四日目 前半
「うー……朝早いの苦手……」
そんな風に呟くミナを追いかけます。いつもの登校時間よりも三十分以上早いです。思わず口からあくびが零れました。
「珍しいね、サヨがあくびなんて……」
そう言う声もほにゃほにゃしています。ミナはただ早起きが嫌いなだけですが、私は夢見が悪かったのです。……悪かったというより、大変な夢でした。どこか予知夢にも似た、背筋を伸ばさせられるような夢でした。
「授業中に寝そう……」
皇女様たちを宿舎まで迎えに行くので、早く起きて出発しなくてはいけなかったのです。いくら宿舎が私たちの家と学校への道の途中にあるとはいえ、遅刻をするわけにはいかないので家を早く出ました。そのために早く起きたので、眠気が襲ってきているのです。
「おはようございまーす」
挨拶をしつつ、合鍵を使って宿舎のドアを開けます。幾度見ても豪華すぎるシャンデリアが目に飛び込んできて、ついでに鼻を香ばしい匂いがくすぐりました。
「何ですか、この良い匂い!」
単純なミナはそれっぽちで目が覚めたようです、飛び上がって窓際の人の方、匂いの元へ走って行きました。
「
窓辺に立って居た人——ショウさんはミナと私にコップの中身を見せてくれました。真っ黒で少し怪しかったですが、確かに匂いはそこからのようです。
「はア。他の皆さんは?」
私は別に飲み物に興味はありません。
「自室だと思いますよ。呼んできましょう」
ショウさんはコップに残っていた珈琲を飲み干すと、個室の方へ歩いていきました。
一階は男性の皆さんが使っていると聞いています。連れてきてくださるのでしょうか。
「うわー……珈琲何て初めて見たよー。もしかして、皇府だと普通なのかなあ」
不思議そうにミナが呟きます。私も同意見でしたが、わざわざ同意を示すのに気は進まず、
「二階にも誰かいるよね……探しに行く?」
と提案をしました。
「あー、そうだね! いこ!」
細かいことは気にせず、なおかつ気さくで明るいという素晴らしいパーソナリティの持ち主であるミナは、私の同意が得られなかったことなど気にせず、軽々と階段を上がり、私もその後ろに続きました。一階が男性という事は、二階は女性の皆さんが使っているのでしょう。
「おはようございます」
ノックをして、一番手前の部屋のドアを開けます。見た目とは裏腹に、ドアは簡単に開きました。もっと重そうでしたが、もしかして木材をケチっているんでしょうか。
「あら。迎えに来てくださったんですか、二人とも」
階段のすぐそばの部屋に居たのは、紫色の髪をしたお姉さんでした。名前は確かリオンさんと仰いましたか。
「私は年が上なので、今日は授業を受けないんですよ。一足先に村長さんとお話することになっています」
そんな風に説明をしてくださいます。何でも、今年で十七歳なのだそうです。
「リンメルではもう学校に行かない年だねー」
地方なもので、九年生までしか学年がありませんから。それでも学問を続けたければ皇府に行くしかありません。
「そうなんですか? ……格差ですね」
是正するべきでしょう。
「隣の部屋に姉が居るんですが、寝起きで機嫌が悪いので寄らない方が良いと思います。姉も学校には行きませんのでご安心を」
「サヨも寝起きは悪いよねー」
去年の宿泊学習の時すごかった、とミナが要らないことを言います。確かに私は、朝、一遍では起きられませんが、それほど悪いわけではありません。
「多分、あなたたちの想像しているよりだいぶすごいですよ……」
やや蒼褪めた感のある表情でリオンさんは言いました。そこまでならむしろ気になりますが、下手に突っついて蛇が飛び出しては恐ろしいので、向かいの部屋のドアをノックしました。すると、
「ああ待ってください!」
奇麗な声がして、ばたばたと音がした後に、水色の髪がドアの端からはみ出ました。
「迎えに来てくださったんですね、ありがとうございます。あと五分で着替えますので待っていてください」
少し早口にそれだけ言って、澄んだ水色の髪の人——アンリさんは扉を閉じました。どうやらまだ着替えが終わっていなかったようです。これは失礼しました。
「あれ、アンリさんって私たちと同い年?」
「うん、多分」
