2-67:嬉しい知らせ

 村に夏がやって来てから、空は少し早起きになった。朝起きてから、朝ご飯の前に幸生と共に庭に出て野菜の収穫をするためだ。

 空は毎日幸生たちより少し遅い時間に目を覚まし、愛用の甚平を着て顔を洗って外に出る。空が成長したせいか、甚平は去年より少し小さく感じるようになった。雪乃が洗い替えを含めて新調してくれるらしいので、空はそれを楽しみにしていた。

「とまとさんたち、きょうもつやつやでかわいいねぇ」

 畑に出た空は、大抵まずトマトたちに会いに行く。大きくなった実を確かめて空が褒めると、トマトたちが我先にと赤くなる。トマトたちの一部はどうも最近、空に褒めて収穫してもらうのを楽しみにしている節があるのだ。

 空が褒めても赤くならないトマトは、後でこっそりと行われる、幸生の辿々しい褒め言葉を待っているものたちだ。幸生が褒めたトマトは甘みがぐっと強くて美味しい。空が褒めたトマトらしい酸味のあるものと合わせてトマトソースにすると絶品で、最近は何かと交換で分けてほしいと引き合いも多いらしい。

「トマトたちは、幸生派と空派で二分しておるの。最近はヤナが褒めてもなかなか赤くならないのだぞ」

「でも、きゅうりはヤナちゃんのほうがすきなんじゃない?」

 キュウリはヤナと世間話をするのが好きなようで、しばらく天気の話などをしているだけでも大量のキュウリを分けてくれる。

 空ではあまり遊び相手にならないと思っているのか、話しかけても反応がいまいち鈍いのだ。

「キュウリとも長い付き合いだからの。しかし相変わらず、野菜たちはどれもそれなりに面倒くさいのだぞ」

「うん……」

 ナスの枝を真剣に見つめ光学迷彩で隠れている実を探しながら、空は全くだと頷いた。

 それぞれに個性的で確かに面倒くさいが、しかしそれも一つの遊びだと思えば、結構楽しい。

「みんながきたら、いっしょになつやさい、とりたいなぁ」

「お、それは楽しそうなのだぞ。誰が一番早くナスが見つけられるかを競うのもいいな」

「ね! あとね、すいかもつれてってほしい!」

 空がそう言うとヤナはにやりと面白そうな笑みを浮かべた。

「皆が驚くところを見るのかの?」

「えへへ……あとね、ぼくがちゃんとできるとこも、みてもらう!」

「うむ、それも良いのだぞ。楽しみだな、空」

「うん!」

 トマトを採り、ナスを探し、キュウリを運ぶのを手伝って、空の朝のお手伝いは終わりだ。それ以外の野菜は少々難しいものが多いので幸生やヤナが世話をしている。

「じぃじ、なにかはこぶのある?」

「ああ……ならこのピーマンを持って行ってくれ」

「はぁい」

 空は幸生からピーマンが盛られた籠を受け取った。籠から大きく育ったピーマンを手に取ってくるりと回す。艶やかで鮮やかな緑色だ。

「どこもあかくない……じぃじ、すごぉい!」

「……うむ」

 幸生は孫のすごいを貰い、ハサミを片手にそっと天を仰いだ。

 ピーマンは攻撃したり逃げ出したりはしないが、ものすごく気が短い。収穫するときに手に取ってから刈り取るまでに少しでもモタつくとイライラしてカッと赤くなる。そうするとシャキシャキした歯ごたえが失われ、苦みが強くなった上に僅かだが辛くなってしまうのだ。苦くて辛いとなると、さすがに空は食べられない。

 まだ大きなハサミを扱えない空ではすぐに赤くしてしまうので収穫が難しい。だが幸生に掛かればピーマンは苛つく間もなく、緑のまま瞬時に籠の中に収まった。

「空はピーマンは好きか?」

「うん、ちょっとにがいけど、でもすき! おにくつめて、こいあじにしてもらったらおいしいよ!」

 子供たちに嫌われることの多いピーマンだが、空は美味しく食べられるよう料理してもらえば全然平気だ。肉詰めにしてケチャップ味にしたり、味の濃い炒め物にしてもらえば残さず食べる。シャキシャキした食感も好みだった。

