四日目 後半(夜半)
皆さんの宿舎が、燃えていました。
「サヨ!?」
燃える宿舎をぼうっと眺めて居た私に、駆けつけてきたミナが驚いた声を上げました。
「ああ、ミナ」
何だかその声に反応する元気もありませんでした。
「どういうこと?」
そう訊かれましても。
「燃えてる」
私はそう答えるだけです。
「いやッ、そうだけど! 皆さんご無事!?」
そんな風に確認をするのはおじいさんに頼まれたからなのでしょう。後ろにひどく慌てた村長さんの姿が見えます。ご高齢なので大して急いでいるように見えないのが滑稽ですね。
「うーん、わかんない」
何人か外に出ているのは確かに見えますが。全員かと言われますと……。
しかもこちらはぼんやり頭です、わかるわけがありません。
「何事ですか、これは!」
駆けつけてきた(さっきも言った通り遅かったですが)村長さんが声を上げます。見ればわかることですが。
「原因不明の出火です。残念ですがまだ理由の解析は済んでいません」
昼間とは打って変わって冷静な調子でタクトさんが言いました。手元に携えた電卓の様な機器の画面を、目まぐるしい速さで文字が駆け抜けていきます。
「……」
その手の速さに見とれていると、数瞬目が合いました。昼間の愛らしさからは想像できないほど鋭利な視線が私の瞳を貫きます。まるで頭の中まで覗き込まれているようで、少しぞっとしました。
「全員いらっしゃいますかぁ」
ミナが声を上げながら宿舎の方に近づいていきました。私もぼんやりとそれに続きます。近づいてみれば炎は熱く燃えていて、少し怯えを覚えるほどでした。
「二階の皆がまだなんです」
そう
「二階って……キリコさんと皇女様ですか?」
辺りを見回して、居ないのはそのお二人のように見えます。リオンさんは『寝起きが悪い』と仰っていたミレーユさんを支えながら立って居らっしゃいますし、アンリさんは細長い包みを抱きかかえています。一体何が入っているんでしょう。
「そうだよ」
カルさんが上を見上げたまま、短く答えました。その視線の先を追ってみると、黒々と開けた空と燃え上る赤い炎がコントラストでした。
二階の窓、皇女様の部屋の窓からキリコさんが手を伸ばしています。もはや火が回っていないのはその一角だけのようで、どう降りるか考えあぐねている、と言ったところでしょうか。
「跳ぶわ」
決して大きな声ではありませんでした。むしろ聞こえづらいくらいの音量でしたが、それは夜空を貫通して私のところにまで届きます。
脳を切り刻むほどはっきりとしたしゃべり方をする人でした。
「タカギ」
聞き覚えのない名前が呼ばれました——名前と判じていいのかもわからない音の並びでした。それに応えてショウさんが小走りで窓の下に向かいます。
「無茶だ」
それより方法が無い、というようにキリコさんが首を振りました。
「受けとめて」
窓枠に足を架けて。
軽く、優雅に。
彼女は跳びました。
「わぁ……」
思わずミナが声を上げてしまうほど華麗に。そんな場合ではないというのに私が息を呑んでしまうほど美麗に。
ふわり、とショウさんの腕の中に納まって見せました。
「もう少し鍛えなさい」
最後にそんな風に憎まれ口まで叩いて見せて、キリコさんは素足で地面に降り立ちます。それから上を仰いで、
「早くしなさい」
そう言ってのけました。
ごうごう、と音を立てる炎の勢いは明らかに先ほどよりも増していました。
「でも」
後ろを振り返り振り返り、躊躇を見せる皇女様。それはそうです、誰だって怖がります。
「さっさと来い!」
ふと、そんな声が響きました。
ずっとずっと、なにも出来ずにおろおろしている村長さんなどではもちろんなく。どこかに電話を掛けている皇子様でも、相変わらず電卓と格闘しているタクトさんでも、キリコさんを抱きとめたままの姿勢のショウさんでもなく、姿の見えないカルさんでも、背中にクリスさんを負ぶったコリンさんでもなく、互いに支え合っているリオンさんとミレーユさんでもなく、包みを抱き締めているアンリさんでも、裸足なことを気にしているキリコさんでもなく、
ユーリさんでした。
真っ直ぐに、上の窓を見つめて。顔をのぞかせた皇女様と目をぴったり合わせて。
「絶対に怪我はさせない!」
そんな風に、叫んで見せました。
「ひゅー……」
こんな状況ですることではないのですが、ミナが口笛を吹きました。
恰好良い。
解っていたことですがその格好良さを再確認して——苦い気持ちになりました。
幾ら彼が格好良くたって、優しくたって、その格好良さは、優しさは、私には向けられないのです。四日にも満たない短い時間で私にはわかってしまいました。