先ほど聞いたように、リオンさんとそのお姉さんのミレーユさんが私たちよりも年上で、それぞれ十七歳と二十一歳。昨日一日で急にミナと仲良くなっていたクリスさんが、私たちよりも一つ年下の十三歳。御一行の女性陣の中からは四人が私たちの中学校を訪れるはずです。
「あーなるほど。うちのクラス人増えるねー」
小さな学校なのでクラスは一つしかありません。
適当に相槌を打って、一つ飛ばして部屋のドアをノックします。
「開いて居るわ」
鋭利な声が響きました。一昨日市場で格好良かったキリコさんです。
「すぐに降りるわね」
私たちがドアを開けるまでもなく、そんな声が聞こえ、ドアが内側に開きました。
皇立学校の制服でしょうか、襟の大きい、スカーフの付いた服に身を包んだキリコさんがでてきます。ウルフカットの髪が良く似合います。
「下に降りて待って居るわ」
全く無駄のない口調でそう私たちに告げて、静かに階段を下りて行きました。その後ろ姿を見守っていると、手前のドアが開いて、キリコさんとは違う制服を着たアンリさんが申し訳なさそうに降りて行きました。
「あれ……? 同じ学校だよね」
そうだと思います。しかし、キリコさんは先ほど言ったように、襟の大きい見慣れない服、アンリさんは私たちの制服と似たようなブレザーでした。一体何故でしょう。
「あれじゃないかしら、キリコさんはもともと地球出身って言っていたから——」
私が愚にもつかない推測を述べようとすると、背中の後ろでドアが勢い良く開く音がしました。
「きゃーっ! 寝坊しましたーっ!」
元気よくそんな風に叫ぶのは、クリスさんでした。アンリさんと同じデザインの制服に身を包んで、少し寝癖の付いた金色のベリーショートの髪を振ります。
「まだ大丈夫ですよ。私たちも早く来ましたし」
私がそうフォローすると、
「あれ? そうですか? ありがとうございますっ!」
そんな風に笑ってくれました。
「先に降りてますねーっ!」
風のように廊下を駆け抜けて、靴下を履いた足で軽やかに階段を下りて行きます。私なら転げ落ちてしまいそうですが、器用ですね。
「……そしたら」
ミナが少し、緊張した顔をしました。
一番奥、二階の中で一番狭い部屋。
多分今言うことではないんですけれど。
「ここだったら、逃げ場がない」
階段から何が上がってきても。追い詰められて、逃げられない。
「皇女様が使うような部屋じゃないよね」
それは危機管理能力の無さか、それとも見上げた自己犠牲の精神なのか。
どうにも私はそれを肯定的に捉えたくはありませんでした。
——コンコン。
「おはようございます」
初めて、私がドアを叩いて。声を掛けて、ノブを回すと。
「おはよう」
キリコさんと同じ服に身を包んだ皇女様が、長い黒髪をなびかせて、立って居ました。
「わー、びっくりした」
クリスが胸を撫で下ろす仕草をしました。私も同意見です。だって、ドアを開けたら部屋の真ん中にいたんですもの。
「ごめんなさい。でも、段々こっちに来てるなって思ったら、出て行くのも何だか」
まあ、それもそうでしょう。
照れ笑いのような表情を浮かべる皇女様と一緒に部屋を出て、階下に向かいました。どんなことを話題にしていいのかわからず、三人とも黙ったままでした。
一階のロビーに着くと、そこには既に私たちと、それから学校を訪問しない皆さん以外の全員が集まっていました。最後に来た形になってしまい、少し気まずいです。
男性の皆さんは全員ブレザーを着用なさっていました。……今は真夏ですが、暑くないのでしょうか。私たち村の子供には制服という文化がないのでわかりませんね。そう言うのは物語や漫画の中のお話です。
「あれ? タクトたちは『学ラン』着ないの?」
後ろから皇女様がそんな風に言いました。
一昨日、モーリスさんと楽しげにお話しなさっていた灰色髪の可愛い
「むしろ、リサたちは何で『セーラー』にしたのさ」
そんな風に問いかける声は爽やか一色で、まさに『アイドル』という言葉が似合う方でした。
「うわー……ああいう人が居たら、文化祭とか楽しそう」
ミナがそう呟きます。確かに、出店に来てくれるだけでテンションが上がってしまいますね。
「んー? 気分、かな」
皇女様が(そういえばリサさんと仰いました)そう答えて、それで会話は終わりました。残念ですね。若干何故だか知りたかったのです。
「それじゃ、行きましょっか! 『学校』!」
