第三章-2「機能不全家族で生まれた私より」

 私が生まれた病院は佐久市にある総合病院だが、幼少期過ごした場所は小諸市であり、義務教育が始まると軽井沢町のとあるアパートに越した。軽井沢での生活は十年以上と長く、軽井沢と言えば金持ちのイメージだが、我が家は貧しく、そのアパートが丁度安くなっていたからという理由で借りられたのである。賃貸の生活でもこんなに長く暮らしたのは人生初めてで、普通のアパートならあまり冬だと暖まらないだろうが、暖房をつけるとかなり室温が保たれ、所謂、窓は二重と頑丈な作りになっているのである。軽井沢と言えば別荘のイメージだが、その別荘地帯がある地区からは少々離れた地区に住んでいたので、まぁ、言ってしまえば隣町の御代田にかなり近い場所に住んでいた。御代田町は、地図で見ると細くて小さい町であり、軽井沢町は長野県の出っ張りを活かした形状になっているので、少々丸みを帯びている。

 その長年暮らしていたアパートの目の前には小学校があり、その小学校はグラウンドがほとんど自然で出来ているので土地が広く、グラウンドとアパートの間にある砂利道以外は全て学校の敷地内である。当然、徒歩一分もかからない。そんな目の前に見えている小学校に私は通っていた。軽井沢は、熊は勿論のこと、鹿や猿、猪などが生息しているので、よくクマなどが出没する度に町の放送が入った。ご存知の通り、県外の人達が大好きな観光地でもあるので、偶に家族とはぐれてしまったり、痴呆症か何かを持っているであろう老人を探している放送や、不審者も度々目撃されている。案外、軽井沢は安全なようで不審者などは普通に目撃情報があるので安心は出来ない。活火山が近くにある学校は、必ずヘルメットを着用して登下校しなければならない。中学校は流石に無かったが、小学生は全員義務だった。

 このアパートは、町の規則として三階以上は建ててはいけないという事で、通常の二階建てだったのだが、アパート名が何故か『マンション』とついていてかなり矛盾していた。気持ち的には、そういう規則が無い場所ならもう少しあったのかも知れないと思うと、こちら側としては少々複雑な気持ちになる。

 勿論、全ての店はコンビニも含めて二十三時までと限られている。例え、お洒落なイタリアンのお店だったり、フレンチだったり、お酒提供をする全てのお店も早々に閉まるのが当たり前の光景だ。

 本当に貧乏だったので、地元でそういうお店に行く事は全く無く、私は長年、母親の自炊で生活をしていた。休日、偶に言い争いになりながらも家族で決まったお店に入るくらいで、県外に出かけるとかもほとんど無く、家族旅行という概念すら無かったのである。お金があったとしても、知っての通り私の両親は不仲なので、母親が一緒に行きたがらない事はしょっちゅうであった。そもそも、当時の母親は何をしても気力が無く、きっと、私と親父の面倒を見て日々肉体と精神の疲労が溜まっていたからだろうが、「どこにも行きたくない」と答えるばかりだった。

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