2-29:花見桜

 家族が帰る前日は、まるで天が空気を読んでくれたかのように晴天だった。

 子供たちは朝早くに飛び起きるように目を覚まし、それからすぐに外を見て、顔を見合わせて全員が笑顔を浮かべた。そして我先にと階段を駆け下り、台所に走り込む。

「おてんきだよ! おはなみいこ!」

 そう言って真っ先に紗雪の足に抱きついたのは陸だった。

 今日は村の花見の日だ、と昨日寝る前に教えてもらい、皆で楽しみにしながら眠ったのだ。

「お祖母ちゃん、おはよー! すっげー良い匂い! あ、唐揚げ!」

 匂いに釣られてテーブルの傍に走り寄り、大皿に山と盛られた唐揚げを見つけはしゃいだのは樹だ。

「おはよーございまーす! ママ、お気に入りのワンピースどこ? 今日あれ着たいの!」

 そう言って紗雪の手を引いたのは小雪。

「ヤナちゃん、おはよ……おなかすいた……」

 きゅるきゅると鳴るお腹を押さえてしょぼしょぼとヤナに訴えたのは、もちろん空だ。

「唐揚げはお昼のお弁当だからあとでね。皆、まずは顔を洗ってらっしゃいな」

「小雪のワンピースは探しておくから。さ、陸、お花見は朝ご飯食べて、お昼のお弁当が出来てからよ」

「空、あーん」

「んむ……おいひぃ……」

 空はヤナから煮物の中の芋を一つ貰い、美味しそうにもごもごと口を動かした。その顔はまだ眠そうだ。

「空も顔を洗ってくるのだぞ。ご飯はそれからだ」

「はぁい」

 子供たちは大人しく洗面所に向かい、順番に顔を洗った。

 空や陸には隆之が着いていって、タオルを渡したりと世話を焼く。それからそのまま二階に戻り、隆之と紗雪に手伝ってもらいながら全員着替えを済ませた。

 そして今度は朝ご飯だ。

「いただきまーす!」

 声を揃えて挨拶し、皆でご飯を食べる。

 空は納豆をたっぷりかけた丼ご飯をスプーンで口に運んだ。子供たちも自分用に魔素を抜いてもらった納豆ご飯を受け取り、美味しそうに食べている。もう陸は、空のご飯を羨ましそうに見つめたりしなかった。


 そんな風に、いつもより少し早い朝食を賑やかに済ませたあと、雪乃が皆を見回して言った。

「今日はお天気だし、予定通りお花見が出来そうよ。今お弁当作ってるから出来るまで待っててね」

 その言葉に子供たちは顔を見合わせる。そして、空がピッと手を上げた。

「ばぁば、ぼくも、おべんとうおてつだいしたい!」

「ぼくも!」

「俺もー!」

「私も!」

 皆でお手伝いをしたら、きっと早く出来上がって早く出かけられる。四人の顔にはそう書いてある。

 雪乃はくすりと笑って、それから皆を見回した。

「じゃあ、皆で作る?」

「うん!」

 というわけで、米田家の居間と台所は急遽お弁当作りの会場に早変わりする事となった。

 台所で雪乃や紗雪がおかずを作り、出来上がったおかずが盛られた大皿を幸生が運ぶ。

 それをヤナや隆之の監修のもと、子供たちが重箱に詰めて行く。

 陸や空は零してしまいそうなので、重箱に仕切りを入れたりする係だ。

「唐揚げで一段とか、俺もうこれだけで良い……」

「皆のだからダメよ、お兄ちゃん!」

「陸、この板はそっちの箱の真ん中に入れるのだぞ」

「うん!」

 唐揚げや肉団子、煮物や卵焼き、漬物やポテトサラダ。

 子供たちが好きなものもそうでないものも色々だが、沢山のおかずが精一杯丁寧に重箱に詰められて行く。

 台所で次々握られたおにぎりも、種類ごとに分けて綺麗に並べられた。

 空と陸は、小さな手に魔法をかけてもらって、小さなおにぎりを一生懸命握った。それを重箱の隅にちょこんと並べて、沢山のお弁当がついに完成する。


「さて。お弁当も出来たし、ちょうど良い時間だから、そろそろ皆でお出かけしましょうね」

「わーい!」

 お弁当が全て出来上がったのは十一時になろうかという時間だった。

 子供たちは大喜びで上着を着込み、玄関に走る。

 外に出ると、皆言いつけを守って門の内側からは出ずに行儀良く待つ。空が水たまりに落ちて遠くに飛ばされた話を子供たちは聞かされていて、一人では絶対門から出ないと決めてあるのだ。

