71:稲かどうかも怪しい

「ねぇ、じぃじ、ばぁば……いねかりって、どんなことするの?」

 田んぼの間を真っ直ぐ通る道を眺めながら、空は心の準備をしておこうと二人に問いかけた。

 村の平地の多くを占める田んぼはすっかりその色を黄金色に変えている。重たそうな稲穂が並んで頭を垂れているその様は、空が前世で憧れた田舎の美しい実りの季節を象徴するような景色だ。


 今幸生らが歩いている道は、村の神社を中心に十字を描くように延びている。高い背の上から見回せば、その道を空たちと同じような家族連れが歩いている様子が見えた。

 しかしどの家族も同じ方向を目指していて、稲刈りというわりに道の両脇に広がる田んぼで作業する人の姿はまだないのだ。

 広場で何かしてから始めるのかな、と空は何となく予想していた。

「またおまつり?」

「そうねぇ、お祭りって言えばお祭りなんだけど……今日はね、まずはヌシを倒すのよ」

「……ぬ、し?」

 早速出てきた聞き慣れぬ言葉に、空はぽつりと呟いたあと静かに天を見上げた。大好きな空色を見ていると心が少し落ち着く。

 それから一つ深呼吸をし、もう一度雪乃を見下ろした。

「ばぁば、ぬしって、なぁに?」

 可愛く聞くと雪乃も微笑み、けれど首を傾げた。

「ヌシは……ヌシよねぇ。何かしらね、あれは?」

「さあ……ヌシだからな」

 駄目だ。全然わからない。

「ばぁばたちにもよくわからないのよね。ただ、サノカミ様からの試練だとか、贈り物だとか、昔から言われてるんだけど……」

「ど、どんなのなの?」

 具体性の無い話に空は頭は疑問符でいっぱいだ。雪乃はそうねぇと呟くと、道の両脇を彩る黄金色の田んぼを指さした。

「田んぼに稲が植えられて……それで、こんな風に秋になるとお米が実って、一面黄色くなるでしょ?」

「うん」

「その田んぼの中にね、どうしてか毎年一反分……田んぼ中の全部の稲が合体して、大きなお化けみたいになる所があるのよ」

「お、おばけ!?」

 空はビックリして辺りを見回す。しかし見えるのは普通の田んぼと稲穂の海だ。お化けのような姿はどこにもない。

「大丈夫よ、空。この近くにはいないわ。出る場所は毎年違うんだけど、今年は神社の向こう側の、北西の田んぼらしいわ」

「そ、そうなの……そのぬし、どうするの?」

 いつもと違う幸生の格好から何となく話の先が読めた気がしたが、空は一応問いかける。

「じぃじみたいな村の強い人が、何人かで一緒に戦って倒してくれるのよ。大体、田植え祭りの時に優勝した人なんかが挑戦するの。今年はじぃじと和義さんと、あと伊山さんとこの良夫くんも出るんだったかしら?」

「ああ。あとは大和が援護だ」

「あら、田植えの二番手は?」

「田島のとこのは相性が悪いと辞退だそうだ」

「そうなの? 若い子二人と、全部で四人で大丈夫?」

「余裕だ」

 別に一人でも構わんしな、と幸生は静かに呟く。その声には自負も驕りもなく、ただ端的に事実を述べただけという響きだ。

「じぃじ……かっこいい!」

「む……」

 空が興奮して頭をぽふぽふ叩くと、幸生の肩が揺れる。空からは見えない幸生の顔を見上げ、雪乃がふふ、と楽しそうな笑い声をこぼした。

「す、少し急ぐぞ」

「はいはい。空、しっかり掴まっていてね」

「あい!」

 幸生が早歩きしだしたので、景色がどんどんと流れて行く。揺れないように気遣って歩いてくれているので、空は酔うことも無くその景色を楽しげに眺めた。

 隣を行く雪乃も早歩きだが、一見するとそんなにスピードを出しているようには見えない。

 しかし顔に当たる風からすると多分自転車かそれより少し早いくらいの速度は出ているだろう。

(田舎の人の早歩きすごい……)

 大分近づいていた神社の前の広場がぐんぐんと近くなる。

 その森の向こうに一体何が待っているのか。

 空はまだ見ぬヌシを思って、幸生の頭にきゅっとしがみ付いた。



 人の流れは神社の前の広場にゆるりと集まり、それからさらに西に向かって、役場や商店が建ち並ぶ村のメインストリート(?)へと向かっている。

 幸生に運ばれるまま、空は小さな雑貨屋や床屋、服屋らしき店を物珍しく見下ろした。少し離れた場所には幼稚園や学校らしき建物も見える。

 それらの建物が建ち並ぶ通りの向こうにはまた田んぼや畑が見える。途中で北へ向かう細い道に入ると視界が開け、道の先には人だかりが出来ていた。

 そして、開けた視界の先に見えたのは人だかりだけでは無かった。

「……? じぃじ、ばぁば、なんかへんなのがあるよ?」

「そうねぇ。今年のヌシも大きいわね」

「そうだな」

「ぬ……」

 空はその変なものを目を見開いて見つめ、それからまたそっと青空を見つめた。

(何だろうアレ……少なくとも、稲じゃない。絶対稲じゃないと思う)

 それを何と形容して良いのか、空にはよくわからない。わかるのは、まだ距離が結構あるのにここからでもはっきりわかるくらい大きい何かということだけだ。

 空はそれをじっと見て、何度も首を傾げた。

「おっきい……き?」

 東京で暮らしていた頃、兄の樹が持っていた恐竜図鑑を時々見せてくれた。そこに描かれていた太古の巨大な植物に少し似ているかもしれない……と空は思ったが、よく見ればやはり似ていない気もした。


 それは、遠目から見れば木の束のように見える何かだった。太い木を何本も集めて束ね、一つの巨木にしたような見た目をしている。

 高さは十メートルくらいか、もう少しあるだろうか。空には目算では見当がつかないが、直径も高さの半分くらいはありそうに見える。

 見上げた先端には青空に突き刺さるような剣のように尖った葉……というには一枚一枚が大きすぎるが、それがわさっと木の上にカツラを載せたように不自然に広がって生えている。

 その葉と幹の境目辺りからは、穂とおぼしき枝が無数にぶら下がっていた。その穂に実った籾も、遠目でわかるほど一粒一粒が大きい。多分大人の顔くらいはありそうだ。

 植物かどうかすらすでに疑わしい姿の中で、稲っぽいところはもはやその色だけだった。

「ばくはつしたえのきだけに、ぶどうがいっぱいさがってるみたい……?」

 空が呆然と呟くと、それを聞いた雪乃がくすくすと笑う。

「空の表現は面白いわねぇ。でも、ちょっと似てるわね」

(笑うとこなんだ……でもばぁばが笑ってるなら、大丈夫かな)

 得体の知れない主の姿に怯えていた空は、少し安心して息を吐いた。

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