少しの沈黙を破るようにミナがそう音頭を取って、私たちは宿舎を出発しました。
***
「おはようございます、シャギールさん、ウェスタ―さん。それと皆さん」
皆さん、と担任は一行のことを一言でまとめてしまいました。
「おはようございまーす」
ミナがいつものようにそう挨拶をして(元気です)、私とそれから後ろの皆さんが頭を下げました。クリスさんとは一つ下の学年のクラスのところで別れたところです。一つ下の学年でも随分物珍しそうな視線が飛び交っていましたし、案の定私たちにもすごい量の視線が向けられます。クラスの人数はいつもと変わらないはずなのに、日直のスピーチをする時よりも視線の熱量が圧倒的に高いです。
「皇女様、ってやっぱすごいね」
一体誰が皇女様なのだろう、と言いたげに後ろの皆さんを巡る視線はとどまるところを知りません。当の本人はと言えば、ユーリさんを傍らに(これは歩いているときもずっとそうでした)、にっこりと笑顔を浮かべて教室を見渡しています。真顔よりはいいと思いますが、ずっと笑顔で居るのも相当ですね。
「そうしたら、自己紹介をお願いしてもいいですか? シャギールさんとウェスタ―さんは席についてください」
担任にそう促されて、私たちはいつもの席に座ります。普段は下手に先輩風を吹かせていてうざったいですが、こういう時に慌てないあたり、ベテランの先生が担任で良かったなと思います。
「——こんにちは。あたしがエリザベスです」
そんな言葉で始まる自己紹介に皆がざわついて、全部わかっている私は黙っていました。それは少し離れた席に座って居るミナも同じようでした。
総勢八人の自己紹介が終わって(ほぼ聞いていませんでした)、後ろに出来た臨時の席に皆さんが座りました。一番後ろの席であるわたしの後ろには、丁度ユーリさんが座って居ます。斜め後ろに皇女様も座って居ますが、それを除けば最高です。
後ろに好きな人を臨むよりも、後ろに好きな人の気配を感じる方がずうっと素敵ですよ。
*** 一時間目:史学
夏の間は暑いので学校が半分しかない、そう説明すると皇女様は驚いたようでした。私の隣の席に座った男子は、気まずかったようで友達の席に避難してしまい、私は仕方がなく(ユーリさんと喋れるのは嬉しいですが)後ろの二人と話しているのです。
「果樹園など、人手が必要な事をしているお家が多いですからね。何でもない日が休みになることが多いんです。その分夏にツケが来るっていうか」
この辺は都会の皆さんにはない感覚でしょう。家の仕事のために休まなければならない、というのは。
「あーなるほどー。あたしも書類仕事で休んだりするしねー」
皇族だからって手続きが多いんだよー、と皇女様が愚痴りました。
「私は家が果樹園とかそういうわけではないので、単に学校をさぼっているような感覚なのですけれど」
私の父は——
言おうとして言葉を止めました。
わざわざ喋ることでもないでしょう。
「一時間目は史学です。皇族についてをやるそうなので、もしかしたら知っていることかもしれませんが」
全く、何故そんなテーマを選んだのだ。もしかしたら不敬罪になるかもしれない、とは考えないのか、あの先生は。
「あはは、そうなの? だってさ、ユーリ」
「何故俺に振る……? そりゃ興味深いな」
こう言っておけばいいのか、というような調子でユーリさんが首を傾げます。いやに色っぽいですね……。
「あ、あれ? サヨちゃん」
私のことをそんな風に呼ばないでください、馴れ馴れしい。
皇女様が指さしたのは、史学の先生でした。
自慢していたウェーブの髪に、黒縁の眼鏡。お洒落を頑張っているようでどこかずれている、私たちより一回りばかり年上の男の先生です。
「こんにちはー」
いつもは着ないフォーマルな衣装を着ています。……見え見えの魂胆が丸見えですよ。どうせ皇女様に気に入られたいとでも思っているんでしょう。だからあなたが舐められているともわかっていないんでしょうね。
「今日は皇族についてをやりますよ」
普段より上ずった声が気持ち悪いですが、これも試験範囲になるというのできちんと聞きましょう。
「——それからずっと皇国はあちらと戦争を続けているんです」
神話みたいな馬鹿げた『皇族生誕』の話が終わったと思ったら、今度は『あちら側』の侮辱のお話ですか。