 やがて荷物を持った大人たちも揃い、全員が外に出ると最後にヤナが出てきて玄関にサッと手を翳した。するとカチャンと小さな音がして鍵が掛かる。

「ヤナちゃんもいっしょ?」

「うむ。たまには良かろうと思ってな。さ、行くのだぞ」

「うん!」

 全員揃って門を出て、ぞろぞろと道を歩く。

 やがて道の先にお隣の矢田家が見え、その門の前で手を振る明良の姿も見えた。

「おはよー!」

「アキちゃん、おはよー!」

 明良の後ろにはウメや矢田家の家族が揃っている。

「おはよう米田さん。今日は花見日和だなぁ」

「うむ、おはよう。良い日だな」

「大勢だと良いわねぇ、雪乃ちゃん」

「ええ。美枝ちゃんちも、もうすぐ一人増えるわね」

 わいわいと皆でお喋りしながら、そのまま一緒に北地区を流れる川の傍を目指した。その川の近くに桜の並木道があるのだ。

 一行は杉山家の家族に合わせてゆっくりと歩き、やがて長く連なる土手と、その下を走る道が見えてきた。桜の木はその道に沿って植えられている。

 けれど紗雪を除いた杉山家の一家は、桜並木が近づくにつれ、全員が不思議そうに首を傾げた。

「……さくら、さいてないね?」

 土手の下に植えられた桜は、まだ枯れ木のような有様だった。蕾も硬く、花開く様子もない。

 しかし村人達は全く気にせず、桜の根元の草地に散らばり次々に敷布を敷いて行く。

「さ、この辺にしましょ」

 雪乃はそう言って広く開いた場所を選ぶと、そこに幸生と一緒に敷布を敷き始めた。

 家族が十分座れるだけの敷布を敷いたが、幸生はさらにもう一枚取り出してその横に広げた。

「父さん、まだ敷くの?」

「善三が、場所を取っていてくれと言っていた」

 矢田家も、すぐ隣に敷布を敷く。

 空が周りを見回せば、広い土手に等間隔に植えられた桜の木々の間に、沢山の家族が次々訪れ、同じように花見の準備をしていた。

 空は視線を上に向けて、青空に揺れる桜の木を眺める。

「……さかなくても、いいのかな?」

 気にせずに宴会をする風習なんだろうか、と不思議に思いつつ、空は呼ばれるままに敷布に座った。

「じゃあ、まずは乾杯ね」

 雪乃がそう言って荷物から人数分のコップを出し、お酒やお茶、ジュースなどを次々取り出す。ジュースは雪乃が去年漬けた梅シロップを水で割った物だ。

 それらを配っているところに、善三が奥さんを連れて現れた。善三の奥さんは善三よりも少し若く見える、ほわっと柔らかい雰囲気の人だった。

「おう、邪魔するぞ」

「こんにちは」

「うむ。場所は取っておいた」

「ああ、ありがとよ」

 善三とその妻の楓は皆に軽く挨拶をし、幸生が敷いた敷物の上に腰を下ろした。

「乾杯はまだか」

 そう言って善三はふと上を見上げた。空も釣られて上を見たが、さっきと同じ景色のままだ。

「これからよ。さ、二人も良かったらお酒をどうぞ」

「あら、私も持ってきたのに」

「それは後で頂きましょ。まずはこれで乾杯ね」

 雪乃はそう言って座ったばかりの二人にお酒の入ったコップを渡す。

 全員に飲み物が行き渡ったのを確かめ、雪乃はにこりと笑って幸生を見た。

「さ、幸生さん」

「……うむ。今年も、こうして無事に春を迎えられた事を言祝ぎ、乾杯!」

 幸生がそう言って自分のコップを雪乃が持ったコップにカチンと当てる。

「乾杯!」

「かんぱーい!」

 大人も声を揃えて隣の人と乾杯し、子供たちも口々に大人を真似てコップを掲げた。

 空は陸の持つコップにそっと自分のコップをぶつけ、にっこり笑い合ってそれから口を付けた。