「それなら良い。空は、何でも食べて偉いな」

「えへへ……じぃじのおやさい、おいしいもん!」

 ピーマンの籠を抱きしめて空はにっこりと笑う。幸生はその笑顔と言葉に、またしばらく天を仰いだ。


「ただいまー」

「あ、ばぁばだ! おかえり!」

 新鮮な野菜のサラダと作り置きのおかずで朝食を終えた頃、今朝は夜明け前から出かけていた雪乃が帰ってきた。

 空はその声を聞いた途端ぱっと立ち上がり、玄関に雪乃を迎えに走った。

「ばぁば、おかえりなさい! ね、あかちゃんは? アキちゃんのきょうだい、うまれた?」

 雪乃は今朝、矢田家の出産を手伝いに出かけていたのだ。矢継ぎ早に問いかける空に、雪乃はにっこりと笑顔で頷いた。

「ええ、無事に生まれたわよ。可愛い女の子!」

「アキちゃんのいもうとだ!」

 空はそれを我がことのように喜び、ピョンピョンとその場で何度も跳びはねた。

「それは何よりだぞ。母子ともに健康かの?」

「ええ、とっても。外までよく響く声で泣いてたわ」

「よかったぁ!」

「もうしばらくして、色々落ち着いたら赤ちゃんに会いに行きましょうね」

「うん!」

 空は元気よく頷き、きっと同じように喜んでいるだろう明良のことを思う。

「はやくいっしょに、あそべるといいな!」

 少々気が早すぎるが、その日が今からとても楽しみだった。


 それから一週間ほど後、米田家に久しぶりに明良が遊びにやってきた。

「アキちゃん、いもうとおめでとう!」

「うん、ありがと! おれ、すっごいうれしいんだー!」

 明良は妹が生まれてからというもの保育所以外はずっと妹に張り付いていたため、遊びに行けとウメと共に外に出されたらしい。

「久しぶりの赤ちゃん、可愛くてウメも幸せだよぅ。明良とよく似てるんだよぅ!」

 ウメちゃんもものすごくご機嫌だ。ヤナと空はそんな二人の様子にくすりと笑いを零した。

「赤子は元気か?」

「すっごくげんきだよ! すごいんだ、こーんなちっちゃいのに、そとまでなきごえがひびいて、くさがぐんぐんのびるんだよ!」

「えっ!?」

 何それ、と空が驚くと、ウメがあははと明るく笑う。

「多分、美枝に似たんだよぅ。これで次の植物との交渉役も安泰だよぅ」

 どうやら新しい矢田家の一員は、美枝の能力を受け継いだ可能性が高いらしい。一家はそりゃあ喜んで皆で庭の草むしりをしているとウメは笑って言った。

「あかちゃんのなまえ、なんていうの?」

「サクラだよ!」

「花が咲くの咲に、良いと書いて咲良になったよぅ」

「かわいいなまえだね!」

 空が素直にそう言うと、明良もウメも嬉しそうに笑顔で頷いた。二人共、新しい家族が可愛く、嬉しくてたまらないと顔に書いてあるようだ。

「そうだ、ウメちゃん。さっき夏野菜の焼き浸しを沢山作ったのよ。良かったら帰りに貰っていってちょうだいな。皆忙しいでしょう」

「わぁ、ありがとう! 助かるよぅ。茜はまだ寝ているし、美枝も秀明も夏場は忙しくてなかなか大変なんだよぅ。うちの畑の野菜は美枝に放っておかれてちょっと拗ね気味だよぅ」

「手伝いが必要なら、いつでも言ってちょうだいね」

 雪乃はお裾分けするおかずを用意しに、ウメと共に台所へと姿を消した。空は明良を誘って庭に出ることにした。


 明良は米田家の裏庭に出ると、キョロキョロと辺りを見回した。

「そら、みけいしさがしてもいい? かわいいのさがして、サクラにやろうとおもって」

「もちろんいいよ!」

「身化石か? まだ赤子には早いのではないか? 多分目も見えておらぬぞ?」

「んー、そうかなぁ。でも、かわいいのがあったら、かざってるだけでもいいかなって」

 明良は妹に何かしてやりたくて仕方ないらしい。空は一緒に、女の子が喜びそうな可愛い身化石を探すことにした。

「ユイちゃんは、ぴんくのとかすきだよね。あと、みずいろとか、きいろっぽいのとか」

「ぴんくのって、はながさいたりするんだよなー。そういうのがいいかなぁ」

 女の子である結衣を基準に考えれば、多分石から孵っても逃げ出したりせず、花が咲くような物が良いような気がする。もっとも、生まれたての赤ん坊がそんなことを気にするかどうかはわからないのだが。