『あちら側』というのは、私たちの国がずうっと戦争を続けている相手のことです。私たちの星に名前はありますが、あちらには名前すらもありません。そのことが、向こうが私たちよりも圧倒的に劣った野蛮な民族であることの証明だというのです。幾らか馬鹿げた話だと思いますが、私が生まれてからずっと言われてきたことなのです。
「皇族はその戦いを先陣を切って続け、偉大な戦績を……」
違うじゃん、と小さな声が後ろから聞こえました。少しだけ目を遣ります。他にもいる馬鹿な先生たちと同様、この教師も私語には厳しいのです。それでいて大した授業をしないというのだから、本当に……。
「本当にそんなに勝ち続けてんだったら、今頃戦争なんて終わってるよう」
今度は間違いなく皇女様の声でした。
「偉大な戦績を残し、今では相手の軍を向こうの星に追い詰めています」
本当にこんなのが試験範囲なのですか? 私は嫌です。
「……」
ぽきり、と芯が折れる音がしました。
後ろを見やると、皇女様が筆記用具を置いて教師を見ていました。
「あのさ、サヨちゃん。史学って、いっつもこんなこと教えてるの?」
「いえ……これは常識の範囲ではありますが、いつもはもっと普通の」
歴史を教えていますよ、と言おうとすると。
「ウェスタ―」
私が名前を呼ばれました。
教師が近づいてきます。
ああ、とため息をついて前を向きました。
「はい」
「皇女様の勉強の邪魔をするな」
すみません、と言おうとした時です。
「先生は、いつもこんな馬鹿げたことをやっていらっしゃるんですか?」
皇女様がそう言い放ちました。
教室が凍り付きます。確かに皆『今日は馬鹿げたことをやるな』と思っていたはずですが、それを口に出す人は居ませんでした。それはつまり、『口を出せば酷いことになる』と解っていたからで——
「……!」
そんなことを言えばこの教師の頭に血が上るのは、誰もが知っている事でした。
ああやばい、と誰もがわかっている中で、世界がどろついたように遅く感じて、教師の癇癪が爆発しそうになるのを黙って見ていることしかできませんでした。
「手を出せばどうなるかくらいわかっているよな」
静かに響いたのは、ユーリさんの声でした。
我に返ったように教師が動きを止め、明らかに怒りを宿したままに教壇へ戻りました。
「えー、そして——」
何事もなかったかのように、とは言えませんが、せいぜい『少ししかなかったかのように』という程度で授業は続きました。
「さんきゅう、ユーリ」
「下手にちょっかいを出すな」
そんな風なやり取りが一度されただけで、後ろからはもう何も聞こえてきませんでした。
教師が後ろを向いたタイミングで私も後ろを見てみると、皇女様はノートを取ろうとすらしていませんでした。真っ白なノートの上で手遊びをしていました。普段だったら職員室に戻るくらいはしているところでしたが、さすがに懲りたのか、教師も何も言いませんでした。
*** 二時間目:道徳
「全くお前は、何故ああいうことを」
授業が終わってからのユーリさんのそんな言葉で、皇女様は普段からああいうことをしているのだとわかりました。
「私もはらはらしました」
「ごめんねー。でも、ちょっとばかし美化しすぎだったからさあ」
それは私も思います。特に前半の神話部分。
「神話を史学で扱っちゃあだめだよねぇ」
あれは本当にあったかどうかわからないことだからさ、と皇女様は言いました。
「そうですね」
ユーリさんは何も言いません。どうやら無口な人なんだな、とわかりました。そんなところが素敵です。
他の皆さんはどうしているだろう、と教室を見渡します。
アンリさんは前の女子とお話し中(楽しそうです)、サルフィさんもその輪に加わっています。キリコさんは読書中でした。一体何の本を読んでいるんでしょう。ショウさんはわざわざ席を立ってクラスで一番背の高い男子と背比べ(少しだけショウさんの方が低いです)、タクトさんはうちのトップグループの女子たちに笑顔を振りまいています。カルさんはと言えば、よくわからないグッズを机の上にのせてお喋りをしていました。……物騒ですね。
「道徳ってさ、なんか教材を読んだりするの?」
「……? 何ですか、それ?」
「え?」
教材? 道徳を学べるような教材をわざわざ用意してくださるんですか? 誰が?
