小さい彼女の言う「みはちゃん」とは一昨日消えた美羽のことで、ここにいた藤也はもう先ほどの女の子とともに左の生活棟に姿を消している。

「うん、藤也から聞いた。びっくりしたでしょう」

 最後がていねいになったのは、目の前の華奢きゃしゃで髪の長い女の子が怯えているとわかったから。他の子たちはどうして一人にしたのだろうか、弘美は誰よりパーぷルを怖がっていたではないか。

「――一昨日の夕方ね、みはちゃんひろから遠くなってて、何もないところでいなくなって、怖かった。ひろは今日、じゃない昨日は会ってないのに会ったって男の子にうそ言っちゃって。まだ美羽がいないことを認められてないみたい、ひろ……」

 自分自身を「ひろ」と呼ぶ、泣いて落ち込みやすい彼女は年齢こそ僕や佳月と同じ十五だが、内面はそのうつむいた身体からだつき以上に幼かった。

「やっぱり、密接してないほうがいいのか」

 つぶやきで返す僕は引っ込み思案気味で、近ごろは女の子に金色の瞳を見られたくない。虹彩変化が弱気を倍にしてしまった。

 そのとき、きええうえぇんと上空でイエル鳥が鳴きだした。その不気味ながら聞き慣れたひねり声ごと一瞬で風が吹き下ろし、「ひゃっ、やっ」と目の前のやせた身体とスカートがあおられる。

「あわっ、あ……ご、ごめん」

 はははは、情けない。ただ物理的に距離が縮んだだけでばかに緊張した僕は、自分の瞳が虹彩変化がと怖くなって倒れかかる弘美を支えもしない。ああ本当に、本当だめな男。さすが佳月にふられただけある、笑っていられない。突風一つで何が変わったわけでも弘美に幻滅されてもいないだろうし、彼女には特別な感情もないのに、僕は今日二つ目の崖を転がり落ちる気分だった。

「みはちゃん――、行きたかったみたい」

「え?」

 彼女が姿勢を立て直してぽつりと言い、悩める僕は瞳の感触が大丈夫そうでも女の子より蒼空を見てしまう。灰色のイエル鳥が仲間と群れをつくり、僕たちの生活棟と教育棟をつなぐ橋の上を舞っている。

「ひろとは違って、パーぷルに会いたがってたの。この世界が息苦しくなって……」

 僕はやっと弘美を振り返った。

「みんな、みんなじゃないけど、確かに息苦しいかもね。教科書からずれた狭い世界に閉じ込められて、新しいことも何もない毎日」

 これが僕たちの現実、真実なのだ。

 最近、美羽のように異世界の幸せを求めて本気でパーぷル探しを始める流れが箱庭内で拡大しつつあった。先生の話を含めまだうわさの域を出ないものの、パーぷルに会いたい人が気をつけるべき注意点が三つ生まれている。それは――、

 人同士が密接していてはいけない、

 密閉した部屋にいてはいけない、

 大勢が密集していてはいけない、である。

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