2-36:突然の握手会

 沢を少し遡ると、不意に雪乃が上を指さして声を上げた。

「この辺から結界があるわよ」

 その言葉に空は上を見上げる。しかし雪乃の作る結界は透明でじっと目を凝らしても全く見えない。トンネル状になっているはずだと見回してみてもよくわからなかった。

「このさきに、ぜんまいいる?」

「ええ、いっぱい集まってるわ。ほら、水音が聞こえない?」

「みずおと?」

 川の音なら聞こえているが、と空は耳を澄まし、その音の中にバシャバシャと不規則に水が跳ねるような音が混じっていることに気がついた。

「そろそろ見えるかしら」

 そう言われてフクちゃんの首の横から顔を出して前方を見た空は、しかしすぐにヒッと息を呑んでサッと首の後ろに隠れた。

(な……何あれ!? 何か、いっぱいいた!)

「わぁ、ゼンマイ、いっぱいあつまってる!」

 明良の無邪気な声に空はもう一度恐る恐る顔を出し、そしてぞっと背筋を震わせた。

 川の上流には、その川の流れも両脇の斜面も隠すほど数多くの何かが、わしゃわしゃと寄り集まって蠢いていたのだ。

「あ、あれが……ぜんまい?」

 こごみのようにくるっと丸まっている……と空が聞いたとおり、確かにゼンマイと思しき植物の上部には新芽らしき部分が伸びていて、その一本一本の先端がくるりと丸まった可愛い姿をしていた。その丸まった先端は薄茶色のふわふわした綿帽子のようなものを纏っている。

 そんな新芽が何本も寄り集まって一つの株となっているようだ。しかし、空が注目したのはその上の方ではなかった。

「うぇ……ねっこが、わしゃわしゃしてる……」

 そう、ゼンマイはその株の下の方から細い根が無数に伸び、それを足のように使ってその場から逃げだそうとしきりに動き回っているのだ。

 しかし結界に封じられて行き場がないので、追い立てられた沢山のゼンマイが逃げ場を求めてひしめき合っている。数が多すぎるし、姿や動きが見慣れなさすぎて、空にはそれがどうにも不気味に見えてしまう。

「沢山いたわねぇ。じゃあ結界は閉じちゃうわね」

 雪乃はその光景を見てニコニコし、サッと手を振る。トンネル状にした結界のうち、開けてあった部分を閉じて逃がさないようにしたらしい。

「さ、これで逃げられないわ。明良くん、ゼンマイは逃げるだけで攻撃してこないから、捕まえてみる?」

「うん!」

「素早いから頑張ってね、明良」

 明良はその提案に元気よく頷くと、待ってましたとばかりに飛び出した。斜面を駆け抜け、進行方向にあった岩を蹴ってゼンマイの群れの中に飛び込む。

 ゼンマイたちは明良から逃げようとザザッと動いたが、結界の端で押し合うばかりでは、いくら素早くても逃げようがない。

「えいっ! つかまえた!」

 明良は逃げ遅れた一株を両手でわしっと掴むと、高く持ち上げた。捕まえられたゼンマイは大慌てでピコピコと新芽を揺らし、宙に浮いた根っこをシャカシャカ動かしている。

(うわぁ……ちょっと気持ち悪い……)

 空はそのぴちぴちと動く謎の植物を、ちょっと引いた顔で見つめた。明良は気にした様子もなく、美枝の所に戻ってきてその株を見せている。

「ばあちゃん、これとっていいやつ?」

「ええ、それは雌株だから採っていいわよ。でも、少し芽を残してあげてね」

「わかった!」

 美枝の言葉に頷くと、明良はしゃがみ込んで膝と片手で株の根元を押さえて動きを封じ、上の芽をポキポキと何本か素早く折り取った。

「このくらいかな?」

「ええ、それで良いわ。終わったら逃がしてあげてね」

「うん!」

 解放してやると、弱々しくもがいて抵抗していた株がひょこりと立ち上がり、サカサカと慌てて逃げ出した。

 ゼンマイはよろけるように蛇行してフクちゃんの足元を通り過ぎ、川を渡って反対側へ行こうとして……立っている幸生に気付いてぴゃっと跳び上がって立ちすくんだ。

「あ、ぜんまい、とまっちゃった」

「じぃじが奥のゼンマイを逃がさないように威圧してるから……」

「ああ、そうね。ほら、こっちにおいでなさい」

 怯えて動けなくなったゼンマイに美枝が優しく声を掛ける。するとゼンマイは美枝や明良が立つ方へとまた駆け戻った。

「芽を分けてくれてありがとう。あっちで待っててね」

 美枝はゼンマイの残った芽をそっと撫で、下流の方を指し示す。ゼンマイはぴこぴこと新芽を振りながら、その言葉に従って下流へとカサカサ歩いて行った。

 何となく哀れっぽいその後ろ姿を眺めていると、雪乃が空に声を掛けた。

「空も捕まえて採ってみる?」

「え……ぼ、ぼくにつかまえられるかなぁ」

 空はまだ素早さにも腕力にも自信がない。走って近づいても両脇に分かれて逃げられてしまう気がするのだ。すると、そんな空の言葉を受けてフクちゃんがトコトコと歩き出した。