彼は、皇女様しか見ていない。
私のことなんか端から眼中にありません。私は想定外で、彼にとって全く大切でも何でもなくって、気に掛けるものでも大切にするものでもありゃしないんです。
だから、彼は絶対に私に振り向かない。
彼にとって大切なのは、きっと彼女だけ。あんな風に声を上げるのも、相手が彼女だから。
そうわかっていて、惹かれてしまうのはなぜなのでしょう。
それは、彼が圧倒的に魅力的だというだけでは説明のつかないような——
「……ッ」
ぽす。
長い髪を振り乱して、上から皇女様が落ちてきました。
キリコさんの時のような優雅さはなく、むしろ落下に近い飛び降り方でしたが、それでも彼は受けとめきって見せました。
そんな姿を見て。
私もそんな風に抱き留められてみたい、と願うのは。
どうしようもない我が儘なのでしょうか。
「こ、これで全員ですか」
格好良すぎるものを見た反動でしょうか、どもりながら慌てる村長さんに少し嫌気がさします。まったくあなたはお客人の数も把握していないのですか、と言いたくなりました。
「ええ、全員です」
電話を切った皇子様がそう頷きました。
「はー……しかし、どうしましょう」
そう言いたくなる気持ちはわかります。今も目の前で燃え盛り、宿舎を食い尽くそうとしている炎を見ては、そう言いたくなるのも仕様がありません。
と、ミナが。指で四角を作ったりしながら、首を傾げます。
「何か……」
昼間と同じように大きく大きくそびえたった宿舎。それは、炎に包まれて——
「燃えるときって、こんなんだっけ?」
炎に包まれて、ごうごうと音が鳴って。
目の神経を焼き尽くすような凶暴さは、『燃える』という言葉にふさわしいような気がしますけれど。
「なんか……燃えて無くない?」
ミナが首を傾げました。
いえ、そんなことは無いはずです。だって、私がさっき見た時からずっと炎に包まれているんですから、焼けないはずが無いんです。
「そうだね。炎に『包まれて』はいるけど、これは『焼けてない』。それに『燃えてない』」
ようやく電卓から目を離したタクトさんが、相変わらず冷静で冷徹な口調で述べます。
「これは、炎が囲んでいるだけだ」
確かに炎に触れれば火傷もするだろうけれど、この炎は建物を焼いてはいない。そうタクトさんは言いました。
「魔法で作られたまやかしの炎だ……明日の朝にでもなれば鎮火するだろうね」
すごいですね。電卓を叩いただけでそこまでわかってしまうんですか。
「あ、じゃあ、皇女様が後ろ見てたのって」
「燃えてなかったんですか」
自分の身の回りは燃えていない。炎が迫ってくる気もしない。けれど、建物は確かに炎に包まれていて、みんな逃げろと言っている、としたら——
「すごく、気味が悪い」
そう、ミナが言いました。
「そうだね。僕らは炎が見えた時点で外に出ちゃったから解らないけど。随分ぞくぞくしただろうと思うよ……」
それで、とタクトさんは打って変わって笑顔をうかべました。それは昼間に見たアイドルみたいな彼の表情と同じで、裏と表のような瞬時の変わりように、肌が粟立つかと思いました。
「今夜眠る場所の提供をお願いしたいなっ☆」
語尾に☆の付きそうな口調と表情は、こちらしか知らなければ、信奉してもおかしくないくらいの可愛さでした。
***
何でも村長さんが自分の仕事用の家(接待などで使う、大広間のある家屋です)を貸し出すというので、私は家に帰らされることになりました。元より親に言わずに家を飛び出してきたので、こっそりと戻らなくてはいけません。ちなみにミナはおじいさんのお手伝いをするそうなので、まだ帰れないそうです。
「あれ、サヨ? そんなネックレス持ってたっけ」
別れ際に、ミナが私の胸元を指さしました。
「……うん。ちょっとね」
小瓶型のネックレス。赤い液体が半ばまで入っています。
「ふーん。なんか不気味だねー。血みたいな色」
人の物にそういうコメントをするのはいかがかと思いますが、ミナのこういう口調にも慣れています。軽く受け流して、その場を後にしました。いかんせん私も眠いです。
出てきた時と同じようにこっそりと玄関を通ってこっそりと家に戻り(そう言う時は基本親は気づくものだそうですが)、床に就きました。
今日は何だかもやもやした一日でしたね。こういう時こそ眠ってスッキリさっぱりしたいものですが……最近夢見が悪いので心配です。何も考えずに眠れたらいいのですが。
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