2-30:きっとまた、すぐ先で
道沿いの桜の花があらかた咲きそろい、賑やかな人々の声が風に乗って広がっていく。
そんな景色の中を、紗雪は懐かしい気持ちで歩いていた。座っている人達を順に眺めて目当ての家族を探しながら、ゆっくりと歩いて行く。
時折知り合いや友人に声を掛けられ軽く挨拶をして手を振って、やがて紗雪は少し先に探していた姿を見つけた。
「弥生」
桜の木の根元に座って花を眺めていた弥生は、紗雪の声に振り向いた。今日の弥生はいつもの巫女装束ではなく、薄紅色の着物を着ている。
「……紗雪」
「ね、弥生。あっちで少し一緒に花を見ない?」
紗雪に誘われ、弥生は少し戸惑ったがそれでも頷いた。二人はそのまま連れだって土手の上へと登る。
土手から見下ろすと桜が咲きそろった美しい様がよく見える。紗雪はポケットに入れていた木綿の風呂敷を取り出すと、それを広げて土手の際に敷いた。
「ほら、弥生、ここ座って」
「いいのにそんなの」
「せっかく可愛い着物なのに、汚れたら嫌じゃない」
「普段着よ、こんなの」
そう言いつつ、弥生は紗雪の気遣いをありがたく受けとり風呂敷の上に腰を下ろした。
紗雪もその隣に座り、二人でまた景色を眺める。穏やかな春の風が心地良く二人の髪を揺らした。
しばらく黙って過ごしたあと、紗雪は不意にポケットに手を入れ、そこから石を一つ取りだした。
この間、空が見つけて紗雪にくれた、身化石だ。
「ね、弥生。この身化石、何になるかわかる?」
「身化石? 久しぶりね……」
弥生は受け取った石を持ち上げ、光に翳して覗き込む。石は半分ほどが琥珀色に透き通り、残りは白くさらりとした手触りだった。
「そうね……小さな蛇になりそう。金色の目に透き通った琥珀色の体の、ガラス細工みたいな綺麗な蛇に」
弥生はそう言って手を下ろし、透き通る部分を指で撫でる。
「運が良ければ、今年の夏に孵るわ。魔素が足りなかったら来年ね。はい」
差し出された石を受け取り、紗雪は懐かしそうに笑う。
「弥生にはやっぱりわかるのね。すごいなぁ」
「別に、こんなの何の役にも立たないわ」
つまらなそうにそう言って弥生はつんと顔を逸らす。その言葉も態度も昔と同じで、紗雪は思わず声を上げて笑ってしまった。
「あはは、弥生、昔と同じ!」
「昔と? 何よ、そんなに可笑しかった?」
「だって、子供の頃も身化石の事を聞かれる度に、そんな顔でプンってしてたわ」
「あれは……! あれは、言いたくないのに、皆が聞くから!」
わずかに頬を赤らめた弥生に、紗雪はうん、と頷いた。
「弥生は……本当は、皆と一緒に知らないまま、ワクワクしたかったんだもんね」
「……別に、そんなんじゃ」
無い、と言う言葉は弥生の口から出てこなかった。
わかってしまう事はつまらなかった。皆と同じように知らないまま楽しみに出来ない事が、少しだけ寂しかった。子供の頃のそんな気持ちが甦り、弥生は思わず俯いた。
「私ね、それでも弥生に聞きたかったの。わかってたのに時々聞いて、ごめんね」
「……何で?」
わからない方が面白いのに何故聞くのかと、弥生はよく思っていた。
けれど教えると紗雪が嬉しそうにするから、弥生はいつも答えてしまっていたのだ。
今も、手の中の石が何になるか知った紗雪は嬉しそうにそれを眺めている。
「私ね、ワクワクしなくて良かったの。それよりもっと楽しい事があったから」
「楽しい事?」
「うん。だってね、何になるか当てられるのは、友達の中では弥生だけだった。弥生はすごい、かっこいい、そんなすごいとこもっと見せてほしいって、私、ずっと思ってたの」
紗雪の言葉に、弥生は目を見開いて動きを止めた。
「石が弥生の言ってた通りの姿で孵る度、私、すごく嬉しかった。弥生はやっぱりすごいって家で大喜びしてた。弥生はいつだって、私の一番すごい友達だったわ」
紗雪はそう言って真っ直ぐに弥生を見た。弥生はその視線と言葉を受け止め切れないのかしばらく固まっていたが、やがてじわじわとさらに赤くなる。
「なっ、ば、そっ……!」
弥生の口から切れ切れに漏れた音を聞いて、紗雪はあはは、と声を上げて笑った。
何言ってるのよ馬鹿じゃないのそんな適当なこと言って!
