第6話
結局刹那は、折角のご馳走を掻き込むことになってしまった。
健康のためにいつもは電車を使わず会社まで約三十分かけて歩くのだが、そんな場合ではないので電車を乗り継いで最寄り駅までの最速ルートを選ぶ。車内の吊革広告を眺めながら、ぼんやりと今日から師走に入ってしまったのだなあと思う。
「あれ、由利さんじゃないですか」
名前を呼ばれ声がした方を振り返ると、そこには直属の後輩である
「俺いつもこの電車乗ってますけど、由利さんとエンカするの初めてっすね。今日はついてるなあ、色々上手くいきそうな予感がします!」
普段電車には乗っていないので当然のことなのだが、本人が嬉しそうなので水を差すのも悪いだろう。あえて説明することはせず、微笑む。
大学を出て新卒で入社したゲーム会社で、システムエンジニアとしてスマートフォン用ゲームの開発に携わって早七年。今や刹那はチームリーダーを任されるまでになった。
現在取り組んでいるのは女性向け恋愛シュミレーションゲーム『虹色キャスト』通称『虹キャス』の企画開発である。登場人物である男性劇団員の成長と、プレイヤーが操作する女性脚本家との恋愛模様を楽しむ内容だ。リリースは今から一年前。直後から話題を呼び、ダウンロード数は未だ伸び続けている。
三日後に控えた新イベント実装に向け、まだ詰めなくてはいけないことが残っている。普段は休日出勤など殆ど無いのだが、大型イベントの前だけはどうしても避けられなかった。
「お互い休日まで職場で会うなんて、既に上手く行っていない気もするけれど」
「そんなこと言わないでくださいよ、折角テンション上げようとしてるんですから」
「ごめんなさいね」
駅から徒歩十分、ガラス張りの洒落たオフィスが二人の職場だ。デスクにつくと、お互い黙々とパソコンに向かう。フロアには他のゲーム担当をしている社員がちらほらいた。どの配信ゲームもクリスマスのような世間一般が浮き足立つイベント事の前は忙しくなりがちだ。同じ会社といえど、負けてはいられない。刹那はタスクに集中した。
「由利さん、警備の人がもう施錠したいって言ってるんですけど」
昼食すら忘れて没頭し、気づけば時刻は二十一時を回っていた。
「もうこんな時間だったのね、ありがとう」
「その集中力、本当にいつ見てもすごいっすね。その若さでチーフになる人はやっぱ普通とは違うっす」
「西尾さんも、いつも頑張っているじゃない。同じチームにいてくれてとても助かっているわ」
「えー、由利さんにそんな風に言われるなんて、俺めちゃくちゃ嬉しいです。そうだ、お互い休日出勤頑張りましたってことで、このあとメシでも一緒にどうですか」
いつもの感覚で「いいよ」と応じようとして、慌てて首を横に振った。
春来の顔が浮かんだのだ。
朝慌てて家を出てしまったら、よく考えれば連絡先すら交換していない。夕食が要らない、帰りが遅くなると伝えられない。相手はただの居候なのだから、そんな律儀に行動する必要はない気もしたが、朝のあの捨て犬のような瞳を思い出すと、どうにも無碍にはできなかった。
「まだ明日からもリリースまで走り続けなきゃだし、今日はお互い大人しくおうちに帰りましょう」
「確かにそうっすね、明日は月曜ですもんね。代わりに、アプデが無事終わったら打ち上げは参加してくださいね」
「はいはい」
手をひらひらと振って別れる。帰りは普段通り、徒歩で。直線距離で自宅と会社は近いのだが、電車を使おうと思うと五反田駅で山手線から浅草線へ乗り換えねばならぬので、刹那にとって公共交通機関を使うメリットはあまり感じられなかった。
自分の家の前につき、あとは鍵を開けるだけの段になって、何故か急に緊張してきた。ただ自分の家に帰るだけだ。それだけなのに。
ピーンポーン
迷いに迷って、鍵を使わずにインターホンを押してみる。
「はーい、あ、由利さんじゃないですか」
機械を通して応答があり、すぐに扉が内側から開く。
「お帰りなさい」
出迎えた春来に、何故かほっとしている自分がいた。
「ただいま・・・まだうちに居たのね」
きょとんとした顔。
「え、だって僕、ここの家の鍵持っていませんし。さすがに開けっぱなしで出かけられないでしょう」
今度は刹那がきょとんとする。
「ここ、オートロック・・・」
「あ、そうなんですね、流石。でもそれだと、尚更お出かけできないですよ。僕閉め出されちゃう」
「お出かけ、ではなくて・・・」
「あ、居なくなると思っていました?」
こくん、と頷く。
「ユリさんがそれを望むならば大人しく出て行きますが・・・少なくともそんな泣きそうな顔してくれる内は、勝手に出て行ったりしませんよ」
そう言われて、自分が眉根を寄せていることを自覚する。
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