供
翌日から、コウは毎日その
花を摘んでは自ら削った木皿に飾り、汲みたての湧水を磨いた真鍮の器に注いでともに社殿の入り口に供える。毎日の寄進をと望まれたから、前日のそれを換えようとしたら、ひょいと現れた白い手に阻まれた。
「まだ綺麗に咲いているだろう」
「しかし
「少なくともこの目の黒いうちは我が供物を無駄にはさせぬ」
くつりと笑って、その人は木皿を取り上げると奥へと下がっていく。すらりと伸びた姿勢は初めて会った時から変わらない。だが、髪は艶やかさを増し、心なしか
じっと見つめるコウに、相手はその視線の意図を悟ったのか、もう一度くつりと笑って指先をひらりと振った。途端に、白無垢だった着物の上に供えたばかりの薄紫の八重の花の蕾が浮かび上がる。驚いてコウが見つめる先で、その蕾が緩やかに花開いていく。左袖から肩へ、さらには合わせを飾って背から裾まで。決して華美にならぬ程度に、それでも緻密に幾重も重なる花がふわりほろりと開き、はらはらとあるかなきかの風に揺られるように花びらを散らしていく。
「……派手か?」
「いいえ、よくお似合いで。別の花をお持ちすればまた咲きますか?」
「さてな、あまり色が混じってもうるさかろう」
「では、その花に重ねて合うものを探してまいりましょう」
思わず意気込んでそう言ったコウに、相手は驚いたように目を見開いて、それからやっぱり花がほころびるようにふわりと柔らかく笑った。
「おかしなやつだな。こんな朽ちた社に引き寄せられただけでなく、好んで世話まで焼こうとは」
ああでもそうか、その目の対価か、とそのひとは一人合点したかのように頷く。コウは特段否定もせず、袖に咲いた花を吟味するその横顔を見つめていた。
気まぐれな神は毎日の寄進を望んだが、毎日姿を見せるわけでもない。とはいえさすがに三日と置かずに現れるから特に不在にしているわけでもないらしい。供物に菓子があればすぐさま姿を見せるから、コウの訪れを認識しているのは間違いなさそうではあった。
「美味いな、これは」
細い指先で木皿の上に花とともに飾られた菓子をつまみながら、それまで見たこともないような満足げな笑みを浮かべる。隙間に敷き詰められた菱形の菓子は、近々開かれるという祭に備えて街人がそれぞれの家で焼いたもので、近隣にも気前よく配るのが
「乳の上澄から取れた油と勾玉の木の実の粉を混ぜて焼いたものだそうですよ」
「この匂いはなんだろうな」
「ああ、何でもこのあたりで栽培されている珍しい香り草の粉を入れているそうで。元々は舶来の品だとか」
あたり一面が焼け野原になったせいで、多くの人々が命を落とすか、この地を離れた。戦火の終わりとともに戻ってきた人もいれば、別の地から入ってきた者たちも多い。そうした人々が持ち込んだ新しい作物や薬草が、少しずつ根づいているという。
「わたしの知らぬ世界だな」
「いずれ馴染みのものとなっていきましょう」
日を重ねるごとに千晶の肌は白く滑らかさを増し、髪も今や烏の濡羽のように艶やかだ。怜悧な美貌はそれでもコウから見れば以前よりも柔らかく、目にした誰もが惹かれずにはいられないだろう。常人の目には映らないとわかってはいたけれど。
いずれにせよ、コウ一人の寄進でこれほどに変わっていくのであれば、もっと多くの人々の信仰が戻ればどれほどの力を得るのだろう。ふと、コウは失われたというこの社の縁起について考える。
厳重にこの地に封じられた神。その
たおやかな容姿を持つ千晶が荒神であったとは信じがたいが、それでも三重の封じは尋常ではない。もとより自然の神は
ふ、と星を浮かべる瞳がコウを捉えた。出会ってからおよそ三月。三度目の朔からまもなく月は満ちて、明日の夜には再び皓々とした輝きがこの社にも降り注ぐだろう。
「コウ」
涼やかな声に、自分の名を呼ばれたと気づくまでにしばらく時間がかかった。もう一度、静かな声が彼を呼ぶ。
「
その先を待たずとも、彼女が何を告げようとしているのか、コウにはわかる気がした。
「寄進は今日で終わりでいい」
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