第7話

「さぁお仕事お疲れでしょう。玄関先にいつまでもいないで、上がってください。って、家主にそれを言うのも変な話ですけれど」

 穏やかに微笑む春来に、さっきまでの緊張は消えて、我が家に入った。すぐに鼻腔を満たす香り。

「美味しそうな匂いがするわね」

「買い出しには行けなかったので、材料あったもので鮭のムニエルにしてみました」

 リビングの扉を開けると、バターと魚の焼ける香ばしい香りがより濃くなった。食卓にはサラダと白米も並んでいる。

「よく私が帰ってくるタイミングがわかったわね?」

 湯気を立てる料理に、ふと疑問がわく。

「あー・・・」

 春来はバツが悪そうに目をそらす。

「何?怒らないから正直に言ってご覧なさい」

 顔をのぞき込んで目を見つめると、観念したように白状した。

「由利さんの勤め先は昨日教えてくれたじゃないですか。そこの受付嬢やっている子も僕のお得意様なので・・・ユリさんが帰るとき教えてってお願いしました。ほかほかご飯を用意したくて」

 はあ、と深いため息をつく。

「今回は見逃してあげるけど、もう私情のために女の子利用するようなことは止めなさい」

「・・・はい、ごめんなさい」

「それから、今度から私の帰る時間が知りたければ、直接連絡してきて。連絡先交換しましょう」

 スマホを取り出すと、悄気ていたのが一変、ぱっと表情を輝かせる。

「連絡先教えてくれるんですか、わぁい」

「連絡取れないと何かと不便だからよ。あと、もうひとつ渡しておくものがあるわ」

 一旦自室に入り、引き出しから目的の物を取ってくる。それを春来の手のひらに置いた。

「鍵?」

「そう。この家の合鍵。一緒に暮らすなら必要でしょう。連絡先も鍵も、悪用しないわよね?」

「勿論です!改めて、今後ともよろしくお願いします」

 ぶんぶんと元気よく振られる尻尾の幻覚が見える。自分でも昨日出逢った男をこんな簡単に信用して良いのかと疑問が無いわけでは無かったが、この大型犬の前では危機管理能力が著しく下がってしまう。

「さあ、折角のお料理が冷めてしまう前に、頂いて良いかしら」

「ユリさんへの愛情を込めてつくりましたので、どうぞ召し上がってください」

「はいはい、いただきます」

「つれないなあ、いただきます」

 食卓に着き手を合わせる。誰かが自分のためだけにつくってくれた手料理という物は、どんな有名シェフがつくった料理よりも美味しく感じる。

「朝ご飯も美味しかったし、ハルは料理が上手なのね」

「わーい、ありがとうございます。お褒めいただけて嬉しいです。毎日お作りしますね」

 満面の笑み。

「それは有り難いけれど、毎日は大変でしょう。そんな凝った物は作れないにしても、私だって人並みに自炊はできるわよ。交代で作れば良いと思うのだけれど」

「いえ、住まわせていただくんですからこれくらいさせてください。ユリさんさえ良ければ料理だけじゃなくて、掃除、洗濯、その他諸々の家事何でもやりますよ」

「そんなに何でもできるなら、一人暮らしすれば良いのでは」

 素朴な疑問を投げかける。

「ははは、僕名義で家を借りると、何故かすぐ過去の女の子たちに家庭訪問されるんですよね」

 にっこり。笑顔でとんでもないことを言ってのける。

「ここが家賃いくらの物件か聞くのは怖いですが、家賃も折半でお支払いします。なので追い出さないでください」

「ここは持ち家なので家賃はありません」

「うわ、すご・・・。僕はおいくら万円お支払いすれば・・・」

「お金は要らないわ。まぁじゃあお言葉に甘えて、料理と掃除はお願いしようかしら。洗濯はその、色々恥ずかしいので、各々やるということでどうでしょう」

「ユリさんがそれで良いのなら、僕は何も異論ありません」

「じゃあ決まりね」

 一緒に暮らすためのルール。それを決めたことで、この非日常が日常に繰り上がる。

 この時はまだ二人とも知らなかったのだ。この互いに相手を舐めたが故の決断が、自らの古傷を抉ることになろうとは。


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