68:夕飯の献立

「そっか……えっと、フクちゃんのこと、しんぱいしてくれてありがとう!」

 空がそう礼を言うと、離してもらったボスがゆっくりと近寄ってくる。地面に降りて近くに来ると、何とボスは空よりも背が高かった。目つきも鋭く如何にも気が強そうだ。

「お、おおきいね……」

 自分より頭一つ分ほど大きな鶏に間近で見られ、空は何となく一歩後ろに下がった。襲っては来ないだろうと思いつつ、鋭い嘴や蹴爪を見ると腰が引けてしまう。

「大丈夫だぞ。ボスはそりゃあ凶暴だが、納得すりゃ危害は加えねぇ。この群れの真のボスは俺だしな!」

 佳鶏がボスの頭を撫でると、ボスは目をパチパチさせて佳鶏を見上げ、ふいと後ろを向いてまた歩き去っていった。

「……ユウちゃんのおじいちゃん、とりのぼすなの?」

「そうだぞ! じーちゃんはつえーからな! あとトサカもりっぱだし!」

 その言葉に空の視線が思わず上に向かう。

 赤いトサカは確かに立派だ。

「オレもすげーつよくなって、おっきくなったらとーちゃんのかわりにじーちゃんのあとつぐんだ!」

 そう誇らしげに胸を張る勇馬の頭は、虫取り騒動の時に丸刈りにされたせいでまだ五分刈りというところだ。

「ユウマもかみあかくするの?」

「おう!」

「えー、にわとりさんとたたかうの?」

「もちろん、たたかってぜってーかつ!」

「面白そうだなー!」

 子供たちはわいわいと勇馬を囲んで、彼の将来の夢について語りあった。空はそれにうんうんと頷きながら、佳鶏と圭人を見比べ何かに納得していた。

 子供たちの輪の外では、息子の夢を聞いた圭人が瞳を潤ませている。

「すまない、勇馬……僕が全く強くないばっかりに……」

 勇馬と佳鶏は見比べてみると何となく顔や雰囲気がよく似ている。反対に、圭人とはあまり似ていない。圭人の見た目はひょろっとして気弱そうな青年だ。間違ってもモヒカンにするようなタイプではないだろう。

(養鶏の才能は……物理だったのか)

 あとは単純に見た目が舐められそうか否かというのもありそうだ。

 尻(?)に敷かれていても、確かに圭人は葡萄などの果樹との方が相性は良さそうだった。


「おう、そうだ。良かったら詫びに卵も貰ってってくれ」

 子供たちの話が一段落付いた頃、佳鶏が雪乃らにそう言って鶏小屋の方を指さした。

「お詫びだなんて、気にしないでちょうだい。もう葡萄も沢山頂いたんだから」

「いや、遠慮しないでくれ。勇馬の友達だしな。自分で卵集めるのも楽しいぞ?」

 最後の言葉は側にいた空に向けたものだった。空は佳鶏を見上げ、それから小屋の方を見る。

「とりさん……たまごもらっても、つつかない?」

「俺が言い聞かせてるから大丈夫だ」


(産みたて卵を集めるって……まだやったことない、スローライフ的なイベント!)

 そう考えると俄然ワクワクしてくる。

 空は雪乃に駆け寄るとキラキラした目でその顔を見上げた。

「ばぁば、やってみたい!」

「あらあら……じゃあ、お願いできるかしら佳鶏さん」

「ああ。こっちだ」

 佳鶏に連れられ、子供たちを先頭に全員で鶏舎の入り口に回る。大きな鶏舎の戸は開け放たれ、鶏たちがひょこひょこと自由に出入りしていた。

 鶏舎にはいると、中は風通しが良く明るい雰囲気だった。大きな窓は目の細かい網が張られ、その外側の木戸が開け放たれているので風通しが良い。

 幾つもの餌入れや止まり木のような木組みがあちこちに用意され、奥の方には四角い箱が幾つも並んでいる。隅々まで手入れや掃除が行き届いているらしく、動物の嫌な匂いもしない。

 小屋の中には外より中が好きらしい沢山の雌鶏が思い思いにうろつき、寛いでいた。


「みんな、こっち! ここでたまごうむんだぜ!」

 勇馬が奥にある四角い箱の所まで行って手を振った。

 産卵箱は、幅が二十センチくらいの木の板を枠にした平たい箱に、上にもう少し高さのある箱をかぶせて鳥が通る隙間を空けたような形をしている。

 子供たちが近づくと、佳鶏が上箱の前面の板をそっと外して中を見せてくれた。

「わぁ……いっぱいある!」

 箱の中にはおがくずが敷き詰められ、その上にころころと白や茶色の卵が沢山転がっている。中に鶏はおらず、卵だけが転がっている様が、空には何だか不思議だった。

「なんかかわいいねー!」

「そうか? おいしそうじゃない?」

 結衣と明良も箱を覗き込み、それぞれが感想をこぼした。

「ほら、籠だ。卵を拾って、ここにそっと入れてくれ」

 箱を覗き込む子供たちの頭の上から、にゅっと籠が差し出された。竹で編んだ深めの籠だ。

 それぞれが籠を受け取り、隣にあった産卵箱も開けてもらう。

「たまご、けっこーじょうぶだけど、やさしくつかむんだぞ!」

 勇馬がちょっと得意そうにそう言って、慣れた手つきでひょいひょいと卵を籠に入れた。空もそっと手を伸ばし、一つ取ってみる。

 手に取った卵は、空が知る鶏の卵よりも一回り大きい気がした。雄鶏ほどではないが、雌鶏も結構大きいからそんなものなのかもしれない。空の手にはまだ卵は大きくて、片手だと上手に掴めず落としそうだ。

 適当に選んだ卵は産んでから時間が経っているらしく、温かくはなかった。けれどひやりともしておらず、不思議な温度に空は首を傾げた。

「たまご……つめたくないね?」

「そらちゃん、つめたかったらへんじゃない?」

 結衣が首を傾げるので、空も何となく首を傾げる。すると頭の上で様子を見ていた雪乃がくすりと笑った。

「空は、卵は冷蔵庫に入ってるのしか知らないのね?」

「あっ、そうかも!」

 言われて見れば、空にとって卵とはパックに並んで冷蔵庫にしまわれているものなのだ。産みたてのほんのり温かい卵や、常温の卵というのには馴染みが薄い。

「うみたてって……なんか、すごいね!」

 手に持った卵をそーっと籠に移し、空はほっと息を吐く。

 もう一つ、二つ、と両手で丁寧に拾ってはゆっくり籠に移しながら、この卵は何になるだろうと空は想像してみた。


(卵焼き……オムレツ? 親子……はまた今度……うーん、プリンとか)

 コケケ、と声を上げながらすぐ横を親が歩いて行くのを見て、空は候補の一つをそっと却下した。

「ぷりんと、あと、めだまにまよ? んー、ゆでたまいっぱいのさらだもすき……」

 卵を拾いながら、ついぶつぶつと独り言を言っていることに空は気付かない。

 それが聞こえている明良たちは顔を見合わせ、何だかお腹が空いたような気分を味わった。

「おれたまごやきがいいなー」

「俺は親子丼かな!」

ぷりぷりと尻を振りながら歩いて行く雌鶏を見ながら、武志が元気よく言い放つ。

「わたしプリンがいい!」

「オレたまごかけごはん!」

「はっ、たまごかけごは……へぶっ!?」

 それを忘れていた! と顔を上げた瞬間、空は手に持っていた卵をぐしゃりと握りつぶし、その中身を顔いっぱいに浴びてしまった。

「うえ……ばぁば~」

「あらあら、ちょっと待ってね」

 生温かくずるずるする卵が顔を流れ落ちて気持ちが悪い。雪乃は水を呼び出し、空の顔を綺麗に洗ってからタオルで拭いてくれた。

 顔が綺麗になったところで、手の中に残った砕けた殻も流してもらう。

「ごめんなさい……たまご、わっちゃった」

「ああ、気にすんな。ヒビでも入ってたんだろ。たまにあるんだ」

 佳鶏は気にした様子も無くそう言って笑ってくれた。

 しかしさっきは葡萄も潰れてしまったし、今日は何だかちょっと運が悪い。

 空はその時は、そんな風に思っていた。



「ありがとうございましたー!」

 子供たち全員で元気よく沢田家の家族にお礼を言う。

 皆のリュックには、分けてもらった葡萄と卵がいっぱいだ。

「今度お礼にお野菜沢山持ってくるわね」

「あまり気にしないでください。けど、ありがとうございます」

 幸生の作る野菜は村でも評判が高い。遠慮しつつも圭人は嬉しそうに頷く。

「また遊びに来いよ」

 足下をちょろちょろする子供たちに、佳鶏が朗らかに笑う。

 空はそんな佳鶏を見上げていたが、ふと気になってその足下に歩み寄った。

「ね、ユウちゃんのおじいちゃん」

「おう、何だ?」

「そのかみのけ、どうやってそうしてるの?」

 この村にそんなファンキーな色に染めてモヒカンにカットしてくれる美容院があるのだろうか、とふと気になって問いかけたのだが。

「これか? こりゃあ家が鶏農家になってから代々伝わる髪型でな。跡を継ぐってご先祖様に宣言すると、勝手にこの髪型になるのさ」

「えっ!?」

「すげぇだろ? いわば、鶏農家の証だな。ただし、ご先祖様に認められる為にはボスと戦って余裕で勝つだけの強さがいるんだがな」

「す、すごぉい……」

 ご先祖に認められたということがすごいのか、養鶏農家の宿命がすごいのか。どこに突っ込めば良いのかわからないまま、空はとりあえず笑顔で頷いておいた。

 何故その髪型に勝手になるのかは本人にもわからないらしいが、とりあえず養鶏農家に髪型を選ぶ自由は無いらしい。


「みんな、ばいばーい、またなー!」

「またねー!」

 勇馬に手を振って、空たちは沢田家を後にした。

 空は手を振りながら、卵は好きだが、養鶏農家にはならないでおこうと心に決めたのだった。


(モヒカンは……ユウちゃんに任せよう!)

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