「ばぁばのうめじゅーす、おいしいね」

「うん!」

 雪乃の梅ジュースは酸味が爽やかで、いくらでも飲めそうだ。

 空はあっという間に一杯飲み干し、お代わりを貰おうかと振り向き――そして目を見開いた。

「ばぁば、おかわ……え、えええ!?」

「そら、どしたの?」

 急に大きな声を上げた空に驚き、陸は不思議そうな顔で同じ方向に顔を向けた。

「わ、わ! はなが……さくら、さいた!?」

「えっ!? ほ、本当だ……」

「わぁ、すっげー! 何で? さっきまで何にも無かったのに!」

「きれーい!」

 空たちが座った両脇の桜が、いつの間にか薄紅色に染まりつつある。枝先の硬かった蕾がどんどんと伸びて膨らみ、早回しの映像のように解けて咲いてゆく。

 木は下から上に波が打ち寄せるように色を変え、気付けばあっという間に二本の桜の木は満開になっていた。

 杉山家の家族は皆、ぽかんと口を開けて桜に見とれた。それを見て、紗雪はいたずらが成功したような顔でふふ、と笑う。

「びっくりした? あのね、皆にお願いして黙っててもらったの。ここの桜は、花見桜って言って、木の下で皆が乾杯すると咲き始めるのよ」

「ふえぇ……すごい……へんなさくら」

 初めて聞く桜の生態に、空は思わずそうこぼした。すると空の頭の上に、ポトンと何か落ちてくる。驚いて手を伸ばすと、それは一輪の桜の花だった。

 すると空の胸のお守りが一瞬小さく光り、そこからしゅるりとテルちゃんが現れた。

「ソラ、ヘンジャナイッテ、サクラガモンクイッテルヨ!」

「うっ、そっか、ごめん……えっと、へんじゃなくって、きれいだよ! ごめんね!」

 空が慌てて謝ると、桜の木が風も無いのにゆらりと揺れた気がした。

「イイッテ!」

「うん、ありがと……」

 小さな花を指で摘まんでくるりと回すと、フードの中にいたフクちゃんがひょこりと出てきて肩の上で可愛い声で囀る。

「フクちゃん、ほしいの?」

 何となくそんな気がしてフクちゃんの前に花を近づけると、フクちゃんはクチバシをひょいと伸ばしてその花びらを一枚ついばんだ。どうやら花を食べたいらしい。

「おいしいのかな……」

「ホピ!」

 空はちょっと興味を抱きつつ、フクちゃんに花をあげた。フクちゃんは嬉しそうに一枚ずつ花びらをついばみ、気付けば茎まで残さずペロリと食べてしまった。

 空は満足そうなフクちゃんを撫で、周りを見回した。

 杉山家の家族はよほど驚いたのか、皆まだどこか呆然とした面持ちで花を見ている。

 視線をさらに遠くに向けると、並木のあちこちでぽつりぽつりと桜が咲いていく様子が見えた。腰を落ち着けて乾杯した人達の上に、まるで明かりが灯るように美しい花が咲いてゆく。

 それは、何とも言えず美しい光景だった。

(……人と木が、乾杯してるみたい)

 空がその景色に見とれていると、ヤナが近づいてきて、空におにぎりを一つ渡してくれた。

「驚いたか? 花見桜は宴会が大好きで、乾杯の声を聞かない限り、決して咲かないのだぞ」

「そうなんだ……じゃあ、ずっと咲かない木もあるの?」

「うーん、ないのではないか? こやつらは、宴会に適した場所に勝手に移動してくるという話だぞ。だからたまに勝手に桜の並木や群生地を作ってしまうことがあるのだぞ」

 ヤナがそう説明すると、その話を聞いていた美枝が頷いた。

「そうなのよ。他のことに使うための空き地を作ったら、そこに桜が勝手に植わっていた、何てこともあるのよね。移動してもらうための交渉も結構面倒だし、村ではこうして宴会に使える場所を用意して、そこ以外では遠慮してもらってるのよ」