ものすごく照れた時に、わけがわからなくなった弥生がいつも言っていた言葉だ。そんな事も紗雪はちゃんと憶えている。
気が強くて意地っ張りで、照れ屋で、優しい。
十年経ってもちっとも変わっていない大切な友達に、紗雪は昔と変わらない笑顔を向けた。
「ねぇ、弥生。私、またすぐ帰ってくるね。そしたら、またこうして話そう? もっともっと、沢山、色んな事」
「……うん」
弥生はぐっと奥歯を噛みしめると、小さく頷き膝を抱えて顔を伏せた。そして消え入りそうな声で、待ってる、と呟いた。
日差しは暖かく、緩やかな風が花の香りと賑やかな声を運んでくる。
長い冬が終わり、また巡ってきた優しい季節が、静かに並ぶ二人を包み込んでいた。
そして、次の日。
「またなるべく早く来るね」
今日は紗雪たちが、また東京に帰る日だ。
駅のホームで、空は名残を惜しむように紗雪にギュッと抱きついていた。
紗雪は家からのバスの中でもずっと空を抱いてここまで来た。空は紗雪の膝の上で、ここで皆と過ごせて楽しかった事をずっと思い返していた。
遠くから列車が走る音が微かに聞こえ、紗雪はベンチから立ち上がって、抱えた空の重さを確かめるように緩く揺らした。
「つぎ、いつ?」
小さな声でそう聞かれ、紗雪は空の体をもう一度しっかりと抱きしめる。
「早ければ五月……でも、長くいられるのは夏かな……」
「うん……まってるね」
空はようやく顔を上げて、頑張って笑顔を見せた。
一年に比べれば、五月も夏もすぐそこだ。そう自分に言い聞かせ、ゴシゴシと顔を擦る。
紗雪は足元にいた陸を片手で持ち上げ、二人一緒に抱えてその顔を覗き込んだ。
「きっとすぐよ。また皆で来るね!」
「うん!」
「そら、りくもがんばるね!」
「うん、ぼくもがんばる!」
二人はそう言って笑い合い、紗雪に下ろしてもらった。するとそこに樹と小雪が近寄った。
「空、次は一緒にカブトムシ取ろうな!」
「ええ……んと、それはタケちゃんたちにたのんでみるね!」
「よろしくな!」
そう言って樹は片手を前に出して、手の平を空に向ける。空は一瞬考えたが、すぐに気付いてその手に自分の小さな手をパチンと合わせた。
そして、次は小雪の方を見る。
「空。次も、いっしょにいっぱいあそぼうね!」
「うん!」
「じゃあ、やくそく!」
そう言って小雪は小指を差し出した。空もそこに小指を絡めて、指切りを交わす。
向かい合った空の顔は、一年前に別れた時よりずっと小雪の近くにある。小雪はそれが何だかとても嬉しかった。
「空、父さんも頑張るな」
「うん! おしごと、がんばってね!」
「ああ。お仕事も、体を鍛えるのも、全部頑張る。また、すぐ来られるように」
「……がんばりすぎないでね!」
空はちょっと心配になってそう付け加えた。過労で倒れたりしたら大変だ。何事もほどほどがいい、と空は身をもって知っている。
そんな空の頭を撫で、隆之は立ち上がると雪乃や幸生に深々と頭を下げた。
「お世話になりました。空を、よろしくお願いします」
「ええ。また帰って来てくださいね。空と一緒に、待ってるわ」
「うむ」
やがて列車が駅に到着し、一家は何度も手を振りながらそれに乗って帰って行った。
空は列車が見えなくなるまで手を振って見送り、今度は涙は流さなかった。
またきっとすぐに会いに来てくれると、もう知っているからだ。
いつかのその日は、もう以前のように遠くない。
列車の中では、杉山家の皆も明るい顔をしていた。
見違える様に元気になった空を見ることが出来たし、魔砕村は驚く事が多かったけれど、そう怖いところではないと知ることが出来た。
もちろんまだほんの一面しか知らないとわかっているが、それでもいつか家族で少しずつ近くに住めたら、という新しい希望も生まれた。
「ね、俺さ、剣術教室行きたい! 行ったらだめ?」
窓の外を見ていた樹が、不意に振り向いてそう言った。
「剣術教室? 習いたいの?」
「うん! そんで、俺も絶対強くなるんだ!」
「あ、私も! 私も、魔法のじゅくに行きたい!」
次いで小雪が自分もと手を上げる。
今までそんな事を言ったことが無かったのに、と紗雪と隆之は顔を見合わせた。
「ぼくも! ぼくも、けんとかまほーとか、ならいたい!」
陸までもが手を上げる。
二人はくすりと笑って、子供たちに頷いた。
「じゃあ、東京に帰ったら、通えそうな所を探してみようか」
「そうね。そういえば、ああいうのは結構相性があるって言うから、体験入学とかも色々あるって、前に樹の友達のママから聞いたことがあるわ」
「じゃあ皆それぞれに合ったところを探さないとだね。僕も、大人向けの教室やジムを探してみるかな……」
「いいわね! 私も行こうかな-」
紗雪がそう言うと、皆は揃って首を横に振った。
「紗雪には必要ないんじゃないかな?」
「ママ、絶対止めた方が良いよ!」
「びっくりさせちゃうよね!」
「まま、おうちにいて!」
「えー、皆ひどくない?」
口を尖らせた紗雪に、皆が声を揃えて笑う。
その明るい笑いは、静かな列車の窓越しに、春の青空に溶けていった。
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