第9話

 普段から晩酌や一人呑みもしているし、遺伝子的にもお酒は強い方だ。酒の席での失敗経験もほとんどなかった。だから油断していたのだ。

「完全に酔った・・・」

 気持ち悪さもあり車に乗るのは悪手と判断するだけの思考はまだ残っていたので、タクシーは呼ばずに夜風に当たりながら一人ゆっくりと歩いていた。幸い自宅まで徒歩圏内だ。

 こんな悪酔いをしたのは、連日仕事が多忙で睡眠がきちんととれていなかったせいだろうか。

 記憶は所々欠けているが、粗相はしていないと思う。顔も赤くなりにくいタイプなので、周囲の社員は誰も刹那がこんなに酔いが回っているとは気づいていなかった。一次会が終わり、二次会でカラオケに行くという彼らを、あとは若い子だけでどうぞと抜けてきた。自分で言いながら、もう私は若くないのかと勝手に傷ついた。酔っ払いのよくないところである。

 なんとかマンションのエントランスにたどり着いたが、ふわふわして鞄から鍵が見つけられない。部屋番号を押して呼出を押した。

『え、ユリさんどうしたんですか』

「開けて」

 驚いたハルの声。自動ドアがすぐに開いた。覚束ない足取りでエレベーターまで向かう。

 ハルが先に帰宅していた。そのことに満足感を得ていることを自覚する。そこでようやく、今日こんなに酔ってしまった真の理由に気づく。

「あー・・・気づかない方が良かった」

 苛々していたのだ。ハルが簡単に他の飼い主の元に行くことを揶揄したことも、それを嫌だと思ってしまった自分自身のことも。そうして普段より速いペースでグラスを空けた。いろんな社員と杯を交わし、酒の種類もバラバラだったのが尚更良くなかった。

 エレベーターが目的階に到着すると、目の前にハルが待機していた。その姿を見たらもう、感情が決壊して、考えるより先にその胸に飛び込んだ。

「・・・だいぶ酔っていますね」

 ふらつくこと無くしっかり受け止めた春来は、優しく髪を梳く。

「とりあえずおうちに入りましょう。ここはまだ共用スペースですよ」

 肩を支えられ、扉の前まで連れられる。春来がポケットから鍵を取り出して回すのを見て、にやけた。

「どうしたんですか、急にそんな笑顔になって」

「ハルが私のおうちの鍵使ってくれているなって」

「・・・なんだそれ、可愛すぎ」

 家の中に入った途端、靴を脱がされ抱き上げられた。

「ちょっと、何するの」

 問いには答えず、ソファーに下ろされる。

「お水持ってきますから、待っていてくださいね」

 立ち上がろうとする春来の手を掴んだ。

「いかないで」

 隣の席を叩いて座るよう促す。春来はそれに従ってくれた。気を良くして、再度抱きつく。

「ユリさんは、酔うと抱きつき魔になるんですね」

「うん、そうなの。人恋しくなるみたい」

「会社の人にも抱きついてきたんですか」

「そうだったら、どうする?」

「妬けます」

 春来は拒絶せず、抱きしめ返した。その熱が心地好い。

「妬いてくれるのね」

「ご主人様が浮気していたら、ペットは妬くものです」

 言い分が春来らしくて、笑みがこぼれた。

「大丈夫、他の人には抱きつくの我慢できたよ」

「良かった。我慢できて偉かったですね」

 頭を撫でられる。幼子にされるような行為だったが、それは不思議と嫌な気持ちにはならなかった。

「ハルはどうなの。他の飼い主に浮気しなかった?」

「電話のこと、気にしていたんですか。冗談が過ぎましたね、すみません。僕はユリさんだけのペットですよ」

 胸の中にあった小石がすっと取れた感覚。春来の答えに満足して、抱きつく腕に力を込めた。

「本当に、可愛いご主人様だなぁ」

 そう言って、刹那が満足するまでじっと腕の中に収まっていてくれた。


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