 美枝は植物と話が出来る能力の持ち主で、植物との交渉も慣れている。そのため桜の木との立ち退き交渉も何回も経験していた。

「た、たいへんなんだね……」

 しかしその感想に、美枝は笑って首を横に振った。美枝は優しい顔で木々を見上げ、そして視線を下ろして空や陸を見る。

「時々は大変な事もあるけど、こんなに綺麗なんだもの。頑張る価値があると思わない?」

「……おもう!」

「りくも、おもう! おはな、すっごいきれい!」

 陸がそう言うと、今度は陸の頭にポトンと花が一つ落ちてきた。

 空がテルちゃんを見ると、テルちゃんはにっこりと笑う。

「サクラ、ウレシイッテ!」

 陸の頭に落ちてきた花は、心なしか咲いている花より色が濃い気がした。


 あちこちで乾杯の輪が広がり、花が大分咲きそろった頃。

 美味しいお弁当をお腹いっぱい食べた陸が花を見上げながら一休みしていると、不意に陸の傍に善三がやって来た。

「おう、陸」

「んと、ぜんぞーさん?」

 やはり陸も善三さんと憶えたらしい。善三は陸に頷くと、手に持っていた物を陸に差し出した。

「あ、シロのきば!」

 善三が差し出した物は、昨日陸が田亀から貰ったシロの牙だった。

 小さな牙は先端を丸く削り、全体がつるりと磨かれている。さらに根元に小さな穴を空けて首にかけられるような紐を通し、その紐で半分ほどを編むように巻いてあった。

「これで首に掛けられるだろ」

「わぁ……かっこいい! ありがとー!」

 陸は大喜びでそれを受け取ると、紐に頭を通して首に掛けた。手で触ると、つるりとした感触が気持ちいい。

「ったく、昨日の夕方にいきなり幸生が来るから何だと思えば、これを加工しろとか……本当にアイツは面倒ばっかり持ち込んでどうしようもねぇ。ほら、ちっと後ろ向け」

 善三はブツブツと愚痴を言いながら、陸には少し長かった紐を調節して、邪魔にならないようにしてくれた。

 善三にそんな事を依頼した幸生はといえば、空が握った小さなおにぎりをじぃじの分だと皿に載せられ、感動してずっと上を向いたまま固まっている。

「こんくらいか? 長さは簡単に調節出来るから、次は紗雪か親父にやってもらえ」

「うん!」

「あと、お前から取る魔力に上限を付けたし、万が一のための防御とか、無くさない機能とか色々あんだが……まぁ、いいか」

 善三は何だかんだ言って子供には甘い。

 陸はしばらくその牙を眺めたあと、ふとキョロキョロと辺りを見回した。

「どうした?」

「ん……あんね、ばすのおじさんにあいたいの。どこかにいないかなって」

 田亀を探す陸に、善三は立ち上がって周囲を見てやった。すると少し離れた所に田亀とその両親の姿が見えた。

「ちっと待ってろ」

 善三はそう言って田亀の元へ行き、声を掛けると連れて戻ってきた。

 田亀は今日もいつもの作業帽を被っている。そして、その顔は心なしか嬉しそうだった。

「やぁ、こんにちは」

「あら、田亀さん」

「陸くんにちょっと呼ばれたらしいんだけど……何かな?」

 田亀は周りの大人たちに挨拶し、陸の前まで行くとしゃがみ込んだ。

 陸は田亀の顔を見て、そして自分の胸に揺れる牙を見る。そして田亀と、姿を消しているがその後ろにいるはずのシロに向かって、ぺこりと頭を下げた。

「あんね、ばすのおじさん。ぼくね、おじさんちのこには、なれないんだ」

「……うん。それは、わかってるよ」

 それは、幼い陸が自分なりに一生懸命考えたことだった。陸は、田亀に子供がいないこと、その跡を継ぐ者がいないこと、だからこそ目の前に現れた陸に希望を託したのだということを、幼いながらに理解していた。

「でもね、ぼく、おじさんとも、シロとも、おじさんちにいた、どうぶつさんたちとも、みんなと、もっとなかよくなりたい。おじさんとおんなじには、いろいろ、まだできないけど……」

「陸くん……」

 陸は昨日よりも大人びたような表情で、真っ直ぐに田亀を見つめた。

「おじさんのだいじな、だいじな、シロのきば……ぼくにくれて、ありがとう! ぼく、うんとだいじにするね! そんで、ここにきたら、おじさんとシロにあいにいくね!」

「……ああ。待ってるよ。シロと一緒に、いつでも待ってる。歓迎するよ」

 田亀は目を瞑り、一瞬だけ顔を伏せた。

 自分にもし子供がいたら、こんな風にある日突然大きく成長したことに気付かされ、驚かされたりしたんだろうかと、そんなことを思う。

 それは叶わなかったけれど、それでも不思議な縁で繋がった子供が自分に会いに行くと言ってくれたことが、田亀の胸を温める。

「君は……君たちは、可能性の塊なんだなぁ……」

 まるで、乾杯の声を浴びて開くこの花のようだ。

 ほんの瞬きの間に驚くような成長を遂げる若芽を見守っていきたい。田亀もシロも、そんな気持ちで陸と、そしてその隣で笑う空を見た。

 子供たちは顔を見合わせて、そして満開の桜のように笑っていた。

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