 とりあえず空と明良は、草木の間や畑の周りを見回して、女の子の好きそうな身化石を探してみた。

「これとかどうかな。ぴんくいろで、まるいの。ユイならかわいいっていうんじゃないかな」

「こっちのおれんじいろは? これもかわいいよ」

「ふむ……どちらも可愛いが、空の石が転がりにくくて飾りやすそうなのだぞ」

 二人が見つけた石をそれぞれ見比べ、ヤナは空が拾った物が良さそうだと指さした。

 明良が見つけた石は三分の二ほどが可愛いピンク色をしていたが、まん丸で転がりやすそうな形をしている。空が見つけた石は半分ほどがオレンジ色に透き通り、角の取れた三角錐のような形をしていて、確かに飾りやすそうだ。

 明良はそれらを見比べ、空の石にする、と頷いた。

「じゃあこれ、もらっていい?」

「うん!」

「明良、それは赤子の手の届かぬ高いところや、少し離れた所に飾るのだぞ?」

 赤ん坊が動き出していたずらをするのはまだ当分先だろうが、念のためヤナはそう提案しておいた。明良はそれに素直に頷いて、身化石を大切そうにポケットにしまい込む。

「アキちゃんも、なんだかおにいちゃんだね」

「そう? ならうれしいな。おれ、がんばって、いいにいちゃんになるんだ!」

 明良はずっと兄弟が欲しくて仕方なかったらしい。空を弟のように可愛がって遊んでくれるのも、そういう気持ちから来ていたのだろう。

 空は明良が優しくしてくれたように、自分も明良の妹に優しくしたかった。

「ぼくも、アキちゃんのつぎくらいに、いいおにいちゃんになれるといいなぁ」

「なれるよ! そしたら、みんなでいっしょにあそぼうな!」

「うん! あ、そうだ。あんね、ぼくのかぞく、もうすぐまたかえってくるんだよ!」

 あと少ししたら帰って来るのだと空が言うと、明良は嬉しそうに笑みを浮かべた。

「ほんと? そしたら、またいっしょにあそべるな! なにしてあそぶ?」

 どうやら明良も空の兄弟たちとの遊びを楽しく思ってくれていたらしい。空はそれが嬉しくて、ずっと考えていたことを明良に語った。

「んっとね、ぼく、かわあそびしたい! あと、すいかもとりにいきたい!」

「かわあそびいいな! またみずでっぽうやろう! あ、そういえば、そらのにいちゃん、カブトムシとりたいっていってなかったっけ」

「うぇ……い、いってたかも……」

 出来れば忘れていたかったことを思い出させられて、空は思わず嫌そうな表情を浮かべた。それを見て明良がくすりと笑う。去年の夏にカブトムシに攫われかけてから、空がカブトムシを苦手としているのを知っているのだ。

「おれ、ろくさいになったから、カブトムシとりにいっていいってじいちゃんにいわれてるんだ。タケちゃんたちとか、ユウマもさそって、みんなでいく? ヤナちゃん、どうかな?」

 傍で二人の話を聞いていたヤナに明良が問うと、ヤナはううん、と小さく唸って首を捻った。

「空の兄弟は都会の子供たちだからちと心配なのだぞ……人数も多いしの。その時は幸生か雪乃を連れて行くか……いや、紗雪がおるのだから、大丈夫か?」

「まま、かぶとむしとってた?」

 自分の母が強い事は空ももうよく知っている。しかし普段の明るく優しい紗雪と村の巨大カブトムシが、空の中では上手く結びつかない。ヤナはそんな空の疑問に、笑顔で頷いた。

「そりゃもう、いつも一番立派なのを狙って狩っておったぞ。そういうところは幸生にそっくりなのだぞ」

「そうなんだ……」

「ならあんしんだな!」

「う、うん……」

 どうやら、夏の間の予定に、カブトムシ狩りが加わることになりそうだ。

 空は、その時はフクちゃんに大きくなってもらって、その陰にしっかり隠れていようと考える。

 まだ少々怖いが、頼りになる友達と家族がいれば、きっとカブトムシも敵ではないに違いない。

(……そうだといいなぁ)

 カブトムシのことはひとまず忘れ、空は皆が帰ってくる日を待ち遠しく思いながらふと足元を見下ろした。さっき見つけてそこに置いておいた青い身化石を一つ拾い、しばらく眺めてからそれをすぐ傍の低木の下にそっと隠す。

「もどすの?」

「うん、みんなでいっしょに、またみけいしさがしもするんだ!」

「あ、それもいいな!」

 皆で身化石を拾い、誰のが良い石か比べ合うのは子供たちの定番の遊びだ。

 明良もさっき拾ったピンクの石を、また別の木の下にそっと隠した。

「みんながきたら、またひろおうな!」

「うん!」

 その日はきっと、もうすぐそこだ。

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