第8話
会社のエレベーターホールで、他部署のチーフマネージャー
「おはよう。そっちは今日の一三時から十八時だっけ。お互い、頑張ろうな」
「よく自分の担当じゃ無いゲームのアプデ時間まで把握していらっしゃいますね、怖いですよ」
「じゃあ由利さんは俺が担当している『ハイワン』のアプデ時間わからないんだ?」
『ハイワン』、正式名称は『ハイスクール・オブ・ワンダーランド』。不思議の国のアリスをモチーフにした女性キャラクターが通う高校で、登場人物たちと親密度を深めていく所謂ギャルゲーのスマホゲームだ。
「十一時から十五時」
「正解。お前も十分変態じゃん」
「変態言わないでください」
答えなければ良い物を、負けず嫌いがでてしまった。
目的のフロアについて、先にエレベーターを降りる。
「あ、由利さんおはようございます。いよいよクリイベお披露目の日ですね」
事務所に着くなり駆け寄ってきたのは、先月この部署に異動してきたばかりの女性社員、
「今日のために、毎日みんな頑張ったっす。由利さんも俺も、連日残業耐え抜きましたもんね」
西尾も既にデスクに向かっている。
「盛り上がるのはユーザーの皆様にお届けしてからよ。今日が一番忙しいのだから、気を引き締めてね」
本日の大仕事、それはいよいよ今日の夕方十八時から開始するクリスマスイベントのデータを含むアップデートだ。
イベントの内容は既に入念に練ってあるし、ユーザーへの内容告知も済んでいる。だから今日は作成済みのデータを突っ込むだけなのだが、それでも毎回ドキドキする。それはイレギュラーや不具合が発生しないかということも勿論だが、実際にプレイしたユーザーの反応を確認する事に対しての緊張感から来るものである。
十八時。予定通りの時刻にメンテナンスは開け、アプリのホーム画面はクリスマス仕様の物に切り替わる。初期異常が無いかの確認は部下に任せ、刹那は各ソーシャルネットワークサービスを巡回していた。『虹色キャスト』に関するワードで検索をかける。反応は概ね好調のようだった。部下からの報告も、特に異常なし。そこまで確認して、ようやく肩の力を抜いた。
「アプデもイベ開始も、予定通り無事に完了しましたね」
西尾の言葉に、笑顔でうなずく。
「よっしゃ、今日はチーム皆で飲み会で良いっすよね」
「はいはい、今日は大人しく付き合ってあげるわよ」
「そんな言い方、ひどいじゃないっすか」
冗談を言い合いながら、帰り支度をする。
「飲み会前にちょっと一本電話してきて良いかしら」
春来には今朝、飲み会があることは伝えてあるので、別段改めて連絡しなくても問題はない。しかしどうしても玄関前で待つ大型犬の姿が思い浮かんでしまい、気にかかってしまった。
廊下の一角に設置された個室ブース。その一つの部屋のタグを使用中に変えて中に入る。
先日新しく追加されたばかりの連絡先を選択し、電話をかける。ツーコールで相手が応じた。
「もしもしユリさん?どうされました」
「朝も言ったけれど、今日五反田で飲み会だから晩ご飯要らないよって伝えようと思って」
「会社の打ち上げですよね。リマインドしなくてもちゃんと覚えているので大丈夫ですよ。そんなこと言って、本当は僕のこと恋しくて声が聞きたくなったんじゃないですか」
耳元で春来の笑う息づかいが聞こえる。不要とわかっていて電話した自覚はあったので、その行為に「恋しい」と名称を付けられて、体温が上がるのを感じた。
「決して恋しいなんて事は無いわ、たぶん」
「可愛いなあユリさんは」
躍起になって反論しようとしたが上手く言葉が出てこず、数秒の沈黙が訪れる。そのとき電話口の向こうで、音響式信号機のカッコーの音が聞こえた。
「・・・ハル、今お外に居るの?」
「ええ、そうですよ」
合鍵も渡しているのだ、外出していても何ら不思議は無い。しかし刹那の脳裏には、春来と出逢ったときの光景がリフレインしてしまっていた。
「また変な女の子ひっかけてないでしょうね」
「あら、ヤキモチですか」
「そんなんじゃないけれど」
「今は一人で居ますよ。でもそうですね、ユリさんの帰りが遅かったら、寂しくて他の人のところに行っちゃうかもしれません」
揶揄われている。言い返すのは下策だろうと判断した。
「はいはい、私は私で楽しんでくるので、ハルも楽しんで」
「えー。ちょっとユリさん」
まだ何か春来は言いかけていたが、問答無用で電話を切った。
個室を出ると、ちょうどチームメンバーもまとまって廊下に出てきたところだった。
「電話終わりました?」
「えぇ。終わったわ。今日はとことん飲みましょう」
「お、由利さんが飲み会に乗り気なんて珍しいですね。お付き合いしますよ、沢山飲みましょうね」
* * *
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