「いや、皇立学校にはそういうの無くてさ」
地球ではそうだったんだけど、と皇女様が言いました。
「歴史上のことについて、それが倫理的にどうかを議論したりします」
随分重いですよね。私はあまり好きではありません。
「へえ……そりゃ、随分と」
「微妙だな。下手したら当時の政治を批判することになっちまうかもしれねー」
その通りです。ユーリさんは聡明ですね。
「詳しくは受けてみて下さいよ」
丁度先生が入ってきたのでそう言って前を向きます。わざわざ道徳専門の教師を雇っているのですよ、この学校は。
「えー……」
皇女様が頭を抱えて唸っています。
ワークシートに印字された文字は『果たして戦争を続けるべきか』。
「これ陰謀かなー……」
そんなわけがない、と隣のユーリさんが窘めました。この場合の隣とは、皇女様の隣ではなく私の隣という意味です。机を移動させて四角の形にしているので、私の向かいにいつも私の隣の男の子、私の隣にユーリさんという形になります。
「これ、あたしの意見が国の意見になっちゃったりしないよねー」
スクープんなっちゃうよう、と皇女様がぼやきます。名前すらも書き込んでいないワークシートはまっさらでした。
「ねー、シードくん。どう思う?」
皇女様はわざわざ私の向かいの男の子に声を掛けました。
「え」
戸惑った挙句、彼は
「俺は、戦争には行きたくないです」
と言いました。
皇女様は、少しの間彼を見つめて、
「そっか」
と呟きました。
ありがとう、とまるで独り言のように言って。
皇女様はワークシートに幾つかの文字を連ねました。私が見たことのない筆記用具を使って、滅多に居ない右利きの彼女は、さらさらと言葉を紡ぎました。私には、角度が邪魔してその言葉が見えませんでした。
彼女がそんな風にワークシートに顔を埋めて。喋れなくなった私も、どうでもいいようなことを、少しだけ書きました。
『誰かが悲しむのなら戦争は止めた方が良い』何て、誰にでも言えることを書きました。
回収するときに見た、ユーリさんのワークシートには。
『人を殺す覚悟が無いのなら戦争など止めるべきだ』と書かれていました。
*** 三時間目:体育
一体何を書いたのか、皇女様に訊きたくもありました。しかし、それはどうにも不謹慎で無遠慮な気がしてできず、次が体育という事もあって有耶無耶になってしまいました。
運動着に着替えて外に出ると、眩しいほどの光が照りつけました。さっき日焼け止めを塗ってよかったな、と思います。
「私は苦手だなー、ソフトボール」
ミナが整列して私に囁きます。本当は同じチームではないのに、皇女様の御一行の皆様とひとまとめにされて、みんなで一つのチームです。
「私は大好きです!」
その関係で、今日は七年生と合同授業という事で、クリスさんとも同じチームです。こちらは楽しみなようで、長袖しか持ってこなかったという運動着の袖をまくって居ます。
「私は見ての通り頭脳派だから期待しないでね」
キリコさんがそんな風に笑いました。
「圧倒的に人数が少ないですけれど」
これで回すんですか、とアンリさんが当然の疑問を投げかけます。
「いつもこのくらいですよ。六人くらいごとに分けて対戦です」
というのも、クラスの女子が十七人だからなんですけれどね。対戦するのが二チーム、一チームが審判です。今回は七年生と合同なので、全員で三十二人、それに皆さんを加えて三十六人というわけですね。
「あそこのチームの人、睨んでくるね」
皇女様が控えめに指したのは、レオナのチームでした。レオナとその取り巻き二人と、無理やりくっつけられた七年生の女子三人で構成されたチームです。七年生の三人が可哀相で仕方ありません。
「レオナは気にしない方が良いですよ」
八方位に対して尖っているような娘です。
「それじゃー、チームごとに準備運動してー」
運動場の端から先生が叫びました。
「じゃあ、いつもやっているのでやりまーす」
ミナがそう言いました。そうやって温度を取ってくれると助かります。
……。
攻守が交代して三回目の裏(地球から輸入されたというスポーツのルールはよくわかりません、何故裏なんです?)、何故だかぼろ勝ちでした。
今後続けなくてもいいのではないか、と思わせられるほどに勝ちを重ねています。私はもう抜けても構わないのではありませんか?
