episode 1-2 パーぷルと大人の世界

「くそっ、空が蒼い……」

 僕が思わず蒼空に言葉を投げたとき、佳月が姿を消した教育棟裏に何者かの気配を感じる。彼女が戻ってきたわけではないだろう。

「何だ修輔、こんなとこにいたのかよ。おい、パーぷル出たぜ」

 おっと、勢いのある声に振り返れば僕が入っているグループの藤也とうや。その優れた横顔と統率力で女の子の視線まで引っ張る、頼りにもなれどときおり嫌になる奴だった。

 それより「パーぷル」である。この世界にひそむ謎の存在、「パ」と「ル」はカタカナで「ぷ」だけひらがなが正しい表記。僕たちに幸せを呼ぶものとされており、今その名を口にした藤也も皆と同じく会いたがっている。ただパーぷルに会って――遭ってどうなるか、それは会ったことのない僕たちにとってはまだ空想に近かった。

「――おう、どうした修輔」

 声をかけてきたのは自分のくせに首をかしげ、僕を不審がる藤也。僕は後ずさって後頭部を壁にぶつけ、「いでっ、いや、大丈夫だから」と下を向いた。鼻で笑う彼は身長で僕を追い越したばかりで、近ごろは自信のほとばしりが目に見えるようだ。

 僕は佳月に告白して沈められたとはとても言えず、

「それより、いなくなったの……、誰?」

 上目づかい気味にパーぷルのことを訊ねる。

美羽みはねだよ、チビめがね女の。一昨日おとといブルウ川でばかみたいな数の石投げ競争して、帰りに弘美ひろみの後ろで消えたんだと。そばにいたら会うはずないし、ちょうど二人が離れたときなんだってさ――ったく、先生たちは表立って言わないしさ、女どもも今まで隠してやがった。休んでたのに気づかなかったぜ」

「後ろで消えた、か」

 ちょうど二人が離れたとき――いつものことでもぐさり、鋭く胸に刺さった。美羽。合わない視線が記憶によみがえる。僕とは親しくなかったとはいえ、この世界でともに暮らし学んできた仲間がまた一人幸せを呼ぶものに連れていかれた。僕たちの周りにパーぷルが出て生じる結果、それは会った人間がいなくなること。彼女はパーぷルと会って異世界に行ってしまった、でもいなくなったのが一昨日とは。

 美羽といえば、うそをつく子ではなかったのに、少し前に森の向こうで見知らぬ男の子に会ったと言って皆に責められていたっけ。

「異世界で、本当に幸せになれるのかな」

「なれるだろ。実際どうだっていう証拠はないけどな、それが俺たちの人生で、誰も帰ってこない。幸せな証拠」

 僕のつぶやきを藤也が笑って勇気づける。過去にも直接の目撃情報が得られたことはなく、今回弘美が消えずにこの事実を伝えたのはパーぷルを見ていないから。実は誰もパーぷルの姿を知らなかった。

「見た奴をみんな連れてくって、パーぷルに都合良すぎだよね。目撃者ゼロ

「でも、先生もそう言ってるだろ」

 めずらしいと思った。生来の統率力で人を集め、先生に反抗しがちな藤也が大人を信じたようなことを口にするとは。そんな彼は僕を捕まえてパーぷルの話をするのが目的だったのか、きびすを返して歩きだした。彼はここを離れる佳月の姿を見ただろうか、気になりながら僕はついていく。

 物心ついたころには、僕たちはここで同じ仲間と一緒に暮らしていた。これまでに姿を消した――すなわちパーぷルと会ったとされる――仲間をみんな含めても、二歳以上離れた年上は大人の先生だけで年下に会ったことはない。パーぷルを知る何年も前に佳月がここを「箱庭」と呼んだ。いっそ箱庭より箱舟、僕たちは〝選ばれている〟のだろうか。

「さっき、佳月が『異世界なんて、いいところじゃないに決まってる』って言ってた」

 告白前に言われたこと。なにげなく口にすると、藤也は背中で「佳月が言うと真実に聞こえるから怖いな」と笑った。彼もこの〝箱庭〟で一番の美少女にほれている一人で、そんなことを考える僕はまだ終わった恋にしがみつきたいらしい。だってあくまで僕の主観だけど、佳月と一番親しい男は自分に違いないのだから。

 ショートカットのすらっとした見た目、りんとした態度、勉強にとどまらぬ頭の良さ。顔立ちの整った美人で頭がいい、私ならこれくらいできて当たり前でしょという主張に嫌味がない。クールなふりしか許されない優等生ゆえの悩みを聞いてきたのはいつも僕だった。

 ではなぜ交際を断られたのか、それがわかれば苦労しないわけで――、

「異世界は大人の世界だろ、俺は誰よりかっこいい大人になるんだ。そうしたらいいところだと思うぜ」

 教育棟の表側、向かい合う茶色い生活棟との間に入ると藤也が振り返った。これから一人一人パーぷルと会って行かされる異世界は、きっと大人へと成長したあとも暮らせるに違いないから「大人の世界」とも呼ばれている。

 教育棟の玄関から佳月でも弘美でもない女の子が出てきた。彼は僕の前を離れ、うつむく彼女に「美羽、幸せになるといいね」とほほ笑みかける。僕は目をそらし、もし自分が同じ言葉をかけても嫌われるだけだろうなと思った。

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