「あらフクちゃん、空を下ろすの?」

「ホピッ!」

 フクちゃんは雪乃の所まで行くと、身を低くして空をその場に下ろした。雪乃が空を抱き上げて下ろすと、フクちゃんは立ち上がって一声鳴いて走り出した。

「ピピピッ!」

 フクちゃんは走る間にむくっと一回り膨らみ、そして勢い良くゼンマイの群れの中に飛び込む。

 逃げ遅れた一株の根元をクチバシで素早く掴むと、とって返してまた同じ勢いで空の元へと戻ってきた。

 ぽかんと口を開ける空の前に、フクちゃんは暴れるゼンマイをぽいと落として逃げられないよう足で踏みつけ、自慢げにドヤッと胸を張った。

「ふ、フクちゃん……すごぉい」

(接待プレイ! 接待プレイ再び……!)

 そんな内心を隠して空はニッコリ笑い、パチパチと手を叩く。

「ば、ばぁば、これとっていい?」

「どれどれ……あ、これは雄株ね。ここの、丸まってる葉っぱになるとこがふっくらしてるでしょ。これは採っちゃダメな株よ」

「ホキョピッ!?」

 駄目だと言われたフクちゃんがおかしな声を上げてがくりと首を下げる。空はその頭を撫でて慌てて宥めた。

「ふ、フクちゃん、だいじょぶだよ! もうおぼえたし、つぎはふくらんでないの、つかまえよ!」

「ホピ……!」

 空に励まされ、フクちゃんはまたぐいっと頭を上げ、そしてゼンマイを踏んでいた足を浮かせた。

 途端に雄株のゼンマイが慌てて逃げ出し、美枝に誘導されて下流へと駆けて行く。

 フクちゃんはそれを放って即座にまた群れに突っ込むと、今度は少しうろうろした後、また新しい株を捕まえて戻ってきた。

「ばぁば、これは?」

「これは大丈夫! ちゃんと選べて偉いわ、フクちゃん」

「ホピピホピッ!」

 今度こそフクちゃんは、思い切り胸をふっくらさせた。


 その後は、雪乃と美枝も加わって手分けして収穫することになった。

 幸生はゼンマイの群れの手前に立って、逃げ出さないよう威圧する係だ。脇を駆け抜けようとする勇気あるゼンマイが時折現れるが、それを素早い動きで捕まえている。

 明良は自分で走り回ってゼンマイを捕まえ、空はフクちゃんに一株ずつ捕まえてもらっては新芽を採った。

 雪乃は適当に何株かまとめて魔法で捕まえ、すぐ傍まで浮かせて運んでいる。空中でジタバタと根っこが虚しく暴れているが、ゼンマイたちには為すすべもない。

 追い立てられ、次々に捕まえられたゼンマイたちはやがてどうあっても逃げられないと、自分たちの運命を悟ったらしい。

 しばらくすると、ゼンマイたちが列をなし、美枝の前に並び始めた。

「あら、分けてくれるの? どうもありがとう」

 美枝は自分の前に差し出された新芽を何本か折り取る。

「このくらいで十分よ。はい、お礼に魔力を少しあげるわね」

 そう言って美枝がゼンマイを撫でると、彼らは残った芽をピコピコ揺らして喜び、そして下流へと去って行った。

「みえおばちゃん、すごぉい……」

 並ばなくても良いはずの雄株までが美枝の前に並んでは、芽を揺らしてアピールしている。美枝は苦笑しつつも魔力をちょっとだけ分けてやり、雄株たちはご機嫌で下流へと逃げて行った。


 最後には、礼儀正しく列に並んだゼンマイたちのうち、雌株の新芽を雪乃と空と明良が手分けして収穫し、終わったものから美枝が魔力を少し分けて逃がしてやるという、流れ作業になってしまった。

 それはもはや、美枝とゼンマイたちの握手会のような光景だった。

「ばあちゃん、しょくぶつにモテモテなんだ。ときどきじいちゃんがヤキモチやくんだ」

「もてもて……」

 確かにこの光景はそれ以外表現しようがない。

 空は、ちょっと羨ましいと思ったが、美枝のように植物の声が聞こえたら食べづらいからまぁいいか、とすぐに考え直した。

 握手会に来たファンを食べるのは、空にはまだ難しい気がするのだ。

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