「すっごーい、クリスちゃんまたホームラン!」
あなたは毎回三振ですね、皇女様。
そう、クリスさんは打席に入るたびにホームランを打つのです。一体何をどうしたらそこまで飛ぶのかさっぱりです。
「帰って来ました!」
走ってくるりとベースを回り、そう笑顔を輝かせたクリスさんでした。対戦相手であるレオナがこちらを睨んでいます。全く、くじ引きとは因果なものですね。てっきり皇女様一人を敵視しているものだと思っていましたが、『皇女様がいるこのチーム』を丸ごと敵視している、と言うわけですか。
「自分が王様じゃないと気が済まないから困るんだよねー、レオナって」
オブラートに包まずにミナが言いました。本人に聞かれたら大ごとです。
「さっきホームランを打っていた方ですね」
アンリさんがレオナをまっすぐにバットで指し示します。次の打席に入るからと言ってそれを振り回さないでください、危ないです。
「今回初めてやりましたが……原理さえ分かればこんなのは簡単です。あなたが王とは限らないと見せて差し上げましょう」
どうしてそんな風に逆なですることを!
「さっきはどうも」
試合の後、レオナが一人でこちらにやってきました。端に座って居た私には目もくれず、並びの真ん中にいる皇女様の前に立ちふさがります。
「最もあなたは役に立ってませんでしたけど」
それについてはフォローする宛が見当たりません。だって、皇女様一回も当てられてませんもの……。
「言っておくけど、それっぽちであなたは」
何とも負け犬らしくってはっきりしない馬鹿らしい台詞ですね、と思って聞いて居れば、皇女様は
「そこをどいてほしい。見えない」
と言いました。
端的に要求だけを並べた言葉は、決してぶっきらぼうでなく、ただただ相手を相手にしていない、という印象を与えました。
「見えない、って何が」
そう歯を噛みしめたところで、レオナは後ろからの歓声に気づいたようでした。
「なに、あれ」
もちろんイカサマをしたわけではないんでしょう。けれど、それを疑うほどでした。
一つ前の打席、カルさんが打った球。
変化球という言葉は、投げた方にだけ形容される言葉であるはずなのに。
彼の打った球は、ふわふわとうねりながら飛んでいきました。
「嘘……」
もちろんユーリさんはそこそこに良い球を打ち。ショウさんはバント、サルフィさんは大きく上がったフライ、だけれど盗られずに。
「何て言う運動神経をしてるのよ」
レオナがそう言うのもわかります。それから、それがどうした、と思う気持ちも。
「だから何だって言うのよ、それとあんたは」
レオナは何の関係もない、とでも言いたげな顔をしたけれど。
「あたしは強くないし、運動神経だって良くないけどね。皆がすごいから、あたしを助けてくれる。だから、あたしは十分なんだ」
そう静かに言った皇女様を憎々しげに睨みつけて、レオナは去って行きました。
返す言葉もなく、返せる言葉もなかったからなのでしょう。
格好悪いな、と思わなくもありません。しかし、私も一歩間違っていたらああだったのでしょう、という予測は簡単に立ちます。
だから、何も言えませんでした。
ミナのように、レオナの後ろ姿に舌を出すことすらも出来ませんでした。
*** 四時間目:数学
「それじゃ、これを解いていきましょう」
そんな言葉が数学のおじいさん——間違えました、先生から放たれて間もなく、後ろの席で声がしました。
「ユーリ、これどうやって解くの」
私もユーリさんに教わりたいですよ。しかし、授業中に喋る勇気もなければ後ろを向くほどフレンドリーでもない陰キャの私は前を向いてノートに目を落としていました。おじいさんは喋りながら寝てるんじゃないかと思うほどのスピードで板書をしています。
「知らねーよ、ショウにでも訊け」
邪険にされた皇女様は不満げな空気を駄々洩れにしながら、反対隣り——ショウさんの方に身を乗り出しました。
「へーいへいへーい。教えてよーん」
随分親しげですね。
「あー、これは……」
