72:餅への期待
頭の上の孫の動揺も知らず、幸生はそのままスタスタと人だかりに近寄った。
混んでいる場所の少し手前で立ち止まり、周囲を見回す。すると人だかりの中から見知った顔が出てきて手を挙げた。
「おせーぞ幸生! お前抜きで始めるとこだったぞ!」
「やっと来たのか、幸生。和義がうるせえからもっと早く来いよ」
不機嫌そうに怒鳴ったのは幸生の幼馴染みで春の田起し大会の準優勝者の田村和義だ。
その隣で呆れたようにため息を吐いたのは同じく幼馴染みの善三だった。
「まだ時間じゃないだろう」
「段取りとか、打ち合わせとかあるだろうがよ! 早めに来いっての!」
「適当でいいだろうが」
「いいわけあるか!」
幸生をライバルと目する和義は声を荒げたが、そう言いつつもどことなく嬉しそうな雰囲気だ。格好も幸生と同じような気合いの入った姿で、やる気は十分のようだった。
「お前らは適当で良くても、若ぇのが可哀想だろうがよ。段取りくらいちゃんと組んでやれ」
善三もそう言って難しい顔をしているが、結局の所二人を心配しているのだろう。
(……じぃじのお友達は皆ツンデレだなぁ)
そんな事を思いながら空が二人を見下ろしていると、その視線に気付いた和義が顔を上げ空を見る。
和義はよく善三と共に米田家に遊びに来て幸生と三人で酒を飲んだりしているので、空ともすっかり顔見知りだ。空はぶんぶんと手を振って元気よく挨拶をした。
「ぜんぞーさん、かずおじちゃん、おはよーございます!」
「ピッ!」
「おう、空。元気そうだな」
「おはよう、空……幸生、お前の頭、何か愉快なことになってんぞ」
頭の上に小鳥と幼児を乗せた幸生は、鳥にうろうろされても孫に髪を掻き回されても特に気にしていない。しかし確かに見た目はかなり愉快だった。
「良いだろう」
「いや、良いのかそれ……?」
愉快な見た目なのに得意そうな幸生に和義が首を傾げていると、人混みの中から声が掛かった。
「おはようございます。米田さん、田村さん、そろそろ始めますか」
「おはよう」
「おう、大和。そろそろやっか」
現れたのは神社の神主の孫、龍花大和だ。今日もきちんと禰宜の正装姿で、片手には神主がお祓いの時に使う
「あっちに良夫もいると思いますから、行きましょう」
大和に促され、一行はぞろぞろと人混みに分け入り、隙間を縫うようにして奥へと向かう。
空は背の高い幸生の上から、ヌシとその周辺をキョロキョロと見回した。
ヌシが生えている田んぼは、今歩いている細い道が北の大きな道とぶつかる場所のすぐ脇の角地にあった。
見物らしい村人が細い道と大きな道に分散して少し距離を取って人だかりを作っている。
皆思い思いにのんびりとお喋りしたりしていて、やはり誰も田んぼに入って稲刈りを始める様子はない。空は村人を眺め、それからまたヌシに視線を戻した。
「ねぇ、じぃじ。なんで、ぬしたおすの? いっしょにいねかりじゃだめなの?」
「ああ……それはな、ヌシを倒さないと他の稲は刈れないからだ」
「そうなの?」
空がビックリして声を上げると、側を歩いていた善三や和義が頷いた。
「空は知らなかったか。稲はな、ヌシを倒さないうちに他のを刈ろうとすると、せっかくの籾をバシバシ飛ばして抵抗しやがるんだ」
「そうそう、それで米が無駄になっちまったらもったいねぇだろ? ヌシを倒してからなら諦めて大人しく刈られるから、そっちが先なのさ」
「おこめ、とばす……」
(それは確かに勿体ない!)
たわわに実る黄金の粒が無駄に撒かれる事を想像して空はブルブルと首を横に振った。空の大好きなお米がそんな事になったらきっと泣いてしまう。そうならないために幸生たちが戦うというなら、全力で応援しようと空は心に決めた。
「じぃじ……がんばってね!」
「……うむ」
応援の意味を込めて、空は小さな手で幸生の頭をもしゃもしゃとかき回した。そこにフクちゃんがちょんと座ると完全に巣にしか見えないのだが、側にいた面々は優しく見ないフリをしたのだった。
さて、一行は細い道を抜け、大きな道へと出た。左手にヌシの生えた田んぼを見ながら少し進むと、道の脇にはどこから運んできたのか大きな太鼓が据えられている。そしてその周囲には、手に手に大きな網を持った子供や若者たちが集って談笑していた。
(また……また網! また何か飛んでくるの!?)
カニにトウモロコシに、次は何が飛ぶのだ、と空は内心で恐れおののく。
「ね、ねえばぁば……みんな、なんであみもってるの?」
「あみ? ああ、あれ。あれはほら、ヌシに籾が……お米が、いっぱいぶら下がってるでしょう?」
「う、うん」
空が葡萄が下がってるようだと表現した、巨大な籾を雪乃が指さす。近くに来るとその大きさがよくわかって、まるで沢山のラグビーボールがぶら下がってるみたいだ、と空は思っていた。
「戦ってる途中でヌシがアレを飛ばしてきたりするから、皆それを取るために網を持ってるのよ」
「あれ、たべられるの?」
空が聞くと、雪乃は笑顔で頷いた。
「ええ。アレは餅米なのよ。蒸してつくとお餅になるの。去年の暮れに東京のお家にも送ったけど、空は食べなかった?」
「お、おもち!?」
空は衝撃を受けた。今年の正月に、空は確かに初めて餅を食べさせてもらった覚えがある。焼いたお餅を小さめに千切って雑煮に入れた物を紗雪が出してくれたのだが、空はその美味しさに夢中になった記憶があった。
小さな欠片なのにいつまでも口に入れていたいような美味しさがあって、空は遠慮しつつも我慢出来ず、お代わりを強請って食べたのだ。
今思えば、その美味しさは含まれた魔素の多さによるものだったのだろう。
「おもち、ぼく、たべたよ! すごく、すごーくおいしかった!」
「良かったわ。そのお餅のもとが、アレなのよ」
「おもちのもと!」
そう聞けばたちまち空の中から恐れなど吹っ飛び、俄然わくわくソワソワしてしまう。
謎めいたヌシの姿はもはやお化けではなく、単なる餅まきの台座に見えてきた。そういえば都会のマンション育ちの空は、前世も含めて餅まきというものも経験したことが無かった。
まだ餅になる前で、一粒がバカでかくて、まるで鏡餅が降ってくるようなものだとしてもそう考えるとさらにわくわくしてくる。
「おもちのもと、ぼくもほしい! ばぁば、あみちょうだい!」
「あら……うーん、網はあるけど空にはちょっとアレは早いんじゃないかしら。一粒が結構大きくて重いから、直接受けるのは年長の子供たちが挑戦するのよ。危ないから、ばぁばが魔法で落とすから空はそれを拾いましょうね」
「うん!」
元気よく頷き、頭の上でもぞもぞ動く孫の姿に、幸生は眉間にぐっと皺を寄せた。
「……空は、餅が好きか」
「うん! ぼく、おもちだいすき! いっぱいたべたい!」
「そうか……」
空の言葉に頷く幸生の顔が、僅かに綻ぶ。
暮れに送ったというその餅は、幸生がついた物だった。それを孫が喜んで食べ、好きだと言ってくれる事は、何よりも嬉しく感じられた。
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