背中で聞きながら、勝手に納得します。実のところ私もわかっていなかった、というお話ですね。
「おーすごい! ショウが先生になったらいいんじゃないの?」
馬鹿なことを言うなよ、何て窘める声。
「それではね。プリントを配布するので、各自解いてください。教え合ったり、班にしても結構ですよ」
そうそう、これがこの先生の授業の醍醐味なのです。教え合い、だとか話し合い、という名目でお話ができるのです。もちろん先生もわたしたちが真面目にやっていないことは承知なのでしょう、きっと。
配布されたプリントに一応目を通します。今日もいつも通り解りません。
「サーヨちゃんっ」
後ろから声を掛けられ、促されて机をくっつけます。
「わかるー?」
「いえ、さっぱりです」
シードも頷いています。すると、皇女様は身を乗り出して、
「えっとねー、これはこれでー」
ありがたく傾聴します。話が行ったり来たりして、とても分かりやすいとは言えませんが、確実に解ってきてはいます。
一応話が答えにまでたどり着いたところで、私が答えを導き出すと、皇女様は
「さっきショウに教えてもらったからね!」
自慢気に言いますね。
「すごいんだよ、ショウ」
す、と後ろを向いて、一人でプリントにペンを走らせていたショウさんの肩を叩きます。
「5163×681は?」
「3516003」
……。驚きです。
頭の中にコンピュータがあるんでしょうか。
「ねー?」
満足げに皇女様が言いました。
「お前がすごい訳じゃないけどな」
肩を竦めつつ、ユーリさんがそう言って、自力で解いたプリントを突ついて見せました。
「でも、ショウやみんなが力を貸してくれるんだからいいんだよ!」
そう膨れてみせた皇女様は不本意ながら可愛らしく。
力を貸してくれる皆様もいなく、そういう人たちを集める求心力もない私は、皇女様に教えてもらった解法の連ねられたプリントを見て、少し苦い気持ちで居るのでした。
***
「それじゃあ、今日は。学級委員、ごーれー!」
担任がそんな風に声を上げて、学級委員であるところのレオナが
「きりーつ」
れい。
ぺこり。
このまま村長さんのおうち(ミナの家とは違うのです)に向かうという御一行とは別れて、ミナと二人、家に向かいます。私たちと同じく学校帰りの子供たちがあちこちにいます。今日もきっと両親は家にいないんでしょう。
「お父さんお母さん、今日もいないの?」
「最近は泊まっているかもしれない。
私は実質一人暮らしです。
「明日は普通に学校だよね? 夜はお祭りの準備だけど」
お祭りの準備、というのは、リンメルで毎年やっている夏祭りの準備のことです。一週間ほど前から進められていました。ここ数日は皇女様たちのご案内があったので出席していませんでしたが、明日は村長さんやそのほか偉い人たちと皇女様たちが過ごすというので、私たちは暇なのです。
「うん。久しぶりな気がする」
「ねー。けっこう楽しかったけど」
今まで見てこなかったもの、知らなかったもの。そういうものがたくさん見れました。
……でも。
世界には知らない方が良いことも、たくさん。
「なんか疲れたねー」
「今日は休もうね」
えへへ、と二人で笑い合って。
同時にドアを開けて、家に入りました。
二人でいるときは、笑って居れたけど。一人になると、どうしてもこころが濁ってきてしまいます。
比較しても意味の無いこと。
考えても詮の無いこと。
そうわかってはいるけれど、どうしても考えるのをやめることはできませんでした。
一体私はどうしたら——
恋心は、炎に似ているから。
薪をくべればくべるほど、熱くなって行きます。
燃え上れば上がるほど、熱くなって行きます。
見たくないものを、燃やし尽くして、隠してしまいます。
そして。
私は、見たくないものを見ないために、目を瞑りました。まるで、夢でも見